教室の掃除に限らず、いつも掃除の時間はすこし面倒くさい。だけど今日はうきうきでほうきを握り締めた。乗り気ではないとはいえ、巻島くんから手紙をもらったのだ。これだけでしばらくは上機嫌で生きていけそうだった。
 張り切って机を移動していると、友達に呼ばれた。入口に巻島くんがいるのを見て、急いで駆け寄る。あ、ほうきおいてくればよかった。



「巻島くん! ど、どうしたの?」
「いや……もう体調はよくなったのか?」
「保健室で寝たらよくなったよ。今日、無理やり手紙書いたんでしょ? なんかごめんね」
「いや……」



 巻島くんが口ごもる。わざわざここまで来たのは、なにか理由があるからに違いない。どうしたのか聞いてもいいものか悩んでいると、去りかけていた友達がぽんと手を打った。



「名前も手紙の返事書けば? 返事しないなんて失礼でしょ」
「ちょ、ちょっと何言ってるの! そんなの、巻島くんに迷惑が……! あ、あのごめんね巻島くん、気にしないで」



 笑って廊下の掃除に行ってしまった友達を見るが、呼び止めてもこの空気を修復することはできなさそうだ。慌てて謝ると、巻島くんは困ったように頭をかいた。私も困った。



「じつは、英語の辞書がなくなっちまったっショ。探せば出てくると思うが、まだ出てこない。すこしのあいだ借りに来ようと思うんだけどよォ」
「あ、うん、いくらでもどうぞ」



本当に、毎日でも借りに来てくれてもいいくらいだ。早口で告げられたそれに、巻島くんは笑った。



「じゃあ、明日借りにくる。手紙の返事、待ってるっショ」
「う、うん!」



 笑って手を振って巻島くんを見送ってから、うるさい心臓と浮き上がる気持ちを抑えきれずにほうきを動かした。
 さりげなくドアの近くへ移動して、巻島くんの後ろ姿を見る。その横には、巻島くんの彼女だと噂されている子が、当然だというように歩いていた。
 さっきまでの浮かれた気分なんてなくなって、頭を思いきり殴られたような衝撃が襲ってくる。

 ……あの子とは同じクラスだから、辞書を借りられないんだ。あの子はきっと、巻島くんが私に辞書を借りに来ても、堂々としているんだろう。私なんて、ライバルにすらなれないんだから。
 必死にくちびるを噛み締めて、泣かないように耐える。わかってたはずなのに、わかってるのに、自分に都合がいいように考えてしまう。



「……そうだ、返事……」



 巻島くんは返事を待ってると言ってくれたけど、たぶん辞書を借りやすくするための言葉だろう。巻島くんは変わってるところもあるけど一生懸命でじつは優しくて、そんな彼を知っている人は意外と少ない。だから、巻島くんが辞書を借りやすい人も、気弱な私以外にはあまりいないのかもしれない。
 私が巻島くんに彼女がいるって噂を知っているのは、私だけ。誰にも言わなければ、巻島くんに彼女がいるのに手紙のやり取りをしたなんて、気付かれない。きっと、辞書に挟んで短い手紙を渡すだけなんだから。
 もし誰かに言われたら、知らなかったと言えばいい。ショックを受けたふりをして、もう手紙なんて書かないと言えば……。

 ここまで考えて、慌てて頭を振った。なんてことを考えているの、私。だけど一度考えてしまったらとまらなくて、純粋だったはずの恋心は黒くなっていく。
 ……でも、巻島くんが言ってくれたんだ。返事を待ってるって。だから一度くらいは書いてもいいはずだ。
 無理やり自分を納得させて、手紙を書いてもいい理由を探して、上の空で掃除を終えた。さっきまでのふわふわした気持ちは、もう二度と味わえそうにもなかった。



・・・



 翌日、はやめに学校に来た私は、きのう下書きした手紙を何度も読み返した。昨日家で清書しようと思ったのに、可愛いメモ帳を机に入れっぱなしにしていたのだ。
 女子高校生に必要なアイテム、それは数種類の可愛いメモ帳。これを使い分けて友達に手紙を書くのだ。巻島くん相手だから、あんまり派手できらきらしたものじゃないほうがいいはず。落ち着いてて、でもノートの切れ端に書くのは絶対に嫌だ。
 悩んだすえ、はしっこに小さくキャラクターが印刷されているものを使うことにした。落ち着いた青いペンで、手紙が嬉しかったこと、辞書はいつでも貸すから気軽に借りにきてほしいことを書くと、もう半分うまってしまった。できるだけ綺麗な字で丁寧に、部活を応援しているという無難なもので締めくくる。
 応援しているのは本当、こっそり練習を見て優勝できますようにと祈ってるのも。だけどこれは巻島くんが知らないことだし、言っても気持ちが悪いだけだ。



「できた……」



 息を吐くと同時に肩の力が抜けて、どれだけ緊張して書いていたのかとおかしくなった。メモ帳をていねいに折って、手紙の形にする。忘れないように英語の辞書に挟んで、間違っても落ちないように机にしっかりと入れた。
 薄暗い感情は見ないふりをして、蓋をして。


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