死しても纏うその名を呪え
この僕、荒神八塚にとって神無月椎名は誰よりも大切だと言える存在だった。
日々人目から逃れるように二人で食事をし、二人で隠れて楽しむ為だけに家を買ったりもした。
僕は天才的な統計学者であり、西京都の人口密度の密集具合や、道路の交通量を調べることなど息をするほどに簡単だった。
そうして調べたデータに基づいて僕はなるべく人が通らない道路を通り、なるべく人の寄り付かない料理店へ入っていた。
時折荒神の話を聞いたり、新聞紙に荒神の話が載っていたりするとその度に心底ぎょっとしていた。
僕は事実上既婚者であり、椎名との関係は不倫にあたる。
しかし、いつか椎名と一緒になりたい、僕はそう考えていた。
椎名のことを考えていると、いつもの仕事があまり捗らない位に、僕の心の中での椎名の存在は大きかった。
荒神なんか抜けて椎名と一緒に、どこか遠く、誰にも邪魔のされない場所で、ずっと笑いあって暮らしたい。
僕の思いはそれだけだった。
左手の薬指にはめた黒い結婚指輪が無ければどんなによかったか。
僕が荒神團十郎と結婚さえしていなかったらこんなことにはならなかった。
荒神邸を歩く度に見る、團十郎の肖像を見るたびに破り捨ててやりたくなる。
一時の名声や、充足、その為だけに愛に生きるという権利を溝に捨ててしまったのだ。
結婚は人生の墓場と言ったものだが、僕の結婚はまさに墓場だった。
噂に聞く限り今までも荒神から抜けようとした家族は数人居たらしい。
しかし、データベースを名乗る極彩色の女はそんなデータは無いときっぱり言い張った。
僕もそんな家族達と同様に、名前すら存在しないことにされてしまうかもしれない。
はたまた一族の恥だと後世まで祭り上げられるかもしれない。
僕と椎名の間には障害が多すぎたのだ。

今日、僕は椎名と海外へ逃避行する。
ほとんど使われていないローカル線を膨大な情報の中から割り出し、電話の多い時間帯に公衆電話から椎名に連絡を入れた。
なるべく人の寄り付かない、電灯も無いような道を二人で夜逃げするように歩いた。
時刻はほとんど人が通らない時間帯を狙うことにし、予め二人で出発の時刻を決めていた。
いつものように、人の少ない道路を通り、人が居ない駅に二人で降り立った。
切符を買い、あとは海外への空港、そこまで行き、宇宙まで行けば僕の家族から逃れられる。
宇宙の中でも、地球人が行かない場所まで、エウロパからならどこへだって逃げられる。
僕は成功を確信し、少しため息をついた。
二人だけでぽつんとホームに立って、荷物も路銀だけ。
旅行では無く、これは逃避行なのだ。
駅のホームにある時刻表を見れば、もうすぐ予定の時刻である。
大丈夫、これで僕らは一緒になれる。
と思った時、ドタドタと足音を立て、人が駆け込んできた。
嫌な予感が胸を突き刺す。
「八塚。君は賢いと思っていたんだがね」
家族の一人だ。
いつから付けられていたのかわからない。
あるいは計画がバレていたのか。
「こんな場所で会うなんて奇遇ですね兄さん」
あくまでも平静を装い、椎名を後ろに庇う。
家族から逃げて、結婚をしようとしたことがバレればただではすまないだろう。
何より、荒神という家はひどく排他的であり、よそ者の椎名はきっと殺されてしまう。
「八塚さん、もういい、もういいわ」
「椎名、大丈夫、なんとかする」
僕は生唾を飲み込み、兄に対峙する。
兄はその場に居るのに気配がほとんどしない。
確か何らかの武術の達人だったか。
机に向かってあれやこれやとやるタイプの僕じゃ全くもって敵う訳がない、
「選択肢をやろう。八塚、お前がまだ家に帰りたいのなら助けてやる。そうでないなら女と一緒に殺す」
じっとりとした沈黙が降りる。
駅のホームに向かって、ガタンガタンと列車が近づく音が聞こえる。
「八塚さん、私を殺してあなただけでも生きて、お願い、私が馬鹿なことを言ったせいであなたまで死ぬことは無いのよ」
椎名の声が耳に入らないくらい僕は混乱していた。
どうにかして僕達二人が幸せに、普通の幸せを得ることは出来ないのか。
「お墓は建てなくていいわ。あなたの心の中でずっと生きさせて。八塚さん」
僕がどういう風に考えても、僕と椎名は一緒に笑いあうことは出来なかった。
「八塚さん」
椎名の声がやっと耳に届く。
僕は椎名を優しく抱き締め、軽いキスをした。
「愛してました。来世があればまたいつか」
列車が到着する寸前、椎名は儚くはらりと線路に降りた。
緊急停止のボタンを押す間もなく、彼女はあっけなく散った。
「椎名、僕は、僕は」
止めることすら出来ないほどに自然に、僕らの関係を死が別つた。

終わり
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