ゴールである基地には、数人の先生がいた。医療の先生、キースさん、ご飯を作る人や雑用をする人。臨時の先生は、やってきた訓練兵のチェックと、順位をつける係らしい。
 先生と入口とつながっている部屋で待ちながら、単語帳を作る。よく使う単語や必要な会話文を先に書いておき、言葉が通じなくなったときにそれを言ってもらい、発音をメモする。なかなかの名案じゃないか。

 臨時の先生は、さらさらの肩まである黒髪で、体はしなやかだった。名前を教えてほしいんだけど、いくら聞いても「センセイって呼ばれると、なんだかイケナイ関係みたいでドキドキするでしょ? 名前じゃなくて、センセイって呼んでほしいな」とすこし危ないことを言うばかりで、教えてくれなかった。この人は、臨時でも先生になっちゃいけないんじゃないだろうか。しかしハンジさんといいこの先生といい、変人はなぜか頭がいいのである。



「わたしゃは、ナマエ・ミョウジです。ちょうさへえだんまで、連れてろ」
「ううん、惜しい。わたし、って言える?」
「わたしゃ」
「わたし」
「わたひ」
「わたし」
「たわし」



 先生がおかしそうにお腹を抱えて笑う。もう何度目かになる光景に、自分が言った言葉もわかっていない私は、笑いがおさまるのを待つばかりだ。仕方なくひとりで「たわし、たわし」と発音の練習をしていると、先生が涙目になりながら笑い転げた。どうやらこの発音が間違っているらしい。



「あんもう可愛い、食べちゃいたい」
「わ、わたし」
「そうそう、つぎは調査兵団」
「ちょうさへーだん」
「ん、まあ良し」



 今気強く教えてくれる先生は、優しい人だ。一通り練習したあとに、先生はにっこり笑ってとっておきの言葉を教えてくれた。言葉が通じるときに提案してくれた、ジャンくんが元気になる魔法の言葉。この世界独特のものかとわくわくする私に、先生はゆっくり時間をかけて、いままで以上にていねいに教えてくれた。
 私たちがこうしているあいだも、キースさんは心配そうに雪山を見てまわっていたし、ほかの先生たちも忙しそうに心配そうに働いていた。
 ……みんな、無事かなあ。ジャンくんはまだ生きてるかなあ。心配になって、もう数え切れないほど見た窓をもう一度見る。吹雪いてはいなかったけど、雪が積もって、しんしんとした寒さが部屋の隅から忍び寄ってくるような天気だった。



・・・



 最初にゴールしたのは、ミカサちゃんとエレンくんがいる班だった。翌日のお昼すぎに到着したミカサちゃんたちは、思ったよりも元気でほっとした。先生たちと一緒にタオルを用意したりスープを渡したりして、みんなをあたたかくさせる。それから30分後、ようやく次の班が到着した。
 それからは続々と到着しはじめて、部屋が人の体温であたたまっていく。それぞれ寄り添ってあたたまる様は、なんだかみんなが生きている証みたいで嬉しい。
 新しいスープを煮込みながらパンを配っていると、臨時の先生に手招きして呼ばれた。手伝うことでもあるのかと、みんながいる部屋をでて入口へ向かう。そこにはジャンくんの班がいた。まだ雪を落としているジャンくんに、思わず抱きつく。



『ジャンくん! よかった……無事で、本当によかった』
「おい、濡れるぞ。オレは疲れてんだよ」
『そうだみんなは!? ああよかった、みんな無事で、本当によかった……』



 アニちゃんのほっぺたをなでて、ミーナちゃんの髪の雪を払って、コニーくんの頭をなでて、ようやくみんなが帰ってきたことを実感する。
 ぐずぐずと涙ぐむ私を乱暴になでて、ジャンくんがキスしようと近付いてきた。それに首をふって、先生に教えてもらった魔法の言葉を口にする。



「おかえりなさい、あなた。ごはんの次は、わたしをおいしく食べてね」
「ぶほっ!」
『ジャンくん?』



 思い切り咳き込んだジャンくんは、勢いよくなにかをまくし立てた。言葉が違うせいで、なにを言っているかわからない私にイラっとしたジャンくんに、乱暴に引き寄せられる。いつもみたいな遠慮はなく、くちびるがしっかり触れた。



「なに言ってんだ! っつーかなに言ったかわかってんのか!」
「先生が、ジャンくんが元気になる魔法の言葉だって、教えてくれたんだよ。あの……ごめんなさい……?」



 ジャンくんの肩ががっくりと落ちる。先生が笑っているのをぎろりと睨んだジャンくんは、先生になにか言うよりさきに私に矛先を向けた。なんとなく顔がこわい。



「ほかには? 変なこと教えられてねえだろうな」
「変なことって?」
「いいから、とにかく普通の人に教われ、いいな? オレも教えてやるから」
「うん。あの……私、なにを言ったの?」



 ジャンくんは顔をほんのりと赤らめて、先生を睨んだ。しかしさっきほど迫力はなく、先生は満足したように笑うばかり。先生はジャンくんの班が到着したことを紙に書き込んで、くるくるとペンを回した。



「元気になったでしょ?」
「……あんまり変なこと教えないでくださいよ」
「練習してるナマエ、すごく可愛かったよ。食べちゃいたいくらい」
「え? 先生って女、ですよね?」
「そんなこと言ってないけど」
「……え」
「でもまあ、男とも言ってないからご自由に」



 どうしてこの世界には、男か女かわからない人が多いんだろう。先生の意味深な言葉を聞いて、なにかされたかとジャンくんに問い詰められたけど、なにもされていないので首を振るしか出来ない。アニちゃんは呆れてさっさと次の部屋にいってしまって、ミーナちゃんとコニーくんもそれに続く。
 ジャンくんは、私を先生とふたりきりにさせておけないと言って、手を引いて次の部屋へと進んだ。分厚い装備を脱いで、ようやくゴールした実感がわいたのか、疲れきった体でずるずると座り込む。
 スープを注いでパンを渡して、ジャンくんが生きていることを実感して涙ぐんだ。ジャンくんはまわりを見てすこしためらって、恥ずかしそうに頬を染めながら、もう一度キスしてくれた。



『ううっ……ジャンくん、好き……』
「ばぁか、なに言ってんのかわかんねえよ」



 そしてもう一度、くちびるがふれる。



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