あかい指切り >> Input

 苗字さんと会ったのは、巻ちゃんと初めて会った日のことだった。苗字さんは巻ちゃんが出るレースとなると必ず見に来ていて、巻ちゃんが出るヒルクライムのレースにはオレが出ているものだから、自然と会うことになる。
 巻ちゃんと違って、苗字さんの第一印象は悪くない。ただ、苗字さんは巻ちゃんしか目に入っていないので、最初はまったく話さなかった。巻ちゃんとオレがお互いにすこしずつ話すようになって、ライバルと認めはじめるころ、はじめて苗字さんと話をした。



「あなたが東堂ね。裕介から話は聞いてるわ」
「レースでいつも姿を見かけていただろう」
「まあね」



 苗字さんは、ちらっと巻ちゃんが去った方向を見た。巻ちゃんはレースの受付のほうへ行っていて、今はいない。この隙を見て話しかけたのか偶然なのか、苗字さんはくすっと笑った。



「今日はどっちが勝つのかな」
「もちろん、このオレに決まっている! だが、巻ちゃんに勝ってほしいのだろう?」
「そりゃそうだけど、今日は東堂に勝ってほしいかな」
「どうしてだ?」



 ライバルであるオレに勝ってほしいだなんて、どういうことだ。苗字さんは巻ちゃんの勝利を心から願っているように見えたし、応援するのも巻ちゃんだけだったし、意地悪で負けてほしいだなんて言う人だとも思えない。
 苗字さんは驚くオレを見て笑った。人差し指をくちびるにあてて、軽くウインク。



「ライバルは対等でなきゃ。ほんのすこしの差での敗北は、きっと裕介をもっと強くする」
「そのためにオレに勝ってほしいというのか」
「誤解しないでね、私だって裕介にはぜんぶ勝ってほしいと思ってるんだよ。東堂ならわかるでしょ? 裕介に負けたら、すがすがしいけど悔しくて、もっと練習しようって思う。もっとロードバイクが好きになる。だけど、東堂にだって勝ってほしいと思ってるんだよ。裕介のためじゃなく、純粋にね」
「矛盾しているではないか」
「まあね」



 苗字さんはどこまでも巻ちゃん一筋で、どこまでも巻ちゃんありきの考えだ。
 その一途な思いは、まだ高校生であるオレにとっては重くてまぶしくて、どこか羨ましい。苗字さんは左手の小指をなでて笑った。



「……苗字さんは、巻ちゃんが好きなのだな」
「当たり前じゃない。私は裕介に出会うために生まれてきたのよ。死ぬまで、ううん、死んでからもきっと、ずっと裕介が好きなんだもの」



 苗字さんの思いがけない言葉に、思わず顔が赤くなる。受付を済ませて、苗字さんのうしろまで来ていた巻ちゃんも真っ赤になっていた。
 苗字さんは、そこに巻ちゃんがいるのをわかっているように振り向いて自然に笑いかける。衝撃的な告白をした苗字さんだけが恥ずかしがっていなくて、どれだけ純粋な思いか、本心で言ったかが垣間見えるようだ。



「おかえり裕介」
「おお……っつーか恥ずかしいこと言うなっショ」
「裕介真っ赤だね」
「誰のせいだよ誰の」



 苗字さんが笑って巻ちゃんに寄り添う。
 これから始まるレースを応援している苗字さんは、オレを見てまたウインクをした。さっきのは内緒ね、と言われているとわかって頷く。



「……ん? 名前、なに隠してるっショ」
「東堂と話しちゃった」
「見たらわかるだろ」
「どれだけ裕介のことが好きかわかっちゃったみたい。からかわれるだろうけど、ごめんね」
「そんなのはいいっショ」
「隠してるわけじゃないのよ。もう一度東堂の前で、私がどれだけ裕介を好きか言ってもいいならね。東堂はいまそれを知ったところなのよ。ね、裕介?」



 苗字さんが巻ちゃんに顔をよせる。巻ちゃんは真っ赤になってのけぞっていた。
 それを見て笑う苗字さんは、また言ってもいいのか聞いて、巻ちゃんに拒否されていた。さすが扱いを心得ている。



「好きよ、裕介。今日のレースもゴールで待ってるからね」
「……おう」



 手を振って一足先にゴール前の場所をとりに行った苗字さんを見送って、巻ちゃんがひとこと。



「……あいつ、本当に嘘が下手だよなァ」



 その声と顔には隠しきれない愛情がにじみ出ていて、やわらかに笑う巻ちゃんが珍しくて、思わず口があいてしまった。
 苗字さんの嘘を見抜き、ごまかされたフリをして、それでも苗字さんが嘘をついたのは自分のためと知っている。
 なんとなく敵わないと思って前髪を指に巻きつける。オレがあんな恋愛をするのは、いや、こんな恋愛ができる日がくるのだろうか。



「今日も負けねぇぞ、東堂」
「それはこっちのセリフだよ、巻ちゃん」



 今日の空は、オレと巻ちゃんが競うにふさわしい、晴れて澄んだ青空だった。


 
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