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 もう寒くなりかけている、朝独特の澄んだ空気が体中に取り込まれていく。秋の朝にはわずかに冬のにおいが混じっていて、あくびをすると新鮮な空気が肺にたまっていった。
 朝練の前の自主練は、かなり早い時間からしなければならない。常勝校の朝練は早くからあるくせにハードだけど、それと放課後の練習だけでは荒北さんを追い抜けそうになかった。悔しいけどそれを認めたらすこしだけ苛立ちが消えて、すこしだけ認識が変わった気がする。
 まだアップも済んでいないせいで、体はあたたまっていない。寒さに肩をすくめながら寮を出ると、学校と量をつなぐ道に誰かいるのに気付いた。荒北さんと名前さんだ。
 ふたりは何か言い合っているようで、しきりに名前さんが荒北さんのジャージを引っ張っていた。それをめんどうくさそうにあしらう荒北さんは、オレを見つけてちょうどいいとばかりに呼び寄せた。名前さんが慌てる。


「おい黒田、こいつと話しとけ」
「はあ?」
「いつもより早いだろ。まだ部室あいてねえぞ」
「荒北さんだって練習できないじゃないですか」
「オレはいいんだよ」


 何がいいのかさっぱりわからない。名前さんは慌てながらオレと荒北さんを交互に見て、歩いていこうとする荒北さんを必死に止めた。が、振り払われてオレのほうに押し出されて、その隙にまんまといなくなってしまった。
 名前さんが慌てながら、申し訳なさそうに見てくる。


「あの、ごめんね。だけど本当に部室はあいてないみたい」


 朝早いのに、名前さんは化粧ばっちりで髪もゆるく巻かれていて、動きに合わせてやわらかそうに揺れた。朝のまぶしい光で、茶色の髪がきらきらと光った。
 透き通ったように見える髪からは、女子特有のいいにおいがして、思わず息を止める。香水なんかじゃないふわりと香るにおいは、最初の名前さんのイメージからまたズレた。


「昨日はメール、ありがとうございました。ちょっとイラついてて思わず送っちゃいました」


 名前さんは大げさなほど首と手を振って、大きな目でオレを見つめた。そこから好意を感じて、少したじろぐ。こんなふうに女子の好意を感じたことはあるが、箱学に入るとオレより顔がよくて運動ができる人がいて、それが自転車部に集まっているものだから、なんだか久々に感じてしまった。どう受け止めていいのかわからない。


「靖友はああいう言い方するから、たまに言い返すんだけど全然聞いてくれないの。ユキちゃんもばしっと言い返せばいいよ」
「言い返してますけど、名前さんと同じですよ。堪えてないしあっちのほうが口が悪い」


 いまの返事のどこに驚く要素があったのか、名前さんは目を丸くしてオレを見て、それから勢いよく下を向いた。傷んでいるようには見えない毛先をいじりながら、ちらっと見てくる。


「あ、えーと……靖友、口が悪いもんね。靖友が勝ってるのはそこだけで、ユキちゃんのほうが運動神経いいと思うし、顔だっていいし、あの、気にしないでね」


 昨日荒北さんに負けたことを言っているんだとわかって、顔に血が集まった。結局一番勝ちたいロードバイクという勝負で勝てていないのに、それ以外で勝っていると荒北さんの彼女になぐさめられても、嫌味にしか思えない。
 昨日の自己嫌悪なんて吹っ飛んで、カッとなったまま口からするっと言葉がでた。


「荒北さんのこと、よくわかってるんですね。あと、ユキちゃんって呼ばないでくれますか」


 昨日と同じ嫌味。嫌味ったらしく皮肉をこめたそれは、文で見ればなんでもないが、聞くとすぐに悪意があるとわかる。
 名前さんはハッとしてオレを見て、それからへにゃっと笑った。昨夜さんざん悩んで後悔して自己嫌悪したというのに、まったく同じことを言ってしまったことに気付いて心臓が早鐘を打った。嫌な汗が背中を伝う。


「あ、の……オレ」
「あはは、ユキちゃんもそう言うんだ! たまに冗談で新開くんとかにも言われるんだけど、本当に靖友のことはわからないんだよ」


 明るい声で言われて、背中を叩かれた。名前さんは笑顔で傷ついた様子はなくて、おかしそうにお腹を抱えて笑っている。


「靖友の言うとおり、生意気な後輩だね。だけど、あの濃いメンバーばっかりいる自転車部じゃ、それくらいがちょうどいいんじゃないかな。あーおかしい、あとで靖友に言っとこ。想像以上に生意気で嫌味言われたーって」
「あの、すみません」
「いいって、気にしないで。あ、そろそろ部室あいてるんじゃない? 私はいまから靖友に電話しなくちゃいけないから。このおかしさをわかってもらわないと」


 名前さんは涙までぬぐって笑い転げたあと、思いきりオレの背中を叩いた。じんじんと痛む背中を押さえてうしろを向くと、べーっと舌を出される。


「お返しよ。じゃあね」


 名前さんはくるりと背を向けてスキップでもするように走り出して、ケータイを取り出した。振り返って意地悪く笑って、ひらひらと手を振られる。
 名前さんはすぐに寮に入って見えなくなってしまって、あたりはしんとした朝の静けさに包まれる。背中をさすって歩き出して、思わずため息をついた。あの人といるとペースを乱されて自己嫌悪に沈み込んで、なんだか疲れる。
 まだ朝練が始まってもいないのに疲れた体で歩き出して、名前さんに嫌味を言うのはもうやめると自分自身に誓った。これ以上自分の汚いところを知ったら、なにもかも憎んでしまいそうだった。


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