鰐がちょっと拗ねたりする話///

パロねただったりする

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 その女性を抱き抱えながらぎろりとこちらを睨む男のことを見知っているはず、だった。目つきは悪いが、なんだかんだで気のいい男で、ちょっとくらいなら何をされても受け流すか、へらりと笑ってごまかしてしまう。そんな言ってしまえば軽い男だと思っていた。

 …だが、目の前にいる男はだれだろうか。

 見目こそ同じ。だが、背筋が凍りそうな殺気があの男が放っているものだと理解してからというもの、唐突に目の前の男が違う誰かに見えて仕方が無かった。
「…お前の、」
 頬を撫ぜる空気がやけに冷たかった。吐く息が白く、いつの間にか周囲のあちこちが氷付き始めていることに気がついたときには既に遅かった。

 寒い。
 寒い、寒い。凍えるほどの寒さに気がついた途端、ぞくりと体が震えた。低い声が鼓膜を震わせる。
 「お前の娘であるより先に、」
 ぎちりと彼が怒りで噛み締めている口元から軋む音が聞こえた。ぎりぎり、がりっ。強くかみすぎて歯が砕けそうな…耳につく音。
 「俺のものだ」
 吐き出された言葉のなんと恨みがましいことか。ざり。音を立ててから気がついた。思わず、一歩引いたことに。
 睨みつけられて怯えないはずがない。人とは思えない鋭い瞳孔は捕食者のそれにしか見えなければ、そのあまりに不気味なほど透き通った青い目に驚愕しないはずがない。なぜなら、彼の目は柔らかなターコイズグリーンのはずだったのだから。
は、と短く息を吐く。白い霧が漂って空気に溶けていく。

 ぺた。

 そぐわない音がしたのは、飛び出したあの男に喉元でも噛みちぎられるのではないかと不安を覚えた時だった。
 うすらと目を開けた彼女が弱く頬を叩いたのだ。

「だめだ、ジーノ」

 意識を失っていた彼女が、シレスが目を覚まして、頬を叩いた、いや、触れたというべきだろう。弱いが、確かにしっかりと触れられて、ぴたと彼は…ジーノは殺気を引っ込めた。

「だが、」
「だめだ」

 男に間髪入れず彼女は答えて首を振る。ぎり、と彼の手にちからがこもるのを見ていた。白くなるほど握られた手から、血が出ないのが不思議なほど強く握られていた。彼女からは、きっと見えていないのだろうが。

「…お前は、俺のものだろう。あいつの娘であるより先にっ!俺の妻だろう…っ!」
「あぁ、そうだよ。彼に娘として迎えられるよりはるかに先にお前の妻だったよ。だけど、だめだ。」
「お前は、俺の、俺たちのものだ!戻ってくるのは俺の場所だろう!?どうしてわかってくれないんだ!?おれは、おれは、お前さえいれば、他の物なんかどうだっていいのに…」
「…道理を守ってくれ、ジーノ。それでも今は、彼の娘なんだ」

 悲痛な叫びというべきだろう。声を荒げる姿さえめずらしいというのに、内容は、ご覧のとおりのもはや熱烈な愛の告白といってもいいくらいのものである。それだけの言葉を叫んでも、彼女はただ静かに首を振った。
 なおも何か言おうとして、彼は口を閉じた。声を出すこともなく。閉じられた口元に力がこもっているのがわかる。きり、と歯が擦れる音がなった。
 逸らされた青い目が伏せられ、次に開かれたときにはだいぶ緑がかった瞳をしていた。
しばらくの沈黙のあと「…そうかよ」とぼそりと答えた。肩にも手にももう力はこもっていない。
「降ろしてくれ」
 シレスが頼むと、かたくなに抱きしめたままだった彼がそっとそっと彼女の足を地に触れさせる。肩に置かれたままの手に彼女が手を重ね、振り返って小さく微笑んで感謝するも、彼は無言でぷいと顔を背けてしまった。
 さみしい顔をした彼女が何か言う前に、彼は背を向け、一瞬ですが姿を消した。一度だけちらと見た彼のことを「ジーノ!」と、シレスが呼び止めようとしたが… ぱしゅん、と彼が立っていた場所にきらきらと雪の結晶を残していなくなってしまった。
 見慣れない服装の見慣れない様子の男が去ったことで、どっとかたから力が抜ける。よほど緊張していたらしい。どっと疲労感に襲われながら、「良かったのか」といつの間にか聞いていた。
「……あぁ、どうにも最近、すこし気が立っているというか… 不機嫌なようだから。仕方がない。父さんこそ、顔色が悪いけど…」
「…平気だ」
「そっか。…ジーノがすまない。普段は、あんなことないんだが…」
「…知ってる。あいつがああいう態度を取るやつじゃないのはわかってる。だが、どうにもお前のことになるとすぐ機嫌を損ねる」
「…うん」
 シレスが最後に彼がたっていた場所を見た。最後に見た、やけに苛立ったような表情だけが忘れられなかった。

「ジーノ?」
 ひょこ、と家の中をシレスが見に来たときはどこにも、誰もいなかった。痕跡すら見せないで、飼われているペットたちが所在なさげにウロウロとしながらシレスの足元に寄ってくる。
「…ジーノ、は?」
 誰も答えてはくれなかった。ただ、部屋に明かりはなく、どこにもその姿は見えない。そこでようやく、気がついてしまうのだ。最後に見たとき、彼が、滅多に着ない青と白で織られたローブを身にまとっていたことに。どこかへ行こうとしていたのだということに、気がついてもすでに、居場所はわからないままだった。


 いつの間にかねてしまっていたらしい。きゃうん、と犬の声がしてぼんやりと目を覚ます。体を包んでいる布の心地よい手触りと温もり、それとどこかほっとする においにうとうとと身を任せたくなる。もう一度寝ても、と思ったところで、あれ、と思い今度こそはっきりと意識を覚醒させる。
 部屋の明かりはついていて、てとてとと走り回る犬は嬉しそうにしっぽを振っている。すこし離れたところから声がして、ふと、鼻をくすぐったのは少しばかりお腹を刺激するスープのにおい。
「…じーの?」
 キッチンの方から声がする。起き上がって、体の上からおちた布にぴたと動きを止めた。白と青で織り込まれてる柔らかい布。拾い上げて、ぎゅっと抱きしめてそれが触れなれた感触の布であるとわかる。まだ温かいローブからはいつも抱きしめられながら胸いっぱいに広がる香り。居心地がよかったのがこのせいだと理解しながら、そろそろとキッチンへと足を進める。
「こら!危ないだろー」
 きゃんっ。
 ぴょこぴょこと飛び跳ねている犬がじゃれついている相手は、かるく腕をまくってゆっくりと鍋をかき混ぜている。時折、お玉ですくい上げて様子を見ながら、とびかかってくる犬をゆるく足先で転がして遊んでいる。
「じーの」
 名前を呼べば、振り返った彼の金髪が揺れる。緑の目が声をかけられたことに驚いて一瞬見開かれたが、すぐに見慣れた笑い方に変わった。
「シレス!起きたのか、ちょうど軽食にしようと思ってたんだが、食ってくか?」
 ちょいちょいと手招く彼に向かって、緩く飛びついた。おっと、と言いながら危なげもなく抱きとめて、ぎゅうと腕をまわしてしがみつくシレスの背中をぽんぽんと叩いた。
 耳元でただいまと彼が言う。ぽん、と背をやさしく叩いていた腕が力強く抱きしめてくる腕に変わった。きつく抱きしめられながら告げられた帰宅の言葉がどことなく落ち込んで、そして謝罪にも聞こえた気がして、ただやさしくおかえりと答えた。


mae//tugi
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