「大層ご立腹なご様子ですなぁ」

月明かりだけの室内。バルコニーへと続くガラス戸の両脇にはベルベットのカーテンが重たく束ねられており、そこだけが月明かりにも照らされなく黒々とした影を落としていた。
艶やかな壁に軽く背をあずけながら、影に溶けるようにして佇む男が小さく笑い声を上げる。
きらびやかな調度品が並ぶそこが、貴族と呼ばれる存在の部屋であることは誰の目にも明らかであろう。部屋は広く、床は隅々まで磨き上げられている。敷かれているカーペットの質から、ふくよかな男が腰掛けるソファ、奥にあるベッドの何から何までがこの世界ではそうそう目にできない高級品であった。

「…よくぞのうのうと」

振り向くことなく男が唸った。手にしている酒の銘柄やそのたくましい体格からしても、いいものばかりを飲食しているのは一目瞭然。身にまとうシルクのローブが月明かりを照り返していた。
苛立ちを隠しもせずにグラスを煽り、かんと甲高い音を立ててテーブルへと叩きつける。

「失敗しおったな、悪夢」

”ナイトメア”とはなかなか笑いのこみ上げるような呼び名だが、影に潜む男の姿を見ればどことなく納得もできることだろう。低い声で咎められながらも、呼ばれた当人は何食わぬ顔で「私が失敗したと申しますか」と一層笑みを深めるだけだ。
その態度に男が一層苛立ちを隠せず、ゆるりと振り返る。

「殺せと言ったはずだ。」
「ははは、そう言われた気もしますねぇ」

がしゃん!
顔の真横へと投げつけられたグラスが飛び散る。かすった一片が頬を裂いた。
じわりと赤い筋が滲むものの、手袋越しに軽くなぞるだけで、その筋さえ再び暗闇に見えなくなる。
ぎらりと睨みつけてくる雇い主に肩をすくめながら、足音も立てずに近寄る。

「血圧、上がってしまいますよ旦那様」
「ふん…なぜ失敗した。」

するりと別のグラスを差し出しながら、影が向かい合うようにしてソファへと体を沈める。ようやく月明かりの元に姿が晒されるが、顔からつま先まで見事に黒衣に包まれており、その顔を窺い知ることはできない。
問いただそうとした男は呆れたとばかりに深いため息をついた。
影の口元が三日月の如く笑うだけなのを認め、答える気がないと悟ったからだ。

「貴様に情があるとは思わなんだ」
「誰が、誰に?」
「…ふん、二度目はないと思え」

ぐっとグラスを傾け、琥珀色の雫が最後の一滴まで注がれたのを見届ける。
少しばかり不機嫌そうにしていた影が、再び口元に微笑みを浮かべたのに不審がったが、「えぇ、二度目はありません」と答えたので、満足げに頷いた。




月が隠れる。暗くなった部屋で、のんびりと高級酒の栓を抜く。
とくとくとテーブルに増えたグラスへと琥珀色のそれを注ぎ、向かい合うグラスへと軽く打ち付けながら、乾杯、と笑う。
大きく柔らかなソファに軽くもたれ、片手でグラスを回しながら、高級紙に書かれた文字をなぞる様に見つめる。
「やれやれ、二度目があるはずもないだろうに」
それから、重ねられていたもう一枚の紙を、いつからかともっていた暖炉へと放り燃やした。
「一度目がなければね」
からからと笑いながら、相続と文字の躍る紙を机へ置く。
向かいにうなだれるように座る男にひらりと手を振り、黒衣が立ち上がった。


「さ、片付けておいておくれ」

重い扉を開けて現れたメイドたちが、テキパキと仕事をこなす。
最後に部屋に残ったのは…イドルただ一人だった。



mae//tugi
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -