男が好むのは一筋の光もない暗闇である。
己の姿さえも目視することができぬ暗闇であればあるだけ好ましい。
日のもとに姿を現しては、それは男にとって死に他ならなかった。
…男が男として姿を持つようになるまでは、の話だが。
先にも述べたように男は妖である。
元は名も無き無力で忌み嫌われるだけの哀れで醜い…蟲である。
今でこそ、人の姿を取り、名を持つが。そんな蟲も今は露隠都乃、と名乗る。


ごく普通の田舎の話。
ごく普通の蟲の話。
忌み嫌われ、死ぬだけの蟲の、話。


そんな話を、少しばかり。











その日も蟲が涌いた。

近頃この村では人が多く死んでいる。
はやり病といわれて入るが、真相は定かではない。
そうして多くの者が命を落とすが、その数の多いこと多いこと。
死体を焼くのも間に合わず、次々次々と人が死に絶える。
そうしているうちにも死体は数を増やし、蟲が涌く。
また、蟲が涌く。人の骸から。
しかし、その蟲はそうして生まれたわけではなかった。
特に大きく目立つそれは生まれてより大分長い間生きているように見受けられる。
うまく隠れて生き延びた蟲だった。
他の蟲に紛れても目立つが、しかし逃げることの早いこと早いこと。
子供はその蟲を捕まえてやろうと躍起になるし、大人は気味が悪いと嫌がった。
しかし当然ながら蟲がつかまることは無かった。

あるときのことだ。
村のはやり病が僅かにその猛威を収め、村が鎮まった日のこと。
痛々しいほどの泣き声と、苦しいほどの嘆きの声が村に蔓延していた。
鱈腹と食事にありつけた蟲とそれを食らう鳥獣はその声をぼんやりと聞いていた。
あの蟲もそれらと同じように声を音を聞いていた。
今日もどこかで人が死んだ気配を特有の感覚で察知してその家へと近づいた。
しかし予想とは裏腹にそこにはいまだ子供がいた。
肥溜めのように腐臭が蔓延する薄気味悪いその建物の中でその子は泣いていた。

「かかさま、ととさま」

人がいては蟲たちは姿は現せない。
明るみの中に姿を晒せば蟲はたちまち潰されてしまうであろう。
鳴き続ける子がその場を去るまでと蟲たちはそっと息を潜め待った。
いずれは立ち去るだろうと、踏んでいたのだ。
しかし、幾ばくの時間が過ぎて日が傾き始めても子供はその蔵から出ようとはしなかった。
目の前に食物があるというのにその子のせいでありつけない蟲たちは僅かに苛立ちを羽音に変えた。
それでも子供は動かなかった。

「かかさま、ととさま、どうして」

どうしてうごかないの、と舌足らずな声でまた子供は涙した。
それは魂が無いからだと、死んでいるからだと蟲は知っていた。
告げることはできないが、恐らくその蟲も子を鬱陶しく感じていたのだ。

「っ…?」

暗黙の了解を破り蟲が子の前に姿を出した。
気味の悪いといわれたその蟲に子は僅かに目を見開いたが、眉を顰めることはなかった。
その蟲に続くように他の虫と入り込んだ小さな鳥獣も姿を現した。
途端に得体の知れない状況へと追い込まれた子がすぐに立ち去ると思っていたのだ。
ああ、それでもやはり子は動かなかった。
苛立ち混じりに蟲が羽音を響かせた。鳥獣は唸りを上げた。
そうして、じわじわと突っ伏した死体へとひとつまたひとつと食らいついた。

「あ…」

子がようやく理解したかと、蟲は思う。
立ち去ってくれれば静かに食事ができるのだから、喜ばしいのだ。
が、子は再び泣き出しただけであった。
早くこの子を連れて行ってくれればいいものをと蟲が再び羽音を鳴らした。

「かかさま、ととさま、どこに」

児の声色が唐突に変わってしまった。
漠然とその理由を理解している蟲はなにか体全体に重いものを感じた。
それが何かなど高が蟲に理解することはできなかったが。
ようやく子が立ち上がった。その泣きはらした目の先には食い荒らされた骸が二つ。
赤黒く地面を染めながら肉片を僅かに散らかしたままの。
子が先ほどまで泣き縋っていた二つの骸に、児は目もくれずに外へと飛び出した。
その目が何処かを見ているようで、何処も見ていないこともまた、蟲の体を重くした。









ゆぅらゆぅらと風に自身の触覚を撫でられる。
同時に風の向こうからぼんやりと懐かしいような匂いを感じた。
蟲はいつものように影に紛れながらずるずると地面を這い近づいた。
蟲のたどり着いた先にあったのは児だった。
何処かで見たことがあるような気がしたが少しばかり形が違うように感じられる。
児の傍には何時かのように骸が転がっていた。

「ととさま」

ととさま、と言えばヒトに伝わる名称の一つだったか。
幾ばくかあれより時が過ぎ。さらにそれまでに永らえてきた蟲は理解をしていた。
己らとは形も大きさも違い複雑怪奇な存在であるヒトの言葉やそういったものを。
蟲はじっと影の中から児を見ていた。

「ととさま、どうして」

何処かで聞いたことのあるような台詞ではあるが、それは蟲がよく聞きなれた台詞でもあった。
何時もであればこの児の言葉など気にも留めなかっただろう。
蟲が珍しくその有り触れた嘆きにひくりと触覚を揺らしたのは聞こえたその声に、だった。
ヒトの命が自身より短いことを蟲は知っていた。なぜかなど気には留めなかった。
だというのにその児の声色は嘗て一度聞いたことがあった。
だが、それを見たのは初めてだろう。
それだけの時間がまた、経っていたというのだろうか。

蟲はその骸へ手を伸ばす。今日の飯はこれでいい。
泣く子はその姿に腰を抜かし、後ずさった。
長く行き過ぎた蟲はもはや蟲の姿はしていなかった。

「だ、だめ…それは、とと、さま…」

ぽろぽろと涙をこぼしながらいやいやと首を振るばかりの稚児にはぁ、と呆れのため息をつく。
めしりと触れていた腕を毟り、食いついた。
ぎょっと目を見開いて、あ、と児の口から言葉が落ちる。呆然。まさしくそういった様子だ。
骨だけ残して丁寧に平らげていくにつれ、影からは次から次とそれに続けとばかりに虫がわく。
ぞろりぞろりと集まるそれも気にせず、湧いた虫もろともばきりばきりと噛み砕いて、飲み込んだ。

「なくな、これはただの、骸よ」

それが初めて蟲が発した言葉だった。
いつの間にか、近くにいた児は泣くのをやめ、あっという間に骨になった父親を見ているだけだった。










「人など食わねばよかったか」
やれやれと背の高い男がぼやいた。
「急にどうしたんだい?」
正面でくつろいでいた女が振り返り、首をかしげる。
「いや、思っただけだよ。」
あの日人など食わねば、呪いを、恨みを、手にすることはなかったろうにと。
自身を哀れんでみただけだよ、と。男は続ける。
女はそんな男にからからと笑い声を上げた。
笑い声につられるように、寝転がっていた別の男が身を起こす。
「あんたはまぁだいいじゃないかい。わっちはどうすんだい?あれよあれよという間に、姫の恨みを流し込まれて目覚めちまったんだよ」
自嘲するように女が言う。言葉とは裏腹にその目は随分と楽しそうだが。
「それを聞くとご愁傷さんって言いたくなるわねぇ…」
起き上がった男がぐっと背を伸ばしながら言う。
「天狗殿ほどの力があればと思わぬこともないのだがな」
「まぁ、まぁ、いいじゃないの、今日こうして…」
言葉を区切る。ちょうどそこに、青年がやってくる。手に持った盆を机に下ろしながら、「羊羹ですよ」とにこやかに差し出す。
「…こうして、美味しい羊羹食べれんだからァ」
「天狗殿…私の分まで持っていかないでください」
「わっちの分もとらんでおくれぇ」
いそいそと机に近寄っていく男に、やれやれと二人は苦笑する。羊羹ならまだありますから、と呆れ半分に青年はいいながら、急須からお茶を注いだ。
時刻は、表がもうすぐ丑三つ時を数える頃だった。








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都乃の昔話。
ただの蟲⇒人を食う⇒妖怪化⇒人を食う⇒妖怪能力強化⇒人を食う(久希里の呪いつき)⇒呪い吸収⇒人を食う⇒蓄積
こんな感じですかね。
都乃は本気で不幸属性な。
古いやつをほっぽいたせいでなにを考えていたのか覚えてませんが。
ちなみに最後は首切里でのお話。時間がやや反転してるので丑三つ時ごろにふつうにお昼すぎ。というか時間という概念すら曖昧な場所なのであまり気にしない。

mae//tugi
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