どうか今日は何も事件がありませんように、という私の思いが通じたのかもしれない。狡噛さんに習った仕事を必死に頭に詰め込んで実践している間、飛ぶように時間がすぎていった。
昨日の事件のことで初めて報告書を作成し、ひいひい言いながら書き終える。見本があるのはありがたかったけど、初めて作ったからミスも多い。それを怒らず根気よく教えてくれた狡噛さんは、ぶっきらぼうなのに優しい声をしていた。



「嬢ちゃん、メシ食いに行かねえか」
「はい、わかりました」



昼休みに征陸さんから誘われたのは初めてだった。お先に失礼しますと部屋を出て、征陸さんのとなりを歩きながらできる限り道を覚える。この建物はどこも同じような景色で、一人で歩くと迷いそうだ。
きょろきょろしながら歩く私の気持ちがわかったのか、征陸さんは説明しながら歩いてくれた。ここが会議に使う部屋で、こっちは刑事課二係の部屋、ここは資料室、物置。



「要するに、だ。一係の部屋を出て左にまっすぐ、二番目の曲がり角を右、突き当りを左だ。それで食堂に着く」
「……迷わないように善処します」
「はは、そのうち覚えるだろうさ」



今日はストレートにした髪の毛が歩くたびに揺れる。征陸さんからしたら低いところにあるだろう頭を義手でなでられ、思わず上にある優しい顔を凝視した。私の視線に気付き、征陸さんは手を下ろして申し訳なさそうな声で謝る。



「悪いな、嫌だったか」
「いえ……誰かになでられたの、久しぶりで。嬉しかったです」
「そいつはよかった」
「征陸さんさえ良ければ、いつでもなでてくださいね!」
「嬢ちゃんがいいならな」



こういう言葉にも慣れているのであろう返しは、するりと胸のなかに入り込んだ。割れやすいしゃぼん玉のように優しい声が胸の中でふわふわと揺れて、懐かしいようなあたたかい気持ちになる。
これも征陸さんの人格の成せることだろうと、食堂に入って並んで注文をした。昨日がっつり肉を食べたから、今日は肉うどんにしよう。



「うっ……やっぱりまずい……」
「昔に比べれば味は落ちるだろうなあ。栄養管理は完璧だが」
「征陸さんは、これをおいしいって思います?」
「昨日みたいなのを食えば、おいしいだなんて言えなくなるさ」
「ですよね……」



出汁のきいていないうどんを啜りながら、たわいのない話をする。昨日は初めて男4人で飲んだこと、酒もすすみ雰囲気も和やかだったこと。それをあまりに征陸さんが幸せそうに話すものだから、こっちまで嬉しくなる。
宜野座さんは真面目だから、男ばかりのなかで女ひとりが酒を飲むことを良く思っていなかったらしい。部屋にいるのは潜在犯だからという事で、私が襲われることまで可能性に入れていた脳みそは、ある意味素晴らしいと思う。



「そんなことないのに……宜野座さんも頑固ですもんね」
「そう言ってやるな。あらゆる可能性を考慮し対応を考えるのが監視官の仕事だ。……まぁ真面目なのは否定できねえが」



苦笑するように言う征陸さんの声は、私に向けられるものより些かあたたかい。宜野座さんと征陸さんは仲が悪いと思っていたけど、これを見る限りでは宜野座さんが一方的に嫌っているんだろう。でも宜野座さんも本当に心底親の敵みたいに征陸さんを嫌ってるわけじゃないと思うんだけど……。



「征陸さん、宜野座さんのこと大事なんですね」
「……そうさな、優秀な監視官は滅多にいない。この人手不足を見ればわかるだろう?」
「そういうことにしておきます」



笑って征陸さんの顔を見ないようにうどんを啜ると、視界の上のほうで困ったように笑うのが見えた。それに気付かないふりをしながら胃袋を満たすためだけの食事を終える。食事というよりは栄養補給といったほうが正しいのかもしれない。
続いて定食を食べ終えた征陸さんは、コーヒーでも飲むかと誘ってきた。頷いて食器を返し、斜め前を歩く背中についていく。ここまでするということは、何らかの話があるのだろう。思い当たることが多すぎて一つに絞りきれない自分の行動が恨めしい。

誰もいない廊下のソファに座ると、コーヒーが差し出された。それを笑顔で受け取りお礼を言う。お金を払うと言ったがよく出来た口に丸め込まれ、納得しないうちに本題を切り出されてしまった。こうなるともうコーヒーのことは言い出せない。



「……俺もな、嬢ちゃんと同じような道を歩んできた。刑事として生きてきたある日、突然シビュラシステムの存在を聞かされ、そっからは潜在犯扱いだ」
「そうだったんですか……」
「納得がいかなくてなぁ……いきなり機械に任せきりにするだなんて。いくら抗議しても聞いちゃもらえなかった」
「そう、思いますよね」
「ああ。シビュラに反発してる間に色相は濁り係数はあがり……今じゃ立派な執行官ってわけだ」



間を置くようにコーヒーを飲む征陸さんにつられて、コーヒーを口に含む。この時代はコーヒーまでおいしくなくなってしまったようだ。コーヒーの香りだけがする泥のような液体は、先程のうどんと同じような味がした。



「嬢ちゃんの気持ちはよくわかる。反発する気持ちも、受け入れられない気持ちも、文句を言いたい気持ちも」
「……すべてを受け入れてないわけじゃ、ないんです。ただどうしても納得出来ない部分があって」
「長年かけて諦めがついた奴が言うことじゃないのかもしれないが、嬢ちゃん、このままだと係数がどんどん上がってくぜ」
「そんなもの、気にしたこともありませんよ」
「上がりすぎたやつは、執行官だろうと執行対象だ」
「それでも……また自分を殺して、誰かのいいなりになるだけの人生は嫌です。何で未来に来たかはわかりませんが……どうせなら、したいことや自分の出来ることをするために来たって、信じたいです」
「……嬢ちゃんは、強いな。これも若さってやつかねえ」
「常守さんに比べたらもう歳ですよ」
「はは、そうかもな。……嬢ちゃんがどう思おうが、それを誰も止めることは出来ない。だがな、監視官ふたりの係数が上がることだけはあっちゃいけない。監視官は執行官を監視し管理する者。シビュラを疑うようなことがあれば、二人も執行官落ちだ」



征陸さんの真剣な言葉に、最後の最後に付け加えられたものが本題だったと気付く。何だ、やっぱり宜野座さんと常守さんのことが大事なんじゃない。征陸さんの言葉に頷いて、コーヒーを飲み干した。もういい時間だろう。



「ありがとうございます。私なんかより、みんなのほうがよっぽど疑問に思ってるだろうに、言いたいこと、言っちゃって。これからは言わないようにします。でも、考えるより先に言葉が出ちゃうことがあって……出来るだけ、ですけど」
「それでいい」
「言い過ぎたら止めてくださいね」
「そうするさ。さて、もう行くか」
「はい」



立ち上がって歩き始めると、大きな手が伸びてきて空になったコーヒーのカップを奪った。それを握りつぶしてゴミ箱にいれ、道案内でもするようにほんの少しだけ前を歩いてくれる大きな背中を見つめる。入ったばかりだけど、私のことも大事にされてると思って、いいんだろうか。
頼れる背中に、ようやくとっつぁんと呼ばれる影を見る。とっつぁんと聞くと、どうしても征陸さんより先にルパンが出てきてしまうのは、もう仕方ないことだと思うけど。


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