荒北くんから連絡がきたのは、一週間後のことだった。毎日そわそわして待っていたから、電話がかかってきたときは飛び上がって驚いてしまった。
 慌てながら通話ボタンを押して、おそるおそる耳に当てる。荒北くんの声は、普通すぎて気が抜けるくらいだった。



「名字サン? 今いい?」
「うん、大丈夫だよ」
「オレたち3年は、もう引退だ。まだ部活にゃ行くがな」
「そっか……お疲れ様」



 なにを言えばいいかわからず、当たり障りのない言葉を口にする。荒北くんはなにも言わず、たぶん頭をがしがしとかいてるんだろうという沈黙が続いた。



「会って話したいんだけど」
「うん。私も」
「時間あるのかヨ」
「今から会いにいくよ」
「いい、オレが行く。また迷われちゃたまんねーからな」
「……もう迷わないもん」



 たぶんだけど。
 電話を切ったあと、急いで出かける準備をする。このアパートの近くのファミレスで待ち合わせで、まだ時間があるけど女は支度に時間がかかるのだ。
 ぼさぼさだった髪はまとめてなんとか見られる髪型にして、顔には日焼け止めと軽い化粧をする。日傘を持って外に出ると、むわっとした熱さが体を包み込んだ。

 ファミレスの入口についたときちょうど荒北くんもついたらしく、綺麗な色の自転車に乗ったまま声をかけられた。そのままファミレスに入るのかと思いきやすこし歩くというので、自転車を押す荒北くんと並んで炎天下の下を歩く。



「どこ行くの?」
「どこってそりゃ……そこらへん」



 すこし歩いた荒北くんは、大きな木の下で立ち止まった。木陰になっていてすこし涼しい。
 真面目な顔をしている荒北くんが話すのを、日傘をたたみながら待った。久しぶりに会ったけど、さらにすこし日に焼けたみたいだ。あの日よりずっといい顔になっている。



「名字サンが暇ならさァ、これからも勉強教えてほしいんだけど」
「いいけど、どうしたの? もうテスト終わったよね」
「オレは三年だぜ? 進路なんてとっくに決めとかなきゃいけねェ時期だ」
「どこに行くの?」
「いちおー静岡のほうの大学」



 荒北くんの返答に、すこしだけ寂しさを覚える。もうそんな時期で、これからは自転車を漕ぐ時間じゃなくて勉強をする時間のほうが多くなるんだ。



「これからは本腰入れてかねーとな」
「本当に私が教えるのでいいの?」
「おう」
「なら、出来るだけ教えるよ。荒北くんが大学生になるなんて、なんだか嬉しいな」
「まだ受かってねェだろ」



 それもそうだ。なにから教えようか、なにを重点的に教えようかと早くも悩む私を見て、荒北くんは咳払いをした。ちらちらと見られるけど、なにを言いたいのかわからない。



「名字サンはわかんねーかもしんねェけど……いい加減わかるだろ?」
「え? なにが?」
「ここまで言ったらわかるだろフツー!」
「えっなにが!?」
「名字サンにメールとか電話して、大会見に来いって誘って、これからも会いたいっつってんだけど!」
「う、うん」



 どうしよう、荒北くんの言いたいことがさっぱりわからない。荒北くん的にはこれからも会えるようにしたことがすごくポイントらしいけど、それを強調されても理由を説明してくれないとさっぱりだ。



「……あっ! 私から大学生活の情報を聞きたい!」
「違ェよボケナス! なんでそうなんだヨ!」
「そう言われても……」
「名字サンが好きだっつってんの!」
「えっ」
「名字サンが好きだから勉強っつー用事作ったんだけど」
「あっ、そうですか」



 思わず敬語で返事をしたあと、顔がどんどん熱くなっていく。夏だからという理由じゃごまかせないほど赤くなった顔を必死に隠すけど、ぜんぜん熱さが引かない。
 意を決して顔を上げると、荒北くんの顔も赤かった。緊張してるのがひと目でわかる顔をしていて、心臓がさらにうるさくなる。



「……私だって、荒北くんとメールして電話して、大会見に行って差し入れして、この一週間ずっと連絡を待ってたよ」
「……おー」
「だからその……私も好きです」
「ッハァ!?」
「荒北くんが好きです……」



 消え入りそうな声になりながらも、伝わらなかったのかもしれないともう一度言う。もう荒北くんの顔を見ていられなかった。
 俯いて返事を待つ私の耳に届いたのは、信じられないような荒北くんの声だった。



「……マジかよ」
「うん」
「ぜってー無理だと思ってた。告白して意識させるしかねーって」
「……意識してました」
「……オレも」



 真っ赤な私たちの横を、夏休み中の子供がはしゃぎながら走っていく。それを見た荒北くんはようやく、今日はじめて私の前で笑った。



「こんなとこで告白とは、自分でしたとはいえ雰囲気のカケラもねーな」
「そんなことないよ。すごく嬉しかった」
「今日からオレと名字サンは恋人、ってことで」
「うん」
「時間があるときはみっちり勉強教えてもらうからな」
「喜んで」
「デートとかあんま出来ねェけど」
「一緒にいられるだけでいいよ」
「名前サン」
「はい」
「カップル割りのあるとこでも行く?」
「うん」



 荒北くんは自転車を押して、私は日傘をさして。ふたりで並んで歩くアスファルトは熱さのあまり揺らいで見えたけど、それすら私たちを祝福してくれているように見えた。



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