体育は嫌いだ。体力はないしうまく出来ないし、そもそも興味などまったく持っていない。
 ライナーと違ってすぐに息を切らした私は酸素を吸い込むことに必死で、止まってと言うことすら出来ない。帰る生徒のあいだをすり抜けて走るライナーの手を振りほどいてようやく止まれたのは、数分後だった。文句を言おうにも、空気を体内に取り込むだけで精一杯だ。



「ど、いう、つも、り」
「大丈夫か」



 伸ばしてきた手をはねつけ、息も乱れていない巨躯を睨みつける。謝ってほしいわけじゃないのに、ただ静かに謝罪の言葉を口にする男を殴ってやろうかと思った。体力が戻ってないから、まだしないけど。



「まあ、謝らなかったら、それはそれで殴るけど」
「……っ、こっちだ!」



 甲高い女生徒の話し声が聞こえてきて、ライナーははじかれたように顔をあげた。数人ぶん聞こえる声がだんだんと近付いてきて、ライナーが焦ったように近くの教室のドアを開けようと試みる。
 しかし理科室と書かれたそこは鍵がかかっていた。ライナーは一瞬のちに決意したように、となりの教室のドアを開ける。手首を握られて、教室に無理やり連れ込まれた。文句を言う暇もなく備え付けのロッカーをあけ、ぎゅうぎゅうと押し込まれる。幸いにもバケツやほうきは入っていなかったとはいえ、狭いし埃っぽい。続けて巨体が押し込まれて、ドアが無理やり閉められた。



「ちょっとライナー! ふざけないで!」
「静かにしてくれ」



 狭いロッカーに無理やりふたりして入り込んでいるせいで、体勢も変えられない。ビンタも出来ないことが悔しくてライナーを蹴ると、わずかに呻いて、もう一度静かにしてくれと懇願された。生徒の話し声が、近い。



「ねえ、本当にここなのー?」
「うん、アタシが指定した」
「ライナー来るかな」
「来るよ。だってアタシが呼び出したんだよ?」



 教室のドアが開けられて、三人ぶんの話し声が入り込んできた。呼吸をすれば居場所がバレてしまうとでもいうように、ライナーが息をひそめる。そうっとロッカーの隙間から教室を覗くと、そこそこ派手に着飾った女が鏡で身だしなみをチェックしていた。上履きの色からして、あれは三年生だ。
 ここで出ていけば、面倒なことになるに違いない。密着したライナーは体をこわばらせて緊張しながら、祈るようになりゆきを見ている。少女たちの声にまぎれるように、ひっそりとライナーを問いつめた。



「ちょっと、説明してよ」
「……あの一人に告白された。断ったがしつこくてな。一緒にいるところを見られると、嫌だろう」



 いまさらすぎる言葉に眉をしかめる。そんな気遣いをする余裕があるなら、廊下で手を離せばよかったのだ。私はライナーと関係ないのだし、あの女生徒とすれ違っても問題ない。



「俺と名前の噂が広がっている。姿を見たら何か言ってくるだろう」



 あんたのせいでね。思いきり睨むと、申し訳なさそうに眉がさがった。股間を蹴ってやろうかと拳を握りしめて行動にうつす直前、ライナーに告白したと思われるリーダー格の女がだるそうに口を開いた。



「あいつ来ないんだけどー。アタシを待たせるとか、いい度胸してんじゃん」
「一回告白して駄目だったんでしょ?」
「あんなの、アタシの気をひくために決まってんじゃん。名前とかいう女と付き合ってるとか噂流れてるけど、あれもアタシを振り向かせるためだから」



 ライナーの顔が険しくなる。赤く下品に光るくちびるからは、私の悪口が次々にあふれでてきた。陰気だとかブサイクだとか性格が悪いだとか。あんたには言われたくない。
 いっそのこと出て行って殴ってやろうか。まずはあの天ぷら食べたあとみたいな口を思いきり、



「……名前」
「何。いま考え事してるんだけど」
「好きだ。嘘じゃない。俺は名前が好きだ」



 熱に浮かされたように何度も愛を訴える姿は、いつになく真剣だ。教室のなかで私への悪意をまき散らしている女の発言を否定しようとしていると、すぐにわかった。そんなこと言わなくても、あの性格悪い女の言っていることが本当でも、私はかまわないのに。
 ライナーに肩をつかまれる。どうでもよくて返事をしていないことを、疑っていると解釈したらしい。頭のなかで女を殴りつけるのに忙しくて、口を開くのもめんどうくさいけど、このままだともっと面倒なことになりそうでライナーに向き直る。



「名前。好きだ……」



 思ったより近くに顔があってかたまった。肩を掴んでいた手はいつのまにか背中にまわされていて、余裕なく抱きしめられる。くちびるにライナーのくちびるがふれた。ふれあうだけのものがくすぐるようなものに変わり、口内に舌が入り込んでくる。
 必死に異物を押し出そうと動かした舌がからめられ、すべてを知ろうと動き回った。足ががくがくと震える。押し返そうとしていた手は、いつのまにかライナーのシャツを掴んでいた。何かにすがっていないと座り込んでしまいそうな状況に気づいているのか、まわされた腕は私のすべてを支えている。



「ら、いなー、んっ、や……」
「好きだ……」



 かすかな制止の声も、欲望にとりつかれたライナーには聞こえていない。気付けば教室には誰もいなくなっていて、くちびるが麻痺していた。どれだけキスをしていたかもわからないまま、ようやく終わった蹂躙に息を吸い込む。よろよろとロッカーを開けて、もう暗くなっている教室に転がり出た。



「名前……」
「このっ……死ね!」



 弁慶の泣き所にそれぞれ一発ずつ、しゃがみこんだ背中に蹴りを入れて走り出す。足が震えているのは知らないふりだ。何もかも、知らないふりをするのが一番楽だから。



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