嫌な夢を見たあとのように、心臓がどくどくと脈打って汗をかいているのに手足は冷たい。伸ばした手が掴んだのは空気で、聞こえるのは自分の荒い息のみ。はじき出されたような目覚めに、東堂は低くうめいた。どうしてこんなことになったのかはわからないが、名前の様子がおかしかったのはわかる。
 いつも起きる時間より一時間ほど早いことを確認した東堂は、汗で濡れたジャージを着替えてもう一度ベッドにもぐりこんだ。もう一度名前に会おうと、あの世界に行くために目を閉じる。だが、目が覚めてしまったのか、もう一度眠れることはなかった。

 それから東堂は夜になると早々に眠り、夢のなかで名前を探すことを続けた。だが名前が東堂の前に現れることは、一度もなかった。



・・・



 東堂が無意識に吐き出すため息は重い。あれから毎晩白い世界で名前を探しているというのに、一度も会えていないのだ。朝練前の自主練、朝練、授業、部活。東堂はそれらをこなしながらも、どこか元気がなかった。うるさいほどの笑い声は聞こえなくなっていたし、毎晩きちんと寝ているのに顔は疲れている。

 部活のことで福富の部屋を訪ねた東堂は、用事を済ませたあとも残って暗い顔をしていた。別件で福富を訪ねた荒北もいたが、誰も声を出さない。
 福富と荒北は、東堂の悩みが名前という少女のことだろうと予測はついていた。だが東堂は部活も勉強も、ファンへのサービスもきちんとこなしていた。本人が隠しているつもりのことを、わざわざ聞くことはない。
 東堂は前髪をいじりながらため息をつき、ゆっくりと話し始めた。



「なあフク、オレは、幻を見ていたのか?」



 膝の上に置いた両手をゆっくりと広げ、どこか虚ろな瞳をした東堂の問いかけに、答える人はいない。



「荒北の言ったとおり、名前は存在しないかと思ってしまったこともある。……だが、違う。名前は実在する」



 張りのなかった東堂の声に、だんだんと力がこもっていく。両手は握り締められ、目には光が宿った。



「なぜなら名前が部活を見に来た日、オレ最大の決めポーズのことを名前は覚えていなかったからだ!」
「……はァ?」
「もし名前がオレの作り出した幻ならば、あの決めポーズには絶対に反応する! 開口一番に褒めちぎるはずだ! だが名前はそれをしないばかりか、違う場面のことだと勘違いしていた。いや、そっちも自信のあるシーンだったんだがな。オレの一番の見せ場を勘違いしたまま話すなんて、オレの作り出したものではない。つまり、名前は実在する!」



 ドーン、と効果音がつきそうな東堂の力説に、荒北は開いた口がふさがらなかった。オレでも理由にならないもんを自信満々で言えるなんて、こいつは馬鹿なのかある意味天才なのか。



「だが、名前が会ってくれないのだ。どこを探してもいない。オレに甘えてしまうと言って……いくら甘えてくれてもいいというのに」
「東堂は会いたいのだろう。ならば、探し続ければいい。出来ることをせず諦めてしまうのは、オレの知る東堂ではない」
「フク……。ああ……そうだな。オレはあの夢にいても、名前を探すくらいしかやることがないのだ」



 目を伏せてようやく笑った東堂に、福富は表情を変えず安堵した。付き合いは三年目になるが、こんなふうに落ち込む東堂を見るのは初めてだった。ムードメーカーの東堂が落ち込むと、それだけで空気が淀むような錯覚すら覚える。
 さっそく名前を探してくると部屋を出て行った東堂を見送ってから、荒北は口を開いた。



「……で、ずっと名前とやらに会えなかったらどうすんの?」
「その時はその時に考えるしかない」
「……あっそォ」



・・・



 東堂は、白い夢のなかを走っていた。どこまで続くかわからない、代わり映えしない景色。同じ光景のなかを走っているのか、それとも同じ場所を回っているのかすらわからない。
 この世界に一人でいるあいだ、東堂はようやく名前がたくさんの物を出していた理由がわかった気がした。ここでは現実より数倍はやく時間が流れるが、ひとりで数時間もいるのは精神的にきつかった。名前がいろんなものを出そうと頑張ったのも、次々と物を出すクセも、すべては淋しさを隠すため。
 東堂は足を止めて、すこし迷ったすえに愛車のリドレーを出した。名前を探すなら愛車で走ったほうが見つけやすいだろうし、気晴らしになると考えたのだ。さっそくそれに跨って走り出そうとしたとき、空中から水色が降ってきた。



「尽八!」
「名前!」
「物を出さないって言ったのに、疲れてしまうのに、どうして物を」
「名前!」



 東堂は名前の話を聞いていなかった。ふわりと目の前に着地した名前を抱きしめ、もう離さないとばかりに力を込める。名前が苦しそうな声をだしたのを聞いて少しだけ腕の力を抜いたが、抱きしめるのをやめはしなかった。
 名前はしばらく自分の名前を呼び続ける声を聞いていたが、そっと東堂の服の裾を掴んだ。ずっと、自分を探す東堂を見ていたのだ。どんなに会いたかったか、どれだけ話したかったか。名前も東堂と同じくらい相手を欲していた。



「……尽八」
「次に会ったときこそ、聞こうと思っていたんだ。名前が自分のことを話したくない理由を、暗い顔をする理由を。聞いてもオレは何もできないのかもしれない。できることのほうが少ないからな。だからこれはオレの自己満足だ。だが……名前のことを知りたい。もっと、深いところまで」



 東堂の胸に顔をうずめていた名前は、しばらくして頷いた。
 尽八は、いつも私に欲しい言葉をくれる。まるで私の心を見透かしているみたいに。



「尽八が聞きたいこととは違うかもしれないけど……話すわ。また明日、ここで。もう逃げないから」
「いま話してはくれないのか?」
「今日はもう、時間がないの」



 世界が急速に色あせていく。目覚める兆候だと気付いて名前を抱きしめた東堂だが、その感覚さえ薄れていく。名前は優しく東堂の背中をなでた。
 また明日、という言葉を残し、東堂の腕のなかから名前の感触が消えた。



return


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -