これを忘れていた。思いだしもしなかった。あごに手をかけてドアの近くで男の裸体を見つめる。二日に一度ある風呂の日、訓練で汗をかいた体を綺麗にしようと人が次々と入ってくる。
 私は戸籍は男だが、体はおそらく女だ。胸はまったくないが、男ならはえているものが股間にない。たぶん。そこまで詳しく知ろうとしたことがないからわからないけど。腰にタオルを巻いたジャンが、まだ服を着たままの私を不思議そうに見てくる。



「入らないのかよ」
「ちょっと考え中」
「何をだよ」



 男の股間にぶらさがっているものなら見たことがある。小さいころ、水遊びをしていた男の子の股間には、小さなソーセージのようなものがあった。あれがおそらくジャンの股間にもぶらさがっているのだろう。
 あれくらいなら腰に布をまいて入ってもごまかせるかもしれない。そう思ったのに、ベルトルトのせいで何もかもがひっくり返った。



「……ベルトルト。股間にあるそれは性器?」
「え? ちょっと、アルマ(名前)!」



 焦ったように布を巻こうとする手を阻止する。記憶のなかよりかなり大きなそれは、形まで違って股間に鎮座していた。これはかなり大きいぞ。しかも柔らかい。



「ちょっ、つつかないで!」
「おいアルマ(名前)! なにやってんだよ!」



 驚いたらしいジャンに引っ張られ、尻餅をつく。ベルトルトは慌てて股間を布で隠し、その前にライナーがかばうように立ちふさがった。困った、あれでは腰に布を巻いた程度ではごまかせない。
 ライナーが怒ったように腕を腰にあてて見下ろしてくる。脱衣所には異様な空気が漂っていた。



「アルマ(名前)・フォス(名字)だったな。どうしてこんなことをするんだ」
「記憶のなかのものと違ったから確認をしただけだよ」
「記憶って……お前にもついてるだろ」
「ううん」



 当たり前のようにそうだと思っていたことが、答えた途端に自信がなくなるのはどうしてだろう。私の返事に、脱衣所が静まり返った。私は真顔だし、ライナーもベルトルトもジャンも真顔だ。



「ライナー、それは生まれた時からついていたもので間違いない?」
「ああ。──アルマ(名前)、お前まさか……」
「じゃあ、記憶はないけど、お母さんが切ったのかな」
「切った!?」



 マルコが股間を押さえた。痛そうな顔をしたライナーが言葉の意味を尋ねてくる。ジャンの顔は真っ青だ。



「私が男なのにないということは、おそらくそういうことじゃないかな。お金になるから切ったんだと思うんだけど」
「金? ……売ったのか?」
「どうだろ。お母さんって、私が想像もできないことをするんだよね」



 あとで股間に切ったあとがないか確認しないといけない。それなら戸籍が男なのも、自分を女だと思っていたことも、胸がひらべったいのも説明できる。
 となると、風呂にはひとりで入らなければならない。さすがに股間を広げて他人に確認してもらうわけにもいかないし。風呂場に張り出されている掃除当番は、ライナーとベルトルトだった。



「ライナー、ベルトルト。申し訳ないんだけど、ひとりでお風呂に入って確認したいから、お風呂掃除の当番かわってくれない?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、私の水汲みと薪割りをよろしく」



 さすがに垢だらけの風呂に浸かる気はないから、たらいでも探しに行こう。掃除をしているあいだに薪の真上あたりにたらいを置いておけば、なんとかお湯くらいにはなるだろう。
 掃除と自分が浸かるための水を汲むために、外へ出ようとドアに手をかける。おっと、その前に言っておかなくちゃ。



「ベルトルト、いきなりさわってごめん。もしベルトルトが同じことをしたいとかやり返したいなら脱ぐけど」
「いっ、いや、いいよ!」
「遠慮しなくていい」
「本当にいいから!」



 ベルトルトによって押し出された廊下は暗くて静かだった。すぐ後ろで閉まったドアをもう一度開ける気にならず、水汲みのために歩き出す。問題は迷わないかということだ。



・・・



 入浴時間が終わる一時間もまえなのに、風呂場には誰もいなかった。ズボンとシャツをまくって気合を入れて掃除をする。ここも細かくチェックされるのだろう。

 熱中したあとでふと我に返り、たらいに入れた水がお湯になっているのを確認して、さきに入浴することにした。たらいは大きいけど体はぜんぶ入らず、組んだ足を外にだす。細く長い息を吐きだし、目を閉じて上を向いた。訓練兵というのは、なかなかに疲れる。
 それから体と髪を洗い、タオルを巻いて立ち上がったときドアが開いた。顔をのぞかせたのはライナーとベルトルトだ。



「すまん、やはり掃除を手伝ったほうがいいかと思ってな」
「もうほとんど終わったよ。確認してくれる?」
「ああ」



 ライナーの目が逸らされる。ベルトルトなんて、目も合わせてくれない。やはり先ほどのことが気に障ったのだろう。タオルで前を隠してふたりに近づくと、不自然に顔を背けられた。



「ごめん。それだけ嫌われることをしたんだって気付かなかった。もうしない」
「ち、違う! あれはびっくりしたけどその……アルマ(名前)のことを考えると、仕方ないと思う。僕は怒ってないよ」
「それならいいんだけど。ふたりして目も合わせてくれないから」



 ライナーとベルトルトが視線で会話し、ぎこちなくこちらに顔を向けてきた。ライナーは私の頭のうえを見ているし、ベルトルトは床を見ている。
 ライナーが意を決したように息を吐き、ゆっくりと視線をさげてきた。目があったところで降下はとまり、いたわるように言葉が紡ぎだされる。



「アルマ(名前)。もし誰かに襲われたとか、そういうことがあったら言うんだぞ」
「え? ああ、昨日ジャンの寝相が悪かったけど」
「そうじゃない。アルマ(名前)を女の代わりにしようとする奴がいたらということだ。風呂も、できるだけひとりで入ったほうがいいかもしれん」
「どうして?」
「あとはジャンにでも聞け。風呂に入ってるあいだに見張りをしてほしかったら言えよ」



 よくわからなかったけど、ライナーがあまりに真剣な顔をしているから、とりあえず頷いた。ベルトルトがほっとした顔をして、服を着るように促す。
 もし教官が来たら、私が手伝ったということでふたりが罰されるかもしれない。そういえばそろそろ危ない時間だ。ライナーとベルトルトが私を見ないように背を向けてくれているのは親切か不快からかはわからなかったけど、それを聞く時間はない。
 体をふいて服を着て、ふたりに声をかけてから部屋に戻る。たらいを置いてきてしまったことに気付いたのは、翌日の昼だった。

 
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