部活が終わってしばらくすると残っている部員は半分になり、もう一時間もするとごく少数となる。黒田は部室にだらしなく腰かける真波を注意したが、真波は上の空ですこしばかり姿勢をよくしただけだった。
 12月に入るとどこでもクリスマスの宣伝で忙しく、街は赤と緑に彩られていた。クリスマスまであと二週間ほどとなると、CMすら絶え間なくクリスマスだと騒ぎ立てる。そう、クリスマス。恋に踊っている男女にとってはとてつもない一大イベントである。
 泉田にまで注意されてようやくきちんとベンチに腰かけた真波は、部室にかけてあるカレンダーをめくりながらふたりに声をかけた。いま部室には今後の方針を相談しおえた泉田と黒田、そして先ほど部室のドアを開けた真波しかいない。名前も銅橋もいない今がチャンスだった。

「泉田さん黒田さん、クリスマスどうしたらいいと思います? あ、バシくんと名字さんのことなんですけど」

 ようやく真波がだらしなかった理由がわかり、ふたりとも腕を組んで考えはじめた。泉田と黒田は、銅橋が手紙を渡した日のことをひそかに共有していたが、それからふたりの進展はないとみていた。
 銅橋が告白の返事をするまで名前は待つ。自分の思いが伝わっているのかすらわからなかった関係がはっきりして、名前と銅橋は前より自然に話して笑いあえているように見えた。そのふたりのあいだにいる真波も鈍くはない。なにかあればすぐ気づくであろう真波がクリスマスの心配をしているとなると、あいかわらず焦れったい関係を大切に育んでいるのだと結論づけた黒田は、視線を真波に向けた。

「おまえはどうなってほしいんだよ」
「どうって……んー、とりあえずプレゼント交換くらいはしてほしいんですよね。名字さん、後悔するとずっと同じこと言って鬱陶しいし」
「真波、もうすこしオブラートに包むように」
「泉田さんはあの名字さんを知らないからそう言えるんですよー。もう、バシくんがいないあいだずっと同じこと言ってて、相槌うたないと怒るし」

 そうまでして名前の話を聞くことに驚きつつも、泉田はめんどうくさい名前を想像した。めんどうくさいとすぐ離れて人間関係なんて気にしていなさそうな真波がここまで付き合うのは、ひとえに名前の人柄ゆえだろう。
 あの日真波をかばい、泣き、ビンタした名前。奥手な彼女がそんなことをするなんて、どれだけ勇気が必要だっただろう。口うるさくはなっても結局は自分のために言っているとわかっているから、真波も最後には名前の言葉を飲み込むのだ。

「じゃあ、真波の家にふたりを招待でもしてみればいいんじゃねえの。たしか実家から通ってんだろ」

 黒田の提案に、真波はあっさり首をふる。

「オレ、自分の部屋を恋愛の背景に使われたくないんで」

 身も蓋もない言葉を言われると、相槌すら打てずただ沈黙を守るしかない。

「24日は終業式で、その日の部活は大掃除をして終了だったね。25日からは通常の練習がはじまるし、24日にふたりでパーティーでもするように言ってみればいいじゃないか」

 泉田の沈黙の助け舟に、真波はまたしても首をふった。

「名字さん、大掃除すごく張り切ってるからはやく帰らないと思う。それにバシくんも練習ないぶん自主練たくさんすると思うし、ふたりを説得するのすごく大変なんですよ」

 オレの苦労がわかっていないと拗ねるように怒る真波に、主将と副主将は顔を見合わせた。結局真波は愚痴を言いたいだけのように見える。だがふたりが思いつきでだした案に即答するあたり、真波もいろいろ考えた末での相談なのだ。後輩ふたりの恋路がかかってるいま、適当なことを言って終わらせることはできない。

「じゃあ、寮の食堂が閉まっちまうまえに真波がふたりを適当なとこに呼び出せばいい。そこでプレゼント交換だけして解散すれば銅橋が名字を送ってくだろ。プレゼント交換できて真波の部屋は背景にならない、はやしたてるやつもいねえ。バッチリだろ」

 どうだ、と言わんばかりの黒田の言葉を、真波が何度も自分のなかで反芻してから頷く。ようやく見せた晴れやかな顔に、泉田は息をはいて微笑みを浮かべた。こういうことに疎くいい案を出せずにいた自分と悩んでいた真波を救ったのは、いつでも頼りになる幼馴染の存在だった。

 真波とて、あの日自分をかばったという理由から名前に懐いているわけではない。名前と真波の接点はもっと最初から、お互い忘れてしまうようなところにあった。
 真波が部室にかばんを忘れてしまうのは入部してまもなくで日常茶飯事となり、部員の誰もが興味を示さなくなった。鍵をしめるまでに帰ってこなければ、かばんは寒空のしたドアの横に置かれるか、部室に放置される。真波もそれを受け入れていたし、困ったと言いつつも口だけで本当に困ったようには見えなかった。
 ある日真波が好きに山をのぼってまた遅く部室へ帰ったとき、そこには名前がいた。ほかの部員は名前に鍵閉めを任せて帰ってしまったあとで、真波もまだ残っている人がいるとは思わず驚いた。
 ドアを開けた拍子にふたりの視線が絡む。まだわずかに弾む息を飲みこみ、真波はベンチに置かれている自分のかばんを確認した。

「まだ残るの?」
「もう帰るよ。真波くん、お疲れさま」
「うん、お疲れー」

 まだ名前の名前も満足に覚えてないころだった。
 それから真波は何度か、ひとりで残って作業している名前を見かけた。ふたりの挨拶は短く社交辞令で、それ以上会話することなく終わる。
 だが、二回目に名前に出会ったとき、かばんのほかに明日のプリントを忘れたことに気づいた真波は、めんどうくさいと思いながらしぶしぶ取りに戻った。やるかどうかは家に帰った自分次第だったが、やる気になってもプリントがないとできない。
 忘れ物に気づいて部室に戻るまで、10分もなかっただろう。真波が部室のドアを開けようとすると鍵がかかっていて、耳を澄ませてみても人の気配はなかった。もう遅い時間だから名前も帰ってしまったのだろうとあっさり諦めた真波は、明日の委員長の怒りをどう流すか考えながら愛車に腰かけた。夜風を感じながら気ままにペダルをふむサイクリングは、火照った身体によく合った。

 真波も馬鹿ではない。自分が部室へかばんを取りに行くといる名前と、10分後には消される部室の明かりの関係にはすぐに気づいた。名前の立場なら「だいぶ待ったんだからもっとはやく取りにきて」だの「かばんを持って山にのぼって」と文句を言ってもいいはずだ。けれどなにも言わない。待っていたことすら気づかせない。
 それは優しさだとか思いやりだとか、そういうもの以前に単純に名前の性格だった。選手である真波が気持ちよく山を登れるため、真波にとってかけがえのない思いを尊重するため。真波がこどものように無邪気に大切にしているものを守るために、名前は疲れていて寮の門限もあるだろうに、なにも言わずずっと待っていたのだ。

 真波は名前の名前を覚えた。話しかけることはなかったが、毎日休まず来て仕事をしている名前の、見てすぐわかる変化には気づけるようになった。
 真波は名前に話しかけなかった。真波はインターハイメンバーに選ばれた。真波は名前がひとりになったのを知った。そして、真波は――。

「泉田さん黒田さん、名字さんがプレゼントで悩んでたら相談のってあげてくださいね」

 真波は伸びをして立ち上がった。クリスマスイブの段取りが決まり、晴れ晴れとした顔だ。いずれ歩み寄るふたりに手助けはいらないかもしれないが、お互いに遠慮しすぎているため、一歩間違えば好きあっているのにすれ違うということになるかもしれない。

「名字さんが悩んでるあいだはまだいいんですよ。でも、なにか決めてたらそれを考え直させるのに時間かかるんで、ふたりが言ってくださいね」
「考え直す必要はないんじゃないか? 名字さんが決めたものだろう」
「名字さんの愛、重いんです。バシくんが寒そうにしてるから、手編みのマフラーあげるつもりですよたぶん」

 手編みのマフラー。自分の告白の返事を待っている女子から手編みのマフラー。

「……重いな」
「でしょ」
「ボクも尽力しよう」

 ここにひそかに「名前から銅橋へのプレゼントは既製品にさせる」という会が発足したことを知らないのは、当人たちにとって幸せであるに違いなかった。


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