どすんという音と共に、思いきり尻餅をついた。お尻は痛むが、酒瓶が割れる音がしなかったのでまあ良しとしよう。
痛む腰をさすりながら起き上がると、そこは一係の部屋だった。全員揃っている部屋で、珍しく六合塚さんまで驚いた顔で私を見ている。



「っ名前ちゃん!」
「わ、縢。元気だった?」
「なに呑気に言ってんの!あれから名前ちゃんが消えて原因も不明だし捜索も打ち切りになって!俺が冗談で言ったから……!」
「両親にも友達にも会えたし、帰って良かったよ。ありがとう縢」



抱きついてくる縢の頭をなでて、ゆっくりと部屋を見回した。ひとりひとりの目を見て、出来るだけ綺麗に見えるよう笑いかける。

帰ってきたかったから、帰ってきちゃった。
おどけてそう言うと、ようやく事態を飲み込んだらしい宜野座さんが怒って立ち上がった。うん、やっぱり燿子とは全然違うや。



「何が帰ってきちゃった、だ!あの後どれほど騒ぎになったか、」
「何故帰った!!」



怒る宜野座さんの声を上回る怒声に、部屋中の視線がいっせいに征陸さんに集まる。怒りで体を震わせながら、荒々しく近寄ってきて私の腕を掴む姿は、いつもの征陸さんじゃないみたいだ。とっさに縢が退いたせいで、軽々と体が持ち上げられる。一瞬だが全体重がかかった腕が痛んだ。



「自分の時代に戻ったんだろう!どうして帰ってきた!」
「征陸さん」
「薄々気付いていただろう、過去から来たという人間を執行官にした意味を。俺たち以上に犬として扱われ、モルモットにされるかもしれないんだぞ!」



征陸さんが怒ったのを初めて見た気がする。どんな状況でも冷静に判断出来て、声を荒げることさえ滅多にないのに。驚いたように征陸さんを見る人の視線が、珍しいと思っているのが私だけではないと教えてくれた。



「過去では、潜在犯なんて扱いはされなかったはずだ。好きな時に好きなところへ行けただろう。自由だったはずだ。どうして、戻ってきた……!」



絞り出すような声に、掴まれている手から力が抜けていくのを感じる。もう私でも簡単に外せる手を、躊躇ってからそうっと触った。……征陸さんだ。本当に、征陸さんだ。夢じゃない。
震える指先に感じる熱に、出来るだけ泣くのを我慢して征陸さんを見上げる。征陸さんが辛そうな顔をしているのを見て、涙がひとつぶ、勝手に流れ落ちた。



「好きなことを、出来ても……!自由でも!過去には、征陸さんがいない……!」
「……嬢ちゃん」
「嫌だっていうなら、もう話しかけません。迷惑だっていうなら、一日でも早く好きじゃなくなるようにします……!」



声が勝手に震える。諦めきれずに未来へ戻ってきて、征陸さんと幸せになれたらいいと思っていた。それなのに征陸さんを目の前にすると、嫌われたくないという思いが一番に出てきてしまう。ぼろぼろと泣きながら、それでも征陸さんを見つめ続けた。



「だから、お願いです!お願いだから……傍にいることだけは、許して……!」



知らないうちに伸ばされた手が握られることはなかった。ぐいっと引き寄せられて、征陸さんの胸に飛び込む。懐かしい征陸さんのにおいに包まれて、あたたかさにくるまれて、目を見開いた。



「馬鹿野郎……言っただろうが。俺は家族に許されないことをした男だ」
「征陸、さん……」
「離婚して、息子には憎まれている」
「……知って、ます」
「──嬢ちゃんの気持ちを知って、突き放した男だ。ほかの男に押し付けようとした男だ」
「知ってます。全部全部、知ってます!それでも……それでも」



息も出来ないほどきつく抱きしめられる腕のなかが幸せで、このまま死んでしまいたいと思った。
征陸さんを抱きしめ返したくてでも出来なくて、行き場を求めてさまよっていた腕を勇気を出して動かす。そっとコートの裾を握ると、抱きしめられる腕に力がこもった。震えながらそうっと背中に腕を回す。



「私が出会ったのは、バツイチで、私と同じくらいの息子さんがいる征陸さんです」
「……」
「征陸さん、私……」
「その先は言わねえでくれるか。さすがに女から言われたら男の沽券に関わる」
「す、すみませ、」
「違う、そうじゃない。──こんなどうしようもない、呆れられても仕方ない男だがなぁ。どうも俺は嬢ちゃんが好きらしい」
「……ま、さおか、さん」
「もう嬢ちゃんなんて呼んじゃあいけねえな」



言葉は出なかった。有り得ないと思っていた展開についていけず、実感がわく前に泣き始める。何度も言われた言葉を噛みしめる私を抱きしめて、首に顔をうずめてくる征陸さんにしがみついて、ただ泣いた。
泣いて嗚咽を漏らしながら、好きだと繰り返し子供のように告げる私に、征陸さんは律儀に返事をしながら背中をなでていてくれた。お母さん、お父さん、燿子。私、いま幸せで死にそうだよ。



「……嬢ちゃん……っと、寝ちまったか。すまないな、こんな場面を見せちまって」
「いやー……とっつぁんがこんなことするなんて思ってなかったから驚いたけど……良かったじゃん」
「苗字さん、征陸さんのことが好きだったんですね」
「……上に報告しにいってくる」
「すまねえな、宜野座監視官。見苦しかっただろう」
「……知らん」
「それにしても、苗字がこんなに泣いた挙げ句寝るなんて思わなかったな」
「ああ、コウは見るのが初めてか。嬢ちゃんは泣いたら寝ちまうらしい」
「たぶん、そんなことになるのは一人の前だけだと思うけど。志恩に報告してくるわ」



……ゆらゆら、揺れる感覚がする。小さい頃、こたつで寝てしまった私を運んでくれたのと同じ、安心する感覚。まぶたに順番に落ちてくるぬくもりを最後に、暗くあたたかい泥のなかに沈んでいった。


TOP


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -