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name change


「おい、お前名前になにか言ったか」


 荒北さんがオレを訪ねてきて前置きなんてナシで本題を言ったのは、昼休みのことだった。頭の中に、今朝のことが鮮やかによみがえる。
 どうしてかと尋ねるオレを見て、荒北さんはすっと目を細めた。あの場面を見られていたような気がして、心臓がきゅっと縮んだ。


「あいつ、泣きたいときほど明るくしゃべるんだよ。うぜえ」


 名前さんの、最初は口下手だと言われても頷ける話し方だったのに、途中から口を挟む隙がないほど明るくしゃべっていた姿を思い出す。笑い転げて、涙までぬぐっていた。
 もしかして、あの涙は……。


「朝からしゃべりっぱなしでウザイんだよ。黙れっつっても無視してしゃべりまくってうるせーから、さっさと黙らせてこい」


 げしっと背中を蹴られて、いつもなら怒るところだけど今はそんなことをしている時間すら惜しい。
 自責の念に背中を押されて、後ろでなにか言ってるクラスメイトを無視して走り出した。名前さんを探しながら、あの人のことはなにも知らないんだと当たり前のことを思った。教室にいなければ、どこにいるのか見当もつかない。
 いきなり教室に現れたオレに名前さんの友達は驚いたけど、名前さんはどこにいるかわからないと教えてくれた。名前さんは、機嫌がいい日は一人でどこかに行くんだという言葉にくちびるを噛む。
 荒北さんの言葉を信じるならそれは嘘で、名前さんはとても嘘が上手だということだ。オレの前で笑った名前さんは心底おかしいという顔をしていて、嫌味なんて気にしてないと思わせてくれた。名前さんがそうしてくれたんだ。
 いまのオレにはそれが真実だと思えた。名前さんを探して、人気のない場所を思い浮かべながら走る。こんなふうに全力疾走したのは高校に入って最初の体力測定以来だ。

 必死に探して息も上がって脚がガチガチになってきたころ、校舎裏でようやく名前さんを見つけた。いい天気の昼休みなのに日の当たらない場所は、名前さん以外誰もいない。
 オレの荒い息と、名前さんの押し殺した鳴き声だけが静かに響く。セーターを着るくらいでちょうどいい温度なのに、体は汗ばんで暑かった。
 なんて声をかければいいのか、オレのせいだなんてうぬぼれだったらどうしようだとか、悩んでも仕方ないことが頭を支配する。名前さんはオレの気配に気づいたのか、泣きはらした目でこっちを見た。細い体がびくりと震えて、それから泣いているくせに笑った。


「黒田くんにこんなとこ見られるなんて意外だなぁ。じつは友達と喧嘩しちゃってね、謝ろうと思ってもなかなか謝れなくて。黒田くんがここにいるなら、私は教室に戻って友達と仲直りでもしてくるよ」


 尋ねてもいないことをしゃべった名前さんは、はらはらと涙をこぼしながら、それでも笑った。目にたまった涙が落ちたというように、もう大丈夫だというように笑う名前さんは綺麗で、ぐっとくちびるを噛んだ。
 なんで黒田くんなんて呼ぶんだよ。今朝までユキちゃんって呼んでたじゃねえか。呼ぶなっつったあとも呼んでたじゃねえか。それなのに何でいまはそんな呼び方なんだよ。


「ここ、誰も来ないから好きなことできるもんね。私はもうここに来ないから、ゆっくりしても大丈夫だよ。あっもしかして靖友にまたなにか言われた? ちょっと言いすぎだって言ってくるよ、いつも適当な返事しかしないんだから」


 立ち上がって歩きだそうとする名前さんの手首を掴む。名前さんは驚いた顔をしてオレを見て、また何かしゃべろうとした。やけに明るい声が飛び出る前にと口を開く。


「……泣きたい時ほどよくしゃべる」


 掴んだ手首からでも伝わるほどビクッとした名前さんは、大きな目を見開いてオレを見た。涙で薄い膜ができた瞳が、空からのわずかな光を宿してきらきらと輝いた。
 赤い鼻と目と、ボタンをひとつしか外していないシャツ。それがまた名前さんのイメージを変えて、逃がすもんかと手首を握る手を意識した。


「すみません。謝っても許されないと思いますけど、本当に……すみません」
「え……」
「ユキちゃんって、呼んでいいです。呼んでください。今朝は、その、イライラしてて……すみませんでした。名前さんに八つ当たりしました」


 名前さんの目に、みるみる雫がたまっていく。大粒の涙が、前の涙が落ちてできた道を流れていった。
 ぽろぽろ落ちる涙を隠そうとする名前さんの手を掴んで、もう一度謝る。名前さんは控えめに鼻水をすすった。


「ち、がうの。そんなこと、気にしなくていいんだよ。友達と喧嘩したから、黒田くんの言葉が胸にしみるの」
「ユキちゃんって呼んでください」
「無理して呼んでたの。ずっと黒田くんって呼んでて、話しかけるとき初めてユキちゃんって呼んだの。だから、ユキちゃんなんて呼ぶ資格なんてないんだよ。私の浅ましい思いに、黒田くんは気付いてたんだよ」
「気付いてません」


 そんなふうに泣きながらオレへの思いを口にされると、こんな状況なのにどきどきしてしまう。勘違いしてしまいそうになる。気付かれないように細く深く息を吸い込んで吐く。
 名前さんはきっと、恋愛感情なんてものは持たずにこんなことを言ってるんだ。発情期じゃあるまいし、泣いた女見て興奮するとか変態か。


「認めなくてもいいです。オレが勝手に謝りますから」


 名前さんの細い脚がふらついているように見えて、手首を掴んだまま座る。名前さんもさっきまで座っていたところに座って、ひざに顔をうずめてしまった。短いスカートがきわどいところまで隠して、気付いていないふりをして斜め上を見る。


「あー……えーと、荒北さんはなにも言わないんですか? こんなところで名前さんが泣いてるのに」
「靖友は、気付かないふりしてくれるから。優しいよね」


 泣きながら笑う名前さんに同意はできなかったけど、心底そう思っているらしい名前さんを否定することもできなくて黙る。
 彼女が泣いてるときに放っておくのが優しさだなんて、オレは思わない。だけど名前さんは荒北さんのそんなところがいいんだろう。

 掴んだ手首は細くて、回した指先が余って仕方なかった。白い肌。やわらかそうな髪から出ている小さな耳。すらっとした背中。
 あいている手で顔を覆う。こんなとこ誰かに見られたら終わりなのに、手を離そうとは思わなかった。人がいなくて、よかった。


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