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暫く笠松にシバかれていた黄瀬を――正式には
その背後に佇む女の生霊の様子を眺めていた清花だったが、段々と黒い瘴気を放ち始めたそれに小さく舌打ちをすると一度武内の方へ顔を向けた。
『武内さん、とりあえず黄瀬君を交えて話す必要があります。被害が広がる前に対処したいので、あれ、止めてもらえますか?』
「え、あ…、…ああ。おい笠松!黄瀬!その辺にしろ!!」
珍しく監督の制止の声が放たれ、思わず笠松も驚いたように動きを止めて監督へと視線を向けた。だがその視界、武内のすぐ傍らに見慣れない制服を着た女子生徒を捉え、慌てて視線を彷徨わせる。そんな様子も気に留めず、武内は続けた。
「黄瀬、とりあえず着替えてこい。話はそれからだ。笠松、十分の休憩を入れるぞ」
「あ、はい」
「…うす」
双方ともに返事をすると黄瀬は荷物を持って部室へ、笠松はコートの中の部員達の所へと向かう。それを横目で見送り、清花は武内へと向き直った。
『ありがとうございます。それと彼が来る前に、いつくか先に聞いておきたいことがあります。できる限りでいいので、答えて頂けると助かります』
「ああ…」
『では。まず武内さんは、“菅原静枝さん”をご存知ではなかった、ということでよろしいでしょうか?』
「先程聞いたのが初めてだな。黄瀬のアシスタントということもさっきの話で知ったくらいだ」
『でしょうね。…では次。四月に入ってからの視線は、四六時中感じましたか?』
「…いや、主に部活を行なっているときに感じていた」
『成程…』
ああ、これは確定だ。先ほどの武内の黄瀬への厳しい接し方といい、笠松の制裁といい、ここは随分とスパルタなようだ。だとすれば、相当恨みが深くなる前に根源を絶った方が良いだろうと清花は思案する。
「それで黄瀬と、その菅原静枝という女がどう関係があるというんだ。視線の原因には到底結びつかない」
『決めつけるのはよくないですよ。現に、先ほど黄瀬君と対峙した時に視線を感じたはずです』
「っ!?」
図星と云わんばかりに目を見開いた武内に薄く笑って、彼女は一度コート外へ移動する部員達へと視線をやった。目を細めてよくよく凝らしてみれば、その中に黒い靄がかったそれを身につける者を何人か発見する。考えられる原因は一つしかない、黄瀬との接触だ。
――これは、少々面倒かな。
全員のそれをとり祓わなければいけないのは骨が折れるとまではならないが、その説明時間が惜しいしなにより信じてもらえないのは目に見えている。しかし今後のことを考えれば、そうもいかなくなる。
『当初はストーカーか何かと思って警察に話を持ち掛けたのでしょうが、周辺をあたったところで該当する人物が特定されるわけがなかったんです。自然体で感じ取れたわけではなく第六感で感じ取れたものであり、念を向けられる対象に含まれていたことが神経に拍車をかけましたかね』
清花はやれやれと肩を竦めれば、タイミングよく黄瀬がやってくる。
「すんません、お待たせしましたー……って、どうかしたんスか?」
「早かったな、黄瀬。それじゃ話の続きを――」
『ええ。それと手っ取り早く済ませたいので、…さっきの彼と追加で彼と彼と彼、呼んでもらっていいですか?』
「えっ…?」
『説明は、それからです』
場所を変更して、バスケ部部室。清花は、困惑していた。
「……監督。そちらの美しいお嬢さんはドチラ様ですか!?」
「森山うるせぇ静かにしろ」
『…黄瀬君、あれ
新手の変人?』
「あ、新手…?いや、森山先輩は女の子が大好きなだけで…」
『ああ、あれか…千石さんとおんなじ部類か…』
黄瀬の後ろに隠れて森山の様子を伺う清花は、顔にこそ出さないが内心「うげぇ」と引いていた。頭上からは黄瀬の肩付近にいる女の鋭い視線が降ってくるが気にしない。
(なんでイケメンって残念な人が多いんだろう。部長も絶頂!だなんて連発しないで黙っていればモテるし、謙也さんだって馬鹿みたいにスピードに拘らなければ爽やか系お兄さんだし、ユウジ先輩だって……モーホーじゃなければ十分見れるのに)
ああ、本当にイケメンなんて残念な生き物だなどと考える清花の頭の中に、財前という親友の存在は別格として取り除かれていることに本人は気づいていない。奴とてその毒舌が過剰すぎるゆえに遠巻きにされてしまっている。
「それで監督。これはいったいどういうことですか?」
「それはいまから彼女が説明してくれる」
小堀の問いかけに目を眇めて答えた武内は、長身軍団を目の前にしても怯まない清花へと視線をやった。彼女は森山に細心の注意を払いながらおずおずと黄瀬の後ろから姿を現すと、笠松が一瞬にして視線を逸らしたのでおやと瞠目するが、姿勢を整えると目礼する。
『練習の時間を割いてしまったことはお詫びします、すいません。皆さんに集まって頂いたのは他でもない、最近皆さんの感じる“視線”についてです』
「なっ…ちょっと待て!俺以外に、こいつ等も感じていたというのか!?」
驚き声を上げた武内を一瞥して、清花は彼らの反応を伺う。少なからず各自心当たりがあるのか、微妙な顔をしたり驚いていたりと様々な反応を見せてくれる。
「黄瀬目当ての女子ギャラリーの視線じゃねーのか?」
「オレもそう思っていたんだが…もっと間近から見つめられている感じがしていたな」
「オ(レ)もっすね!」
「ちょちょ、待ってくださいよ!オレ視線なんて感じないスよ?」
『当人は気づかなくても仕方ないでしょうね。黄瀬君以外を敵視する視線だから』
それにぱちくりと瞬いた黄瀬が清花を見下ろして「オレ、以外…?」と尋ねる。彼女は大きく頷いて見上げると、虚ろな目と視線が交わる。男に向けるものよりもかなり鋭いのは同性ゆえだろう。
『うーん…こうなると口で言っても聞き入れるのは難しいでしょうからね。“視た”方が早いです』
「何言って…」
清花は
ぱちん!と弾指すれば、ぐらりと全員の視界が一瞬霞がかったようになる。だがそれはすぐに晴れ、目を擦りいったい何なんだと森山が黄瀬を見上げた瞬間息を呑んだ。黄瀬の背後――ちょうど
顔の真横あたりに、髪をふり乱した女が今にも殺しそうな双眸で自身を見下ろしていた。
「ぎゃあぁぁああぁああ!!!!!」 悲鳴をあげたのは早川で、武内に至っては白目を剥いて気絶している。他は信じられないといったようにそれを凝視し、当人である黄瀬は「えっえっ」と困惑した表情に変わる。
「ちょ、いったいなんなんスか!?」
「黄瀬…おま、それ…」
「えぇっ?」
「顔の横にいる奴…!!」
笠松が自身を、正確には顔の横を指出すので、なんだと振り向いた黄瀬は瞬間心臓が凍りつく。ぎらぎらと目を輝かせる化物に、「ひっ…!」と短い悲鳴をあげた黄瀬はその場に尻餅をつくが、それも同時に動くので逃げられない。
「なっ…なんだよコレ…!!」
『これが視線の正体ですよ。…依頼主に至っては、気絶してしまったみたいですが。皆さんの方が肝が据わっていらっしゃる』
「三輪さん!コレどういうことなんスか!!?」
『…まだわからない?彼女、菅原静枝さんだよ』
「………え?」
正確には、彼女の生霊だけどね。と告げた清花に背筋によからぬものが走った。
ワケがわかっていない黄瀬以外は「誰だよなんの話だよ」状態だが、黄瀬は顔を蒼白にしてかたかたと小刻みに震えている。
清花はそんな黄瀬へと向き直ると、座礼するようにと命じる。黄瀬はその言葉に従っておずおずと正座をし浅い平伏の姿勢をとる間、彼女は一心に般若心経を唱えそして二本指で円を描くきながら呪文を口にする。
『《
阿毘羅吽欠裟婆呵 阿毘羅吽欠裟婆呵…》』
一つ唱え終わると円の中央を突き、また円を作って突く動作を繰り返していれば、ゆらりと女の生霊が悶えながら黄瀬から離れていく。それに『《縛》』と短く唱えて動きを封じ、浄化の祓詞へと移行する。
『《
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の 小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す》』
どす黒い靄のようなものを醸し出していた生霊は、徐々に靄と共に消え去っていった。清花はそれを見送ると呆然とする一同の肩を順に叩いて靄を祓っていき、鞄の中から小さな巾着袋を取り出し中に入っていた塩を摘まんで黄瀬から順番にふりかけていく。そしてぱんっ!と柏手を一つ打ち、部室内の浄化を済ませるとふーっと深く息をはいた。
『はい。これにて浄霊終了です』
お疲れ様でした、と微笑んだ清花に生気を失くした彼らの反応はなかった。
海常騒動 U
Chapter.2 Impromptu