兄が死ぬ一週間ほど前だったか。
しばらく家から離れ、久希里からも離れた遠い町に住んでいる私の元に知らせが飛んできた。
相手は長らく顔も見ていない、兄その人からで、あまりの珍しさに差出人を何度も確かめてしまった。
普段のおちゃらけた態度とは裏腹に、手紙はいつも堅苦しい。いつものことだ。前略、からはじまる数枚の手紙に目を通した。



「雄然さん?」
手紙を持ったまま、長らく硬直していた私は友人の呼びかけでようやくはっとした。いつの間にか日が暮れていた。
「手紙が、」
「手紙?だれから?」
「…兄上」
口内はからからに渇いていた。
珍しい、と呟いたのが聞こえた。
「一体なんだって」
「父上が死んだと。近々…じ、じぶんも…し、ぬだろう、と…」
「なに…?」
四月でもない。文面は真剣で、それが覆し難い事実だと伝わる。嗚呼、なんて事だ。私はまだ、恩の一つたりとも返せてはいないというのに。



急ぎ、兄の住む実家へと向かおうと用意をしている時、また文が飛んできたのだ。分家のある血筋の者たちが次々に死に絶えている。理由についてら記せないが、兄は知ってるだろうと。文は女郎花からだった。久希里を離れた私が知らぬ現状を伝えてくれたのだ。なにも知らぬ上に、実家を飛び出したも同然の私にとってはありがたいものであった。略式で礼を伝え、私は急いで久希里に、重い空気の実家へと帰ってきた。


冷たく物言わぬ父への挨拶もそこそこに兄に会った。兄の姿は最後に会った頃と全く変わらず、若いままだ。
「歳とったなぁ、雄然。」
「そりゃあ…彼此、十年は経ってますから」
「はぁーもうそんな経っちまったかぁ…早いもんだなぁ」
何も知らない者が二人を見れば、誰もが雄然が兄だと思うことだろう。それほどまでに兄の優栄は若く見えるのだ。近々死ぬなどとは、尚更思えないだろう。だが、彼は死んだ。あっさりと逝ってしまうのだ。
「分家の方も酷い有様だと、女郎花から。」
「…あぁ、うちから出てったお前を呼び戻す真似して悪いな。」
「……いえ、私も若かっただけです。今は…それよりも…」
「そういえば、雄然。」
「はい」
二人で長い廊下を歩く途中、優栄が振り返る。
「思えばお前は、ずっと俺に敬語だったよな。親父にも、か。もう30くらいはずっと。」
「…は…そう、ですね」
「下に居たんだよなぁ、兄弟なのに。」
「えぇ、私には兄上ほどの力もなにもありませんからね。兄上の影として尽力せよと、父上からも…」
「…血をわけた兄弟、なんだよなぁ…俺はな、雄然。」
「何でしょうか」
その時の優栄の表情は、安心したような、そんな顔だった。
「お前が弟で良かったよ。お前がうちを出てった時も、やっと自分の為にお前が生きてくれると思えば嬉しかった。今日会って、尚更だ。俺が居るとお前は俺の弟で、影になってばかりだ。けどな、もういい。近々、神代の名に縛られたままの直系は全員死ぬ。お前はあの日、抜け出してくれた。俺の願い通り。それにな、神様も、同じ血は二つも要らないそうだ。言いたいこと、分かってくれるな、雄然。俺の半身。」
「…私には神代から離れろと。」
「あぁ。」
「見捨てろと?」
「そうだ。俺はそれくらいしか、してやれん。」
「……兄上。」
「ん?」
「…私とて申し上げたい事があります。最後と仰るなら。」
「おう。言ってみろ。」
私は兄が嫌いだったのだ。いつも私は兄につき従わねばならなかったし、家族は兄を優先した。私は居心地が悪くて、家を飛び出した。だが、まぁ、仕方が無いのだ。それもこれも。分かってた。もっと早くになどとは思わない。ただ、やはり、淋しかった、ような。
「……馬鹿か、相変わらず糞だな。」
「…………馬鹿くらいは覚悟してたんだけどなぁー」
「この程度、序の口だ。洗いざらい経緯から話してもらうからな!?」
「はいはい、はいはい」
口悪く言ってはいたが、二人揃って口元が笑っていたことははっきり覚えている。
その日、始めて、ただの兄弟として会話をしたのだ。最初で、最後だった。

その三日後、兄貴は死んだ。
最初から諦めて居た兄貴は、それでも抗って抗って、刃向かって、死んだ。
無様と嗤うものもいるかもしれない。だが、私からしてみれば…立派な最期だった。




「雄然おじさん」
「あー?お、優市。久々だな!」

兄に恩という恩を返すことは出来なかったように思う。あの日家を出てくれたことで十分だ、などと言うことだろうが…其れでは私の気が収まらない。
その後、訳あって家族の大半が死んだ。苦肉の策として、こども達だけは一時的に他所にやり、私も今一度正式に名を捨てた。
神代の血筋は一度途絶え、兄や父を殺した呪いも鎮まった。
…いや、もしかすると、最初から兄で最後の代だったのかもしれないが…そればかりは我々に知る術がない。

「近頃はまぁた、変なのが出たって噂で持ちきりですねぇ」
「あぁ…あいつなぁ。婆も面倒は嫌だ嫌だって文句言ってたなー」
「ただでさえ、久希里は厄介ごとだらけなのに、うんざりですねぇー…」

亡き兄の面影をもつ、優市と声を聞きつけて二階からぱたぱたと降りてきたその妹を見る度に、どうにも安心する。
この二人と私。それから、他の家の力も借りて、どうにか…神代の名は戻った。
今のところ、誰にも不幸は起きていないし、これからも起きないと確信がある。

「…おじさん、お茶」
「俺にいれろってか!かーっ、こき使うなァ、お前ら!」
「僕は客人ですよぉ」
「嘘つけっ」

めっきり人が減り、余りに大きく寂しい本家に普段は私だけだ。このまま朽ちさせるには恐ろしいし、離れ難かった。
…これで少しは、恩のひとつでも返せたと、信じたい。

「今年も境内の桜、上手く咲きそうですねぇ」
「寒かったからなァ…久々に、全員呼んで花見すっか?」
「全員って…何人いましたっけぇ」
「…たくさん」
「たくさんだな!」
「ハハハ、僕は手伝いませんからね」
「薄情なやつだな!」


嗚呼、こんな時間が愛おしい。


「おじさん?」
「…んにゃ、なんでもねーよ」

急に黙りとして首をかしげる二人に雄然はからりと、笑った。



現当主代理、雄然の話。

mae//tugi
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