鏡のなかの自分はひどい顔をしていた。まぶたは普段の二倍ほどに腫れ上がっていて、まるでゴーストみたいだ。
 冷やすと腫れが引くといってクリスタが持ってきてくれたタオルでまぶたを冷やす。おかげで少しはマシになったけど、ほんの気持ち程度だ。私の顔があまりにひどいせいか、みんなどこかよそよそしく腫れ物を触るような扱いだ。



「おはよう……」
「おはよう。どうしたの、その顔。大丈夫?」



 清掃を終え、待ち望んだ朝食の時間。食堂に入るなり、アルミンは心配そうな顔で駆け寄ってきた。エレンも目を丸くしているということは、かなりひどい顔をしているに違いない。
 あんなことをいままで忘れていたという現状では、ライナーに会わせる顔がない。必死に避けたおかげで、視界に入るのは最小限に抑えられたと思う。ただ、そのぶん睨んでくる視線はいつもよりきついけど。



「名前、聞いちゃいけないことなら悪いんだけど……あの噂、本当なの?」
「えっ」



 もしかして、ジャンとの話を聞かれていたのだろうか。ライナーにとって迷惑極まりない事実が広まってしまったら、もうどうすればいいのかわからない。
 青ざめる私を見て、アルミンの目がまさかと見開かれていく。



「そんな……だって君が好きなのはジャンではないだろう?」
「ジャン?」



 なぜそこでジャンの名前がでてくるんだ。たしかにジャンから話は聞いたしその場にいたけど、真っ先にあがるべき名はライナーじゃないのか。
 ぽかんとする私に、アルミンの顔が険しくなっていく。普段のなよっとしているのが嘘のように、近くに座っていたジャンの横に力ずくで座らせられた。ジャンが慌てる。



「おいアルミン、オレに名前を寄せんな! これだけでも死にそうだっつうのに」
「ご、ごめ……わ、わた、わたし……」
「うおっ泣くな! そういう意味じゃねえ!」



 慌てるジャンの横で、両手を握りしめて下を向く。泣きすぎて熱い目から、さらに熱い涙がこぼれて膝を濡らした。
 ジャンは慌てながらスプーンを置いて、ハンカチを押し付けてきた。石鹸の香りのするそれを突き返そうと思うのに、そんな力も残っていない。



「だから、変な噂が流れてんだって。名前が、オ、オレにプロポーズして、ふられたっつー噂だよ」
「……プロポーズ? 私が、ジャンに?」
「おう。してねえだろ? だから、」
「まさか知らないあいだにジャンにもプロポーズしてたなんて……! ごめん、死んでくる!」
「待て!」



 立ち上がりかけた腕を引かれ、椅子に座らせられる。私はどこまで最低な人間なんだ。生きている価値なんてない。



「だから、誤解だっつーの! オレと名前はそんな関係でもねえし、そんな話もしてない!」



 ジャンの声が食堂に響いた。いつのまにか静かになっていた空間に、私の嗚咽だけが響く。
 ジャンは続けて、名前がオレの名前とプロポーズって単語だして泣いてるから、勝手に話が広がっただけだと付け加えた。たしかに昨日私は、ずっとそんなことを言いながら泣いていた。もしそれが原因でこんなことになっているのなら、ますます死ぬしかない。



「いま名前に死なれたら、オレがライナーに殺されるだろうが」
「な、なんで! これ以上ないほどライナーに嫌われてるのに、もう話したくもないって睨まれてるのに……」
「いいから話してこい」



 ジャンに押されて、近くにいたライナーの前へ押し出される。ぐずぐずと泣く私を視界に入れ、ライナーはやっぱり睨んできた。びくりと体が縮こまる。
 数秒の沈黙ののち、ライナーは薄いくちびるを開いた。



「……ジャンが、好きなのか?」
「仲間とか、同期として、なら……たぶん29番以内には入ると思う」
「意外と下だな」



 そうかな。けっこう上だと思ったんだけど。
 ライナーはそれ以上なにも言わず口を引き結んだまま、ためらいがちに腕を伸ばしてきた。叩かれるかと思って目を閉じて身構えるが、予想した衝撃はやってこない。代わりに、目をなでる優しい熱。



「……ライナー?」
「昨日ジャンを呼び出して、今日はまぶたが腫れている。ジャンに何か言われたか?」
「ううん、自分が最低なことに気付いただけ。あの、ライナー……ごめんね。ライナーにひどいこと言ったの気付かないで、ずっと……本当にごめん」
「ひどいことなんて言われてない。だから、ジャンには近付くなよ」
「え?」
「そしたらもう、睨まない。……もとから睨んでるつもりなんてないが。ただ、そう、目つきが悪いだけで」



 ふつうに話すのも久しぶりだし、睨まれないのもずいぶんと久しぶりだ。ほっとして涙がでそうになるのを慌てて引き締める。ジャンにお礼を言おうかと思ったけど、ライナーの手前そういうわけにもいかない。
 せめてものお礼を兼ねて、ミカサに言付けを頼んだ。ジャンの顔がゆるみきっているのを遠くから見るのは、青春っぽくてなかなか楽しいものだった。



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