koi-koi?


Input


「んで、これで終了。いまは説明しながらしたからこんだけ時間がかかったけど、慣れたらかなり早くできる」
「なるほど。ありがとう!」



 鏑木くんは自転車をもう一度チェックしてから、いつものように自信たっぷりに笑った。いつも一緒にいる段竹くんは、いまは自主練習で走っているはずだ。
 タイヤの調子が悪かった鏑木くんは、わざわざ私に「いまからタイヤのチェックするけど見るか」と声をかけてくれた。毎日名字が勉強しているのを知っているから、という鏑木くんは、努力している人が好きなようだ。細かく聞く私に、必要であれば手を止めて説明してくれた鏑木くんは、自分もこうしてもらったことがあるからと言っていた。こうして好意はまわっていくんだな。
 時間を確認して背伸びした鏑木くんは、なんでもないことを聞くように私に体を向ける。



「今泉さんはよかったのか?」
「なにが?」
「オレといたら怒るだろ」
「え……そんなことはないと思うけど。どうして?」



 はっきり「そんなことはない」と否定できないのは、最近の今泉先輩がよくわからないことで怒ったり落ち込んだりするからだ。寒咲先輩は理由をわかっているみたいだけど、小さいときから今泉先輩のことを知っている人にはわかるのかもしれない。私にはさっぱりで、それが悲しくもあり悔しくもあった。



「え……気付いてねえの? 名字が鳴子さんや手嶋さんと話すとき、すっげー見られてんじゃん」
「えと、私が?」
「今泉さんが、名字を見てる」
「気のせいじゃない?」



 私だって好きな人の言動は気になるから、よく視線だけで先輩を追っている。だけど目があったことなんてないし、視線を感じたこともない。たぶん私じゃなくて、私の横にいる寒咲先輩や違う人を見ていたのだと思う。



「マジで言ってんの? 鈍感?」
「違うって。だって先輩は……あ、そっか。鏑木くんは中学のときの先輩を知らないんだよね」



 個人でレースに出ていた先輩は、チームのために走るということはなかった。どこかのチームに入ろうともしなかったし、インタビューなども少しめんどうくさそうに受けていた。だから高校に入っても、個人の大会で優勝を狙うのだと、勝手に思っていた。



「私と先輩は同じ中学だったけど話すことはあんまりなかったし、先輩が卒業してからなんて、会ったのは3回だよ。話したのはそのうちの2回だけ」
「マジで!?」
「マジで」



 先輩が卒業してしまってからは大会で見る程度で、大会で一度は話せたけど一分も一緒にいられなかったように思う。だけど、最後に話したときのことは今でも鮮明に覚えている。

 あれは秋のことだった。インターハイを見に行って感動したけれど今泉先輩に近寄ることすらできなくて、かなりがっかりしたのを覚えている。だから次に先輩に会えたときは頑張って話しかけようということを励みに、毎日受験勉強をしていた。
 単語帳を見ながらすこし寒くなった道を歩いていると、前からロードバイクが走ってきた。避けようと視線を上げると、そこには今泉先輩がいたのだ。驚いて立ち止まって、慌てて口を開ける。



「せ、先輩!」
「ん? ……ああ、名字か」



 思ったより大きな声が出たけれど、先輩は驚くこともなく、しかもわざわざ止まってくれた。総北の制服を着ているということは、部活帰りだろう。ささっと髪を整えて走り寄って、背が伸びてがっしりした先輩を見上げた。いろいろ話したいことがあったはずなのに、言葉はすんなり出てきてはくれなかった。



「……先輩。遅くなりましたけど、インターハイ優勝おめでとうございます」
「見てたのか」
「はい。三日間全部。声はかけられなかったんですけど……本当に、おめでとうございます」
「サンキュ」



 今泉先輩はやわらかな笑みを残したあと、自転車に乗って夕闇のなかに消えてしまった。笑みは口の端をあげる程度のものだったけど、基本仏頂面の先輩にしては珍しくて、ぽうっとその場に立ち尽くしてしまった。
 そのときは先輩がわざわざ私のために立ち止まってくれたこと、笑ってくれたことで頭がいっぱいで、一気にやる気がわいてきたのを覚えている。



「それから半年以上先輩とは会ってないし話してもないし、アドレスとか電話番号も知らないの。もし先輩がすこしでも私のことを気にしてくれてるなら、アドレスくらい聞くでしょ?」
「……たしかに」



 納得した鏑木くんは手を拭いて水分補給をして、なんでもないようにさらっと爆弾を落とした。



「じゃあ、名字の片思いなんだな」
「えっ!? いやそんなことは……!」
「今泉さんのことをそんだけ覚えてるっつーことは、そうなんだろ。あと話してるときの顔」
「顔!?」
「そっか、てっきり今泉さんが名字のこと追いかけてるかと思ったけど、逆だったんだな」



 慌てて両頬を押さえてみると、熱くて熱くてとてもごまかせるような温度じゃなかった。鏑木くんはもう確信しているようで、にやりと笑いながら「名字がそんなに慌ててるとこ初めて見た」なんて言うものだから、照れ隠しも兼ねてお腹に軽いパンチを入れさせてもらった。
 まだ熱くて恥ずかしさも引きそうになくて、できるだけ顔を隠す。それをからかっていた鏑木くんの声が不自然に消えたと同時に、鏑木くんじゃない冷たい声が降ってきた。



「公私混同しないんじゃなかったのか」
「今泉先輩……!?」
「オレには関係ないけどな。部活に支障をきたすなよ」
「え? なんの話ですか?」
「鏑木と付き合ってるんだろう」
「ちっ違います! 鏑木くんとはそんな関係じゃありません!」
「どうでもいいって言ってるだろ。イチャつくならよそでやれ」



 冷たい先輩の声と、勝手に鏑木くんと恋人同士と決めつけられたこと、話を聞いてくれないことにショックを受けて立ち尽くす。鏑木くんもなにか言ってくれているようだけど逆効果で、先輩はますます冷たくなるばかりだった。
 必死に違うと言うけど話を聞いてくれず、冷たく「邪魔だ」と言われて、ふっと心が死んだような気がした。

 ── どうして先輩は話を聞いてくれないの。違うって言ってるのに、鏑木くんとは話してただけなのに。
 だいたい、先輩も先輩だ。すこしでも私のことが気になるなら、大会を見にいって毎回話しかけて学校でも会えば挨拶をする私のことを、自分のことを好きかもしれないと思うことくらいあるはずだ。同じ高校に来て、同じ部活にまで入ったのに。



「──もういいです」



 自分でも驚くくらい冷たい声が出た。なにか言い争っていた先輩と鏑木くんがぴたっと止まり、驚いた顔で見られる。



「先輩が私のことをどう思っているか、よくわかりました。もういいです。もう……いいです」
「名字?」
「先輩なんて──先輩なんて、嫌いです」



 くちびるをぎゅっと噛みしめて泣かないように下を向いて、出来るだけはやく歩いてその場から遠ざかる。先輩が追いかけてくることは、なかった。



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