「キース教官、おじゃまします」
「ハンジか。……今朝、ジャン・キルシュタイン訓練兵がそちらに行ったと報告を受けた。その後はどうだ」
「問題は解決しました。ね、ナマエ」
「はい。あの……キースさん、元気ですか?」
「ああ。そちらは」
「元気です。今日、エルヴィンさんにクッキーもらったんです。この制服も着せてもらって、みんなすごく優しくていい人です」
「……そうか」



 キースさんは怖そうに見える目をほんのすこしだけ細めてから、背を向けて去ってしまった。見学はすこしだけだという言葉を残して。ハンジさんがおかしそうにくすくすと笑う。



「あれ、恥ずかしがってるんだよ。キースさん、意外とシャイだから」
「ハンジ! 訓練A開始!」
「はっ!」



 反射的にハンジさんが敬礼をして、元気な返事をする。それからはっとしたようにキースさんを見て、敵わないなあと笑った。キースさんもすこし笑ってから、今度こそ廊下の暗闇のなかへと消えていってしまった。もうすこし話したかったけど、わがままを言っちゃいけない。
 今度はキースさんに聞こえないように、私の耳に口を近づけて、ハンジさんが小声でしゃべる。



「どう接したらいいかわからないんだよ。年頃の娘と父親って、そんなものでしょ」
「そうですね」



 嫌われていないんだから、いまはこれ以上高望みしてはいけない。そう、いまは。
 最終目標は、お父さんと呼んで背中に抱きつくことである。ちいさいころしている友達を見て、すごく羨ましかった。あれからずっと、あの光景は私の憧れなのだ。



「訓練兵はいまごろ食事か。行ってみようか」
「え、いいんですか?」
「見学していいって言ってたし、いいんじゃない?」



 ハンジさんに引きずられるようにして入った食堂が、しーんと静まり返る。うん、こうなるよね。
 ハンジさんは目ざとくジャンくんを見つけて、ジャンくんの名前を呼んで、横の椅子に私を座らせて、食堂を出て行った。



「じゃあ私、キース教官にすこし話があるから。すぐ戻ってくるから待ってて!」



 視線の突き刺さる対象が私ひとりになって、泣きそうになる。そんなに見なくてもいいのに、そりゃ私がジャンくんたちの立場だったら見るけど、それでもこの空気のなか残されるのはつらい。沈黙に耐えかねて、なにか話そうと考える。



「ええとジャンくん、今朝ぶり。あのときはごめんなさい。元気?」
「……いま胸糞悪くなった」
「……ごめんなさい」



 思わずしゅんとして机に視線を落とす。そりゃそうだ、二回も知らない女にキスするはめになったなんて、とても嫌なことに決まっている。じわっと涙が浮かんで、必死に泣かないように耐える。ここで泣いたら、ジャンくんに迷惑がかかってしまう。



「ジャン! そんな言い方はないだろう」
「うるせえな」
「大丈夫? ジャンに悪気はないんだと思う……たぶん」
「うん、大丈夫。あの、ここに落ちたとき、道を教えてくれた子だよね? 名前、聞いてもいいかな?」
「僕はマルコ・ボットだよ」
「じゃあ、あだ名はまるちゃんだね!」
「えっ」
「えっ? 呼ばれてない?」
「うん……残念ながら」



 それはとても残念だ。
 誰からも呼ばれていないあだ名を私が呼ぶのもおかしいので、マルコくんと呼ぶことにした。そばかすがキュートなマルコくんは、不機嫌なジャンくんに代わって私に話しかけてくれた。みんな静かなので、私たちの会話が部屋に響く。



「昨日は着てなかったけど、いまは調査兵団の制服を着てるんだね」
「うん、そうなの! エルヴィンさんが用意してくれてね、膝まであるブーツとか憧れてたから、すこし嬉しいなあ」
「そうなんだ」
「あっでもみんなあの巨人と命をかけて戦ってるから、こんなことで浮かれちゃいけないよね。おとなしくしてるね」
「誰が死にたがり野郎と同じになるかよ」



 いままで黙っていたジャンくんが、不機嫌そうに口をへの字に曲げながら話に入ってきた。不機嫌そうでも、頬杖をついてふてぶてしい態度でも、話せるのは嬉しい。ジャンくんに向き直ると、人差し指をずいっと突き出された。



「いいか、オレは憲兵団に入るんだ! 調査兵団には死んでも入らねえ!」
「憲兵団ってすごいの?」
「当たり前だろ! 成績上位10人以上しかなれねえ、安泰な内地暮らしができるんだ!」
「わあ、ジャンくんって成績いいんだねえ」
「当たり前だろ」



 ぐいっと飲み物をあおって、ジャンくんが機嫌よく憲兵団について語り始める。その視線はちらちらと赤いマフラーの子に向けられていて、青臭い恋をなまぬるい目で見守る。恋人はいたことはないけど、同い年くらいの女の子からしてみれば、そのアピールは意味ないかむしろマイナスだと思うんだけど、それを言い出せるわけもない。
 ぼんやりとジャンくんの言葉に相槌をうっていると、不意に言葉が変わった。朝おきたときに言葉が通じなくなっていた、あの現象がふたたび。



『えっまた? で、でも寝てないし起きてるし……私、起きてるよね!?』
「お前、まさかまた……!」
『ちょっといろいろ試してみるね! たくさん考えてたんだ!』



 ちょっと失礼してジャンくんにさわってみたり自分の手にキスしてみたり歌ってみたりしたけど、効果はない。ジャンくんのくちびるを再び汚してしまうようなことだけは避けなくては!
 ぐっと拳を握りしめたとき、ドアが勢いよく開いてハンジさんが入ってきた。微妙な空気に気付いて私を見たハンジさんに必死に訴える。



『また話せなくなっちゃったんです! 寝てないのに!』
「あれっ話せなくなってる! ねえ、この子寝た?」
「いえ」
「じゃあ……時間? そういえば今朝の実験からちょうど12時間くらいたってるし、もしかしてそれかも。じゃあナマエ、来て」
『ハンジさん、私寝てません!』
「ついでに訓練兵の男子数名……ああ、このテーブルとそこの背の高い二人と同じテーブルの訓練兵男子、廊下に出て」



 やけに生き生きとしたハンジさんに引きずられて廊下にでる。どうにかしたいけど言葉が通じないからジェスチャーで伝えようとしたけど、ハンジさんは何か言って笑うだけだった。絶対に通じてない。パントマイム、習ったほうがいいのかなあ……。



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