koi-koi?


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 そのあとは下を向いたままなんとか部室までたどり着いて、バッグと制服を持って着替えもせずに部室を飛び出した。お先に失礼します、となんとか言えただけ自分を褒めたい。
 先輩に会いたくなくて、走って校門を抜ける。息を整えながら歩いている最中に、ようやく涙が出てきて止まらなくなった。もう遊ぶには遅いせいか誰もいない公園のベンチに腰かけて、それから思いきり泣いた。
 先輩の馬鹿。鈍感。知らないあいだに変わっちゃって私のこと勝手に決めつけて、なんであんな人のことを好きだったんだろう。

 思いきり泣いたせいか少しすっきりして、滲む視界をぼうっと眺めた。高校に入って先輩が見たことのないような顔をするようになっても、ロードに対する情熱は変わらなかった。むしろますますのめり込んでいっている。
 走っているときの前へ進むことしか考えていない顔、クールに見えて案外世話焼きで優しいところ、たまに見せる笑顔、ウサギのTシャツを集めている可愛いところ。先輩のそんなところが好きで、いまもたぶん、あれくらいのことじゃ諦めきれないほど先輩が好きなんだと思う。
 ひとまず自分の気持ちに区切りをつけて立ち上がる。いつもならもう帰っている時間だ。明日から先輩は、私に怒るか無視するかのどっちかだろう。やってしまったことはどうにもならないけど、どうしようもなく悲しかった。



・・・



 いくら泣いても朝はくる。いつもと同じ時間におきた体にすこし逆らってベッドの中で寝転がっていたけど、数分後に観念して起きた。朝練前の掃除と、寒咲先輩に自転車のことを教えてもらう日課をサボることは出来そうになかった。
 いつもよりひどい顔のまま支度をして家を出て、のろのろと歩く。行きたくないと思っても足は動くし時間は気にしてしまうし、結局部室についたのはいつもより数分遅いくらいだった。融通のきかない自分の性格を恨めしく思いつつバッグをロッカーに入れて、外へ出る。朝練前だからか、部室にもまわりにも誰もいなかった。
 寒咲先輩が来るのはもう少しあと、朝練がはじまる10分前くらい。それまで何をしていようかと裏門のあたりを歩いていると、ロードの音が聞こえた。



「名字!」
「……今泉先輩」



 ロードを自転車置き場に立てかけて、先輩が走ってくる。心臓が嫌な音をたてて口の中がからからになっていく。
 どうしよう。謝らなきゃ。でも先輩が怒ってるなら、きっともう手遅れだ。先輩に嫌われたくはないけど、それももう遅い。



「名字。昨日は……すまなかった」
「え?」



 怒鳴られると思っていたのに先輩の口から出たのは申し訳なさそうな謝罪の言葉で、ぽかんと先輩を見上げる。私を見ている切れ長の視線とぶつかって、先輩が心にもないことを言っていないということが伝わってくる。



「鏑木にも違うと聞いたし、寒咲にさんざん説教された」
「い、いえ……私のほうこそ、先輩にひどいことを……」



 ……どうしよう。泣きそうだ。
 まさか先輩が謝ってくるなんて思わなくて、誤解だってわかってくれるなんて思わなくて、くちびるが震えないように噛みしめる。さりげなく下を向いて、涙目になっているところを見られないようにした。



「先輩、私のことどうでもよかったんじゃないですか?」
「は?」
「だからきっと、無視されるだろうって」
「それは……っつーか何でさっきからオレの顔を見ないんだ」



 先輩の手が伸びてきて、無理やり顔を上げさせられる。その拍子にぽろっと涙が出て、先輩がぎょっとして固まった。
 急いで隠そうと思ったけど今更だし涙が次々にでてくるから、諦めて泣き顔をさらすことにした。泣きすぎて痛いまぶたが、涙で熱を帯びていく。



「先輩の、せいです。話、聞いてくれないし」
「……すまん」
「どうでもいい、なら、放っておけばいいじゃないですか」
「どうでもいいなんて思ってない」
「嘘です。中学のときとか、卒業してからとか、私のこと通行人くらいにしか、思ってなかったでしょう」
「そりゃ……」



 素直なのが先輩のいいところだけど、悪いところでもある。言いよどんだ先輩は何かを探すように腰のあたりを探したけど、目当てのものが見つからなかったのか、そっと手を伸ばしてきた。なにか先輩がほしいようなものでも持っていたかと考えるけど、思いあたるものは何もない。
 先輩の手は慣れないように距離をはかるように、おずおずと私の目尻をなでた。驚いて涙が引っ込んだ私の目のまわりを、何度も優しく指が往復する。涙をふいてくれているらしい。



「名字のことを、どうでもいいなんて思ってない」
「せ、先輩」
「……次からは、ちゃんと話を聞くようにする」
「はい」
「だから、そんなこと言うな」
「……はい」



 ぽろっと涙が出る。嬉しくて嬉しくて出たそれを見て先輩がまた慌てて腰のあたりを探る。それでようやくタオルを探しているとわかって、思わず笑った。先輩が変なところで不器用なのは、相変わらずなようだ。
 先輩の大きな手が頬を包んで、手のひらが涙で濡れていく。初めてふれた先輩の手は大きくて、グローブのあとが日焼けとして残っていて、ところどころかたかった。



「昨日鏑木にも聞いたんだが……鏑木とは、なんでもないんだよな?」
「はい。恋人じゃありません。私の話を聞いて……信じてくれますか?」
「ああ」



 先輩の返事は力強くて信じているということが伝わってきて、ほっと力が抜けた。
 目を閉じると先輩の体温が感じられて、冷たくなっていた指先があたたかくなっていく。これが幸せという感情だと、心のどこかで私が歌った。



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