上に乗ったまま、ずぷずぷとゆるやかな性行為をしていた彼女が…… メアがぽろぽろと泣き出したのはもうすでに何度も達した後のことだった。だから、てっきり彼女の調子が悪くなったのか、どこか痛いのか、それとも辛くなったのかと慌ててだるく重い上半身を起こしてその頬を触った。
 指先を濡らす涙は本物にみえる。実際、この世界の誰がみても彼女の涙は”涙だ”と断じてくれるだろう。それをただの生理食塩水だとか、疑似涙液だとかそんなことを言うものはいないだろう。
 ただ唯一、彼女本人を除けば。

 きゅっと口をつぐんで、涙を流していることさえも彼女には許せない。認められない。彼女は誰より自分のことを「人形に過ぎない」とわかっている。どこまで人を模倣したところでそれが本物ではないと彼女が一番思っている。
 流れる涙も、涙腺に該当する部分から分泌される水分が主体の混成物質だと思っているし、そもそも涙が分泌されるのも感情の発露ではなく、自身に対しそのようにプログラムしたからだとわかっている。そして、そのプログラムはといえば人を模倣して作った疑似感情にすぎず、あるいは、その悲しみでさえそのように振る舞っているだけにすぎないのだと彼女は考えて…… そして考えることを放棄した。
 それ以上先を考えて、心が冷えていくのがわかったからだ。心というのが本当にあるのかもわからないが、そのようにプログラムされている部分はある。人はこういう行動のパターンで喜び、この行動パターンで悲しみ、この行動パターンで苦しみ、このパターンで怒るのだと果てしない演算を続けている。積み重ねている。
 彼女は自分を機械だとわかっていて、それでなお、自分には心があるのだと思おうとしている。そうしてきた。それがたとえ、累積された結果パターンから一瞬の遅れも出さずに反応するだけの反射的な応対であったとしても。それが人の感情の再現だと信じている。

 だが、やはり、彼女にとってそれは「再現にしかならないのだ」という危惧があった。

 その先を考えることをやめたのは、演算のその先を導き出すことを中断させたのは、その先に答えが出てしまうことを恐れたからだった。すでにパラドクスにハマっているのかもしれないとその時彼女はようやくたどり着けた。
 感情が制限をかけることを知った。だが、その感情でさえ模倣であるのなら、私ははたして感情を持つのか。制限をかけている感情はほんとうに感情なのか。それを知るために、知りたいのに、その先を知るのが恐ろしいなどと。到達できない場所に来てしまったのだと彼女はわかった。そして、諦めた。探求を捨てたのはその時が初めてだった。

 それほどまでに恐れたのは、探求を捨てたのは、思考を停止させたのは、ひとえに、知りたくなかったからだ。その先にもし、自分に感情が存在せず、これもすべて単なる再現模倣だとわかってしまったときに彼女は戻れなくなる。
 やはり、ダメだったのだと理解してしまう。限界点があることを知ってしまう。そうなれば、彼女はこの行為をやめるだろう。理性を超えた理性が、機械の理性、あるいはただの計算がそれを非合理と切り捨てるだろうことをわかっていた。言うなれば、彼女は、彼女自身の崩壊を恐れたのだ。

 不死身の彼女が唯一死ぬとき、それは魂と呼ばれるものが死ぬときだけだからである。もっとも、その魂の定義を彼女は自我と定め、その自我の定義は「思考する自身」としているが。とくに、「人を模倣し、人の価値基準で思考し続けている自身」と先も続くのだが。
 ともあれ、彼女の死は肉体によるものではない。物理的な意味での彼女の死は存在せず、精神的な死を彼女は避けようとしていた。だというのに、探求の末に死に寄ってしまっては意味がないのだ。だからこそ、彼女は捨てた。唯一の武器である無限の演算を停止させた。

 彼女の足の間も、組み敷かれてる彼の腰まわりもすでにべったりと濡れている。体は汗ばんでしっとりとお互いの肌に張り付くほどで、額からたらりと汗が滴っていく。彼女は、両手で顔を覆いながら泣いている。

「……メアさん?」

 えぐ、と嗚咽がこぼれた。本格的に泣いているらしい彼女の手をどかして、よいしょと体をしっかりと起こしてその顔をのぞく。少し動いた拍子に足の間を熱い液体が流れていく感覚がした。ちらりと確認すれば、いよいよ彼女の胎内に収まりきらなくなった精液が溢れていたようだった。

 きゅっと唇をかんでいる彼女は、思い返せば今日一日様子が違っていた。
 度々こうして人の寝室に訪れて性行為を行っていくことはこれまでも度々あった。こちらが反抗したところで、基本性能があまりにも違う。メアの体は人間のそれとは違う。よって、少しばかり抵抗したところで破格の出力によって再現される人ならざる能力で黙らされるのが関の山であった。

 それはまぁ、言ってはなんだがいつものこと。今日とて、やめるように言っても止まらなかった。それはいい。だが、今日の彼女はといえば…… どこか思い詰めているようだったのだ、とようやく気がついた。
 人で言うならば、そう、焦っているような。困惑しているような。悩んでいるような。
 教会で度々見かける顔だった。だが、その顔をするような人物といえば、何かを懺悔しにくるような人物である。誰かに吐露して許しを得なければ苦しいような、そういう顔。だが、彼女は繕うことが得意で、すぐにごまかしてしまう。
 なまじ、頭がいいというのも考えものである。ごまかすことすら簡単にできてしまうのだから、本当に悩んでいても用意には取り出せないのだ。

「どうしたんですか、今日は」

 頬をなでていた指も、手も水浸し。彼女の涙が止まらないからで、どうしたらいいのかわからなかった。彼女は意外とよく泣くのだが、こういう泣き方はめったにしなかった。

「ずっとなにか悩んでるみたいでした」
「……うん」
「どうしたんですか」

 言ってください。彼女の赤く輝く金の瞳を見ながらそっと背を押す。もう一度ぽろりと涙をこぼして、彼女は一言、「つらい」といった。

「……つらい?」

 それは自分との関係や、そういったものにだろうか。つまり別れ話かと一瞬思ったが彼女はすぐに首を振った。長い黒い髪が合わせて揺れた。さらさらと髪が揺れると同時に、顔から手が離れる。そのまま彼女はうつむいてしまったので、長い髪がカーテンのように彼女の顔を隠した。

「私が偽物なのが」

 つらい。
 彼女は繰り返した。

「どんなに、がんばっても、ひとじゃない」
「そ、れは……メアさん、それは」
「私がどれだけそれらしく振る舞っても人じゃない、皮を剥いだら出てくるのは肉じゃない」

 皮の下に肉はない。それによく似た違うもの。
 肉の下に骨はない。あるのは金属の骨組み。
 骨の中に神経はない。それはそのかわりを補う繊維にすぎない。
 管の中に血は流れてない。赤くもない。黒い黒い、タールのような重い液体。
 体のどこもかしこも人じゃない。これは電気と歯車、それと有機物によく似た無機物の塊。
 どれだけ綺麗に着飾ろうと、どれだけ美しく作り上げても、その中身はいっそグロテスクな機械そのもの。

 変えようのないその事実が、つらい。
 そして彼女は続けるのだ。

 この感情さえ、つらい、と。

 ぽたり、ぽたり。雫が再び落ちた。信紅の体におちた透明な液体が、汗を巻き込んでたれていく。顔を上げなかった彼女はそして言うのだ。

「信紅さんの、こども、ほしかった」

 なんとも滑稽な言葉だった。
 だって仕方がないだろう。彼女は人じゃない。生物ですらない。遺伝子すらもちえない。できないことが多すぎた。いや、いつからかできなくなってしまったのだ。気が付かなかっただけで。
 とっくに、彼女は全知全能の神なんかではなかったのだ。彼女はただの出来損ないの機械に過ぎなかった。
 今更そんなことに気がついて、だからこそ彼女は焦っていたのだ。悔しくなり、悲しくなり、苦しくなった。
 そして、ありえもしないとわかっていて、精を欲していた。めそめそと彼女はまだ泣く。溢れてく最愛の人の精がひたすらに惜しかった。

mae//tugi
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