名前はとても落ち込んでいた。おろおろしながら意味もなく手を上げ下げする東堂は、手と一緒に口もぱくぱくと動いていた。声は出ていないが。
 昨日は名前とあまり話せず、起きたら自分の部屋だったのだ。だから今日はたくさん話そうとうきうきしながら来てみれば、泣きそうな名前のお出迎え。きゅっとくちびるを噛み締めた名前は、ようやく口を開いた。



「──ごめんなさい」
「何がだ!?」
「私、知ってたの。ここで物を出すのは、とても疲れるって。それなのに、尽八といるのがあまりに楽しくて……すっかり忘れていて。ごめんなさい」
「気にすることはない。疲れてなんかいないぞ」
「でも……尽八になにかあったら、私のせいだわ」



 耐えるように顔を伏せてときおり肩を震わせる名前に、東堂は慌てながら口を開いた。もう名前が泣くところを見るのは嫌だった。



「ど、どんなふうに疲れるんだ? オレは疲れたなんて思っていないんだが」



 それは本音だった。むしろ毎晩ここに来るのを楽しみにしていて早寝する習慣がついたというのに、名前はなにをそんなに謝っているのか、東堂にはよくわからなかった。



「うまく言えないんだけど……叱られてるときって、体は動かしていないのに、とても疲れるでしょう? 精神というか、頭というか……終わった時にぐったりする感覚」
「ああ、それは覚えがあるな」
「たぶん、そんな感じだと思うの。私だって、尽八が起きたあとは休んでいるのに。私と違って、尽八は毎日忙しいのに」



 また名前が自分を責めそうになって、東堂はぽんと手を叩いた。安心させるように、できるだけ優しい笑顔で。



「ここにいるだけでは、疲れないんだろう?」
「たぶん、そうだと思う」
「なら、オレはこれからしばらく何も出さないよ。これでどうだ?」



 すこし考え、ようやく安心したように笑った名前を見て、東堂は胸をなでおろした。そして、この話題を引っ張るとまた名前が落ち込みそうな気がして素早く話題を変える。



「名前は、俺が起きたあとに休んでいたんだな。いつも何をしているんだ?」



 名前の顔がわずかに曇る。そこで東堂はようやく名前が自分のことを話したがらないことを思い出したが、二度もスマートに話題を変えることは出来なかった。一度目がスマートだったかどうかは別として。
 話さなくてもいいと首を振る東堂に、名前はすこしだけ笑った。



「いいの。……尽八が起きたあとはここで眠って、起きて学校で勉強をして、夜に着る服を見に行ったりしているのよ」
「そうだったのか。そういえば名前は何年生なんだ?」



 季節はもう春になり、すごしやすい季節になっていた。東堂は高校三年生になり、ようやく部活を自分たちが仕切ることに慣れてきたころである。



「中学二年生よ」



 ……四歳差か。犯罪じゃない、大丈夫だ。



「服は特にたくさん見ないと出せないから、細かいところまで見るんだけど、ウインドウショッピングってとっても楽しいのよ! たくさん素敵な服があって、いつもどれにしようか迷ってしまうの。尽八はどんな服が好き?」



 今日の名前は、青いストライプ柄のワンピースを着ていた。フリルも青いせいかそこまで甘く見えないけれど、女の子らしい雰囲気はたっぷりある。



「そのワンピースもよく似合っているぞ。オレは制服とジャージくらいしか着ないからな……名前は青が好きなのか?」



 思えば名前は、よく青色の服を着ていた。淡いものから濃いものまで様々だったが、どれも青だということに変わりはない。



「うん……女の子だからと、ピンクや白の服をよく買ってもらっていたの。似合うって言ってくれて、私もピンクは嫌いじゃないんだけど、たまには青や紫も着てみたくて」
「自信を持つがいい、青も似合っている」
「ありがとう。だけど私がピンクが好きだと思っている人も多くて、ピンクや白の服をプレゼントされると今更ほかの色も着たいだなんて言い出せなくて……だから、夢のなかだけでも着てるの」



 瞳にわずかな寂しさを浮かべて笑う名前の髪には、ワンピースとお揃いのリボンが結わえてあった。名前の動きに合わせて動くそれを手に取り、東堂は笑う。



「そういうときは、水色も着てみたくなったと言えばいいだけだよ。ピンクも好きだったが青も好きになった、ただそれだけのことだろう?」



 東堂の言葉に、名前はハッとして顔を上げた。いつもより少し近い距離に、東堂の心臓が活発に動き始める。
 数秒の沈黙のあと、名前の口から出たのは悲しげな声だった。顔は沈んでいる。



「……尽八は、優しいのね」
「そんなことはない」
「とっても優しい。私……私は、帰るべきなのに、ずっとここにいるの。勇気がなくて、尽八に甘えて。尽八が物を出すのだって、本当はもっとはやくやめるように言えたはずなのに、自分の楽しさを優先して……私、私……」
「名前?」



 様子がおかしい名前の顔を覗きこもうとしたとたん、強風が吹いて目を開けていられなくなる。名前の気配を感じなくなった東堂は必死に名前を呼んだが、返ってくるのは風の音だけ。



「名前、どこだ! 返事をしてくれ!」
「ごめんなさい尽八……やっぱり私、尽八と一緒にいられない。ずっと一緒にいたいけど、ここでお話をしていたいけど……出来ないわ。きっとまた甘えてしまうから。だから──ごめんね、尽八」



 伸ばした手が掴むのは風だけで、東堂は焦って名前の名前を呼ぶ。返事はない。
 吹く風が強くなって、いつも目覚める前の感覚がした。強制的に目覚めさせられるような感覚に、東堂は叫んだ。



「名前!」



 返事はなく、ようやく開いた目に飛び込んできたのは、自室の天井だった。



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