ふっと気づくと自分のベッドで、もう起きる時間になっていた。ぼうっとする頭でぼさぼさの頭をかいて、抜けたようになっている記憶をうめるべく昨日のことを思い出そうと努力する。
 ……ライナーが……いや、あれはきっと夢だったに違いない。ライナーだっていまごろ後悔して、昨日の発言を撤回したいと思っているんだ。そうに違いない。
 拳を握りしめて、朝日がさす窓を見る。しばらくそうしていると、窓にぬっと影がさした。こちらを覗き込んでいるのはミカサだ。



「名前。おきてる?」
「ミカサ、おはよう。相変わらず早いね」
「名前こそ」



 となりで寝ているアニを起こさないよう、ミカサはそうっとベッドに座った。一人用のちいさなベッドのうえで、寝ている人を起こさないように話すものだから、自然と寄り添うことになる。
 ミカサはマフラーに顔をうずめて、鋭い視線で空を睨んだ。



「名前、気をつけて。ライナーが、見てる」
「見てるって……そういえば、前も同じこと言ってたよね」
「ずっと、見てる。なにも漏らさないように、見てる」
「ええと……よくわかんないけど、気をつけたらいいってこと?」
「うん。もう遅いかもしれないけど」



 いや本当に、もう遅い気がする。
 それでもミカサが気にかけてくれたことが嬉しくてお礼を言った。ミカサはマフラーで半分ほど顔を隠しながら、礼を言われるほどのことじゃないと首を振る。
 照れてるところが可愛くて抱きつくと、横からアニの枕が飛んできた。



・・・



 女の子のにやにやと見てくる視線が居心地が悪い。ユミルなんてからかう気満々でやってくるものだから、必死にクリスタにしがみついた。クリスタだけがユミルを止められる、まさに女神だ。
 へとへとになりながら朝の掃除を終えて食堂へ向かう途中、ライナーに会った。昔みたいな笑顔であいさつしてくれたことが嬉しくて、思わず笑顔であいさつをして一緒に食堂へ向かう。
 ドアを開けると一斉に視線が飛んできたけど、ライナーはそれを気にせず部屋のなかへ堂々と入っていった。



「名前はベルトルトの横に座っていてくれ。食事を持っていく」
「いいよ、自分で持って行くから」
「いいから」



 返事も聞かず去っていってしまったライナーをしばらく目で追って、ベルトルトの横に座る。ベルトルトは申し訳ないような顔をしながらも、ライナーを止めることなく見送った。



「ねえベルトルト。ライナーはどうなってるの? どうしていきなりあんなことを……」
「僕も驚いてるんだ……ごめんね。止めようと思ったけど、ライナーがあまりに幸せそうで」
「ええー……」
「どうすれば一番いいのか、どうなれば一番いいのかは、その時になってみないとわからない。その時というのは近いけど……きっと、遠い。だから名前、もうすこしライナーのそばにいてあげてくれないか。あんなに嬉しそうで幸せそうなライナーは、本当に──本当に、久しぶりに見たから」



 ベルトルトが噛み締めるように、ていねいに言葉を積み上げる。
 ライナーはいつも自信があって頼れてみんなに信頼されていると思っていたけど、私にはわからない闇があるのかもしれない。ライナーが幸せなのが久しぶりだなんて、あんまりじゃないか。

 思わずくちびるを噛み締める。これじゃライナーを拒否しにくくなってしまう。早く言わないと取り返しのつかないことになるのに、心が変に痛んだ。



「名前、どうしたんだ? どこか痛いのか?」
「ライナー……食事を持ってきてくれて、ありがとう。寝不足なだけだから」
「俺も寝不足だ。こんな夢みたいなことが現実におこるだなんて思わなかったからな」



 またひとつ、決意が崩れていく。もうすこし、ライナーの気持ちを知ってから言葉にしよう。
 決意はスープと一緒に胃の中に。そうしてまたひとつ、決意がぽろり。



・・・



 その日は一日中ライナーと一緒にいた。座学では当然のようにとなりに座っているし、訓練でも当然のようにペアを組むし、食事のときも休憩時間もなにもかも。ぐらぐらと揺れる決意に、これ以上のばしておけないとライナーと向き合った。
 就寝時間まであと20分ほど。薄暗い廊下には、誰もいない。



「ライナー。あの、いまさら言うのもおかしいかもしれないけど……付き合うって話のこと、なんだけど」
「ああ、あれか。ベルトルトが、名前が困惑していると教えてくれた。そういえば、俺の気持ちを話していなかったな」



 ライナーが、静かなひとみで私を見つめた。数メートル先にあるランプが、夜風にゆれて廊下に影をつくる。ライナーの声は、あたたかだった。



「──俺は、ずっと悩んでいた。悩む権利なんてないことはわかっていたが、じわじわと侵食されていくそれが怖くて、でも拒否もできずに、毎日悪夢を見ていた。寝ていても起きていても、どっちも悪夢なんだ。でも、どっちも楽しい記憶で……だからこそ悩む。こんな予定じゃなかったのに」
「ライナー……」
「故郷に帰りたいという思いが、俺を支えていた。だが、帰っても俺の望む光景は二度と実現しない。俺はどうしようもない奴だ。それなのに──名前。名前が言ってくれたんだ。家で俺を待っていて、飯を作り、掃除や洗濯をして、一緒に暮らしてくれると。幸せになる権利なんてない。苦しむ権利なんてない。俺はずっと、底なし沼のような人生のなかでもがき苦しみながら死んでいくのだと覚悟して──」



 ライナーの声が、震えている。巨体がちいさく見えて思わず背中をさすると、はっとしたように微笑んでくれた。



「名前は光だ。闇のなかで自分さえ見えずに苦しむ俺に、手を差し伸べてくれた。こんな俺にほほ笑みかけてくれた。名前がいてくれたおかげで、俺は正気を保っていられる」
「そ、んな……私はそんなすごいことは、してないよ」
「してくれたんだ。だから──ありがとう、名前。愛してる」



 ためらってから額に落ちたキスを、拒否できるわけもなかった。



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