「ベルトルト・フーバー。話がある。わかっているわね」



 様々な思惑をはらんだ視線につきまとわれ、隙さえあればライナー・ブラウンが話しかけてこようとする状況に、ついに一番背の高いこいつに話しかけることになった。ライナーとは話したくないから、必然的にあの変態と一番仲がいい相手を選ぶことになる。
 ベルトルトはわかっているというように頷き、ライナーに視線で合図して教室を出た。放課後の学校は、帰る人や部活に行く人で賑やかだ。その隙間をぬって、誰もいない屋上付近まで階段をあがっていく。喧騒が遠く響くところまで来て、怒りを隠すことなく振り返った。



「あの変態をどうにかしてちょうだい。嫌がる女を無理やり襲うのが趣味だなんて、優等生が聞いて呆れるわ」
「それに関しては、ライナーが全面的に悪いと思っているよ」
「それに関してもどれに関してもよ!」



 階段のせいでうまく詰め寄れないのが悔しくてたまらない。声を荒げる様を、ベルトルトはどこか冷静に観察するように見つめてきた。
 段差で、いつも上にある頭がいまは同じくらいの位置にある。雰囲気まで暗い階段のせいで、ベルトルトの瞳が黒く鋭く見えた。こんな近くでベルトルトの目を見たのは初めてで、なぜか恐怖を感じる。自分がここまで連れてきたくせに、彼の口が開くことが、恐ろしくてたまらなかった。



「ライナーは良くも悪くも一途だ。僕は何度もやめるように言ったんだけど、考えは変わらなかったみたいだね」
「なにを、言ったの」
「今ならわかるでしょ? ライナーが告白したんだし」



 あっさりと誰にも知られたくないことが暴露されて、息がつまる。掠れた声でライナーが言ったのか聞いたのに、ベルトルトはうっすら笑うだけで何も答えてはくれなかった。
 目の前にいるのは、誰。いつもライナーにくっついて自分の意見は言わないでどこか自信がなさそうな、私が認識しているベルトルトじゃない。



「君は物事をはっきりさせたがる節があるね。何でも直球に言うし、そこらへんにいる女子のように集団で行動したがらない」
「……それが何」
「だからこそ、はっきりさせておかないと」



 長い腕が、すっと伸びてきて頬をなでた。びくりと動く体が、階段のうえで危なく揺れる。それをあっさりと受け止めて、ベルトルトは距離を縮めてきた。
 ──これが恐怖だと気付くまでに、数十秒かかった。その長すぎる空白のあいだに、ベルトルトは私が受け入れたものとみなしたらしい。腕がふれるかふれないかのところで回されて、顔が近付いてくる。閉じていく瞼。ふれそうな吐息。



「や、めて!」



 必死に腕を振りほどいてベルトルトを突き飛ばす。ここが階段だと思い出して慌てて状況を確認したが、彼は私がこうすることがわかっていたらしい。危なげなく手すりを掴んで、この場にそぐわないほどゆったりとした笑みを向けてきた。



「いま僕を拒んだのに、ライナーは受け入れたのはどうして?」
「っそ、んなの、いきなりだったからに決まってるじゃない」
「いまのもいきなりだったでしょ? 一度目のあと、拒否なんていくらでも出来たはずだよ」



 ベルトルトの言葉が、じんわりと空気に混ざってまとわりつく。神経を麻痺させる甘い毒みたいに、背筋を痺れさせて思考を鈍くさせる。この場の支配者はベルトルトだ。



「僕を拒んで、ライナーは受け入れた。これは揺るぎない事実だよ」
「……レイプされた人にも同じことを言う気なの。結果でしか物事を見ない人って嫌いよ」
「それと同等にしてもらっては困るな。だって君は、ライナーのことが嫌いじゃない」
「嫌いよ。大嫌い」
「君は嫌いな人が相手なら、どんな状況であってもキスなんかしないはずだ」
「私のことを勝手に語らないで」
「僕は君より君のことを知っている。その証拠に、君の気持ちを言い当ててみようか。ライナーにキスされたときに感じたのは、嫌悪じゃない。怒りだ。それも、キスしたことじゃなく、どうして許可を得てキスしなかったのかということに怒っている」



 違うと言いたかった。大声でなりふり構わず、あんな奴死んでしまえばいいと叫びたかった。それなのに出来ないのは、支配者の意思がこの場を掌握しているからだ。
 だってベルトルトが言っているのは、行為そのものではなく、心構えをする前にキスされたから怒っているということだ。そんなことはないのに、怯えたようにベルトルトから距離をとることしか出来なかった。



「ね、君は君の心を知らない。僕は意地悪でこんなことをしたいわけでも、話したいわけでもない。僕だってライナーの好きな人に嫌われたくないからね。ただ僕は──長年の片思いが早く実るように、願っているだけだよ」



 ごめんね、と最後に謝って、ベルトルトはあっさりと階段をおりていった。長身が消えて、立ち去る音が部活の声だしに紛れて聞こえなくなっても、動けなかった。ベルトルトが怖いんじゃない。見ないようにしていた自分を突きつけられたのが怖かった。
 のろのろと手足を動かして、下駄箱へと向かう。今日は早く帰りたい。さんざんな一日だった。

 足を引きずるようにして下駄箱まで行くと、どこからか小柄な生徒が飛び出してきた。見たことのない顔とうわばきの色からして、一年生らしい。ストレートに揺れる髪と緊張しきった真っ赤な頬をして、彼女は目の前に立ちふさがった。



「あの、すみません! すこしお聞きしたいことがあるんですが!」
「……明日にして。今日は疲れてるの」
「ライナー先輩と付き合ってるって、本当ですか!」



 明日にしてって言ったじゃない。下駄箱にいた生徒がいっせいに立ち止まって聞き耳をたてているのを感じて、拒否しようと口を開いた。

 ──君はライナーが嫌いじゃない。
 不意にさきほどの言葉がよみがえって、開きかけた口が止まる。違う、私はあんなやつ大嫌いよ。偽善者で優等生ぶって誰にでも手を差し伸べるような、あんなやつ──。



「名前! 来てくれ!」



 思考を中断したのは、突然あらわれたライナーだった。手を掴まれて走り出すのに、わけもわからず足を動かす。質問をしてきた彼女が絶望を見たような顔をするのが視界のすみに映ったけど、すぐに見えなくなった。



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