ふわあ、と間抜けな声がでた。あくびをしたわけじゃない。数年ぶりに見る海にテンションがあがったのだ。砂浜は白く輝いて、海は青くうねりながら打ち寄せては戻っていく。横にいたエレンも、まぶしそうに噛み締めるように海を見つめた。
 エレンは海が好きだ。どうしてしょっぱいのか、どうして青く見えるのか、どうして干上がることはないのか。私にとっては当たり前過ぎて疑問すら持たないことを、エレンは世界の不思議だと言って大切にしている。ちなみにそれぞれの疑問はアルミンが丁寧に教えてくれたけど、大半はよくわからなかったみたいだ。



「海だ……名前、泳げるか?」
「すこしは。でもあんまり長くは泳げないと思う」



 水着をいじりながら、もじもじとエレンを見る。この水着は、エレンと海に行く約束をしてから買いに行ったものだ。自分にしかわからないようなダイエットの成果を水着で隠しながら、目を輝かせて海を見つめているエレンに目で訴えるが、気付いてもらえなかった。彼女より海というのが、実にエレンらしい。



「エレン、海に入る?」
「おう」



 エレンは上機嫌で頷いて私を見たとたん、むっすりと口を引き結んだ。眉がよって、鼻歌でも歌いそうだったのが嘘みたいに機嫌が悪くなる。

 エレンは時々、こうしていきなり不機嫌になる。決まって私とふたりきりのときで、こうなったら話しかけても無視されるので、もう慣れてきた。悲しいけど、エレンは優しいから、私に気を遣っているのだと思う。クラス中に後押しされた私の告白を断れなかっただけじゃないのかって、そう思ってしまう。
 こんなところに来てまで泣きたくはない。海に誘ってもらってすごく嬉しかったのに、どうしてこうなってしまうんだろう。下を向いて必死に耐える私の耳に、エレンの攻撃するような声が聞こえてきた。



「……それ、アルミンと買いに行ったのか」
「それ……あ、水着? うん、すこしアドバイスもらって」



 ミカサには相談できなかったし。相談したら殺されるかもしれないし。エレンの好みを知っていて協力してくれる人物は少なく、消去法でアルミンしか残らなかった。
 私の返事を聞いたエレンは、ますます顔をしかめて、もう口を開くもんかと決意したように唇をぎゅっと噛み締めた。頭のなかに呆れたようなユミルの声がよみがえる。そんなことしてアルミンに八つ当たりがいっても知らねえぞ、という言葉を、あのときは笑って流したけど、もしかして。
 勇気をだしてエレンの小指をそうっと握る。精一杯の甘えを、エレンは驚きながらも拒否はしなかった。



「アルミンに、エレンの水着の好みを聞いたの。すこししか一緒にいなかったし、結局は自分で選んだからアルミンの助言はあんまり活かせなくて、あの……エレンの好みで水着を選んだなんて、そんなこと言ったら嫌われるかもって、思って」



 小指を握る手が、情けないほど震えていた。もしこれでいつものように無視されたり、「そうかよ」だけで終わってしまって、気持ち悪がられたらどうしよう。
 泣きそうな私の頭に、エレンの手が乗った。不器用に、髪を乱すように動かされる手に、思わずエレンを見上げる。



「……泣くなよ」
「だ、だって……エレン、たまに私のこと無視するし睨むし……もしかして無理やり付き合ってもらったのかなって……」
「そんなわけねえだろ!」
「でも! いまだって……機嫌悪くなって、一緒にいるのが私じゃないほうが、いいのかなって思っちゃうよ」
「ふざけんな!」
「ご、ごめんなさい……」
「オレが名前と海に来たかったんだ。ほかの奴はいいだろ」



 乱暴に手を振りほどかれて、ぎゅっと握られる。ぽかんとする私に、エレンはじわじわと顔を赤くさせながら、また睨むように眉をよせた。もしかして……照れてる?



「オレが好きな海に、好きな名前と来たかったんだよ。だから無理やり付き合ったとか、言うな」
「……うん。ごめんなさい」
「あと……気持ち悪く、ねえから。だから次になにか選ぶときは、オレに声かけろよ」
「うん。エレン、あの……もしかしたら、だけど」
「なんだよ」
「緊張、してる?」



 エレンの綺麗で大きな目が見開かれて、それから慌ててそっぽを向く。その顔はいつも私を無視するときのもので、なんだか一気に力が抜けた。こんな照れ隠しされても、傷つくだけなのに。それでもエレンを嫌いになれないのは、前よりずっとエレンを好きだからだろう。



「じゃあエレン、私とも約束して。緊張しても照れても、無視したり怒ったりしないって」
「……できるだけ頑張る」
「うん。ありがとう」
「……ごめん。今までずっと」
「ううん、いいの。その代わり、今日は幸せにしてね」
「おう」



 エレンはようやく、本当にようやく、ミカサやアルミンに見せるあどけない笑顔を向けてくれた。握った手はそのままに、海へと走り出す。エレンの瞳は、太陽を反射して輝く海のようにきらきらしていた。


return
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -