それを聞いたのは、すこし前のことだった。頭が殴られたようなショックで、心臓のあたりがじんじんと痛んだ。当たり前だとどこか冷静に考える私の横で、そんなはずはないと泣き喚く私がいる。
 聞くことも確かめる勇気もないくせに嘘だと信じない私の前を巻島くんが通ったのは、三日後のことだった。噂通り、仲がよさそうなクラスメイトの子とふたり、教材かなにかを運んでいる。
 とっさに隠れた私に気付かず、ふたりは会話しながら同じ速度で歩いて行ってしまった。



「めんどくさいこと押し付けられちゃった。ごめんね」
「気にすんな」
「ありがと、さすが巻ちゃん」
「その呼び方ヤメロ」
「いいじゃん別に。そんなぶっきらぼうだからモテないんだよ」
「別にいいっショ」



 仲がよさそう、ではない。仲がいいのだ。
 ふたりで慣れたように会話する巻島くんは、見たことがない顔をしていた。優しそうな、おだやかな顔。私は巻島くんのことを、なにも知らない。卒業したら、巻島くんは私のことを思い出しもしないだろう。

 ようやく現実が見えて、震える足で壁にもたれかかった。廊下の向こうにふたりの姿が消えて、こらえきれなかった涙が目にたまって滑り落ちていく。
 私は巻島くんの何にもなれない。望んだものには、なにも。
 彼は優しいから私の名字くらいは覚えていてくれているだろうけど、下の名前は知らない。その程度の、薄っぺらい関係なのだ。



「うっ……う、えっ……」



 泣きじゃくって悲しみで満たされる頭のすみで、もうすぐ休み時間が終わって授業がはじまることを思い出したけど、動けなかった。こんなひどい顔で授業なんて受けられるはずがない。
 チャイムがなっても泣いて自分を哀れんで、ようやく泣き止んだのは15分後だった。泣いた15分が巻島くんへの思いの程度だと思うと、長いか短いかもわからなくて、泣きはらした目をこすって鼻水をすすった。とりあえず保健室に行こう。



「あの、気分が悪くて……」
「あら、まあ。横になってなさい」



 保健室の先生は、ひどい顔を見てもなにも言わなかった。熱をはかれとも言わないで、ただベッドに横たわるように言う。おとなしく従ってベッドに潜り込むと、泣いたことで体力が減り、失恋したことで心が疲れ果てていることを実感した。
 担任の先生に言っておくという言葉に、安心してまぶたを閉じる。さっきの光景が繰り返されて、さんざん泣いたのにまた熱い涙がにじみ出てきた。
 泣くことで巻島くんが私のことを好きになってくれるなら、いくらでも泣くのに。私にできるのは、自分が可哀想だと同情して泣くことだけだった。



・・・



 泣き疲れて、いつしか眠ってしまったらしい。痛む目をなんとか開けて時間を確認すると、もうすぐ掃除がはじまる時間だった。だるい体を起こして起き上がって、なにも聞かないでいてくれた先生に頭を下げる。



「気分がよくなったので、教室に戻ります」
「わかったわ、お大事にね」



 保健室から出てドアを閉める前にもう一度お辞儀をして廊下にでる。LHRが早めに終わったクラスからは、早くも雑談の声が聞こえてきている。そのわりに廊下は静かで、なんとなく自分がひとりきりなんだと思った。本当はそんなこと、全然ないのに。

 自分のクラスに着いたときはちょうど掃除が始まるところで、心配してくれていた友達が優しく声をかけてくれた。それに大丈夫だと答えるのは、すこしだけ心苦しい。



「そうだ、巻島くんが辞書借りに来てたから貸しといたよ。名前、いつも貸してたでしょ?」
「あ……うん」



 一瞬動きが止まった。ちゃんと受け答えできたか自信がないまま、うるさい心臓を押さえる。

 巻島くんとは二年のときにクラスが同じで、あんまり話したことはないけど優しい人だった。消しゴムが落ちたときは拾ってくれたし、授業中に寝ちゃったときに当てられたら問題と答えを教えてくれた。
 三年になったときにクラスが別になってしまったときは悲しくて仕方なくて泣いてしまったけど、たまに教科書を借りに来たりしてくれるから、まだ接点はあった。
 同じ自転車部の人に借りないのかと思ったけど、ひとりは教科書が汚くて、ひとりは授業がかぶってたりして借りにくい時間割らしい。このときは神様に感謝した。クラスが別になったときに恨んでごめんなさい。



「名前が保健室に行ったから、手紙書いてみたらって言ったんだ。すごい面白かったよ!」
「えっ」
「無理やり書かせた感じになったけど、ほら」



 机の中にある辞書を探して、ぱらぱらとめくる。一番最初のページにノートの切れ端があるのを見つけて、震える手でそっとつまんだ。
 『体、大丈夫か? 辞書ありがとな。無理すんな』
 見覚えのある、細くてすこし右上がりな字。最初の一文のあとは、なんとか文を書こうとした努力が垣間見える。
 じわじわと幸福が押し寄せてきて、ぎゅっと胸を押さえた。



「……巻島くん、絶対にうんざりした顔でこれ書いてたでしょ」
「あっわかる?」
「うん」



 押し切られて仕方なく書いた光景がすぐに思い浮かんで、思わず笑った。巻島くんは嫌だったかもしれないのに、私はこんなにも嬉しい。
 泣いてたことなんて忘れて笑うと、目尻がにぶく痛んだ。


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