帰ろうにも、そもそもの仕組みが違う世界ではそう簡単に帰ることもできずじまいだった。
この世界に連れ込まれた時にどこか異常をきたしたのだろうと渋々納得させ、どうにか人ごみに紛れる。これで仮にも神だって?あぁ、情けない。そう愚痴をいう相手もいなかった。
とっくに帰るつもりもなくしていた。確証はないが、帰ってはいけないと、誰かにそう言われているような奇妙な胸騒ぎが、そう願うたびに体を駆け巡ったのだ。ぞわりと鳥肌が立つようなその感覚に仕方が無く諦めたのだ。
フードを深めにかぶったまま、前を向く。とおり過ぎていく人ごみは誰も彼に気を止めることはなかった。
人々は変わらない。自身が住み着いていたあの場所も、今こうして立っている未知の世界でも、姿形もその心根も。変わることはないと感心していた。

「はぁ…どうしようかなァ」

随分と奇妙な世界だった。無知、不安定、盲信、愚直。他にも言い方は山ほどあった。そういう世界だった。
うまくそれを取り込んでさえしまえば、溶け込むのにはそう時間は必要ない。難しいことはなにもなかった。だが、普通に溶け込むだけではつまらないと、性分なのかそう思ってしまって行き詰っていたのだ。
広場の端、花壇の淵へと腰を下ろして、行き交う人を眺める。だんだんと日が落ちていくにつれて往来も減っていった。やがてぽつりぽつりと家々に灯りが灯る。空がよく見え、無一文ながらにどうするかと途方にくれていた時だった。
どうにも一日中そうしていたのを見ていたらしい老婆に誘われる。素直に行くあても金もないということを告げれば、仕方のないやつだと呆れ半分に招き入れられた。

「なぁ、婆さん。なんで俺みたいなの拾おうと思ったの?」
提供された夕食を囲みながら何となく問いかける。
くすくすと笑い、チェストの上に置かれた写真を見ながら、「ただの暇つぶしさ。」と答える。
写真には若い男ともう少し皺の少ない老婆の姿があって、それだけであぁ、と納得してしまった。
「一人ぼっちで老い先短いかわいそうな年寄りさ。付き合ってくれるだろう?」
「……ま、俺優しいから?気が済むまで付き合ってあげるよ」
「ははは、そりゃあ、優しいこったね。」
老婆が本当に楽しそうに笑うもので、色々と考えるのもアホらしくなってしまう。トントン拍子にことが運ぶことに言い知れぬ不安もできてはしまったが、断る理由もないとその日から彼はその家に世話になることになったのだった。

空になった器におかわり分の食事を注ぎながら、はたと思い出したとばかりに老婆が問うた。
「そういや、あんた名前はなんていうんだい」
「…あー………」
素直に名乗っても良かったのだが、何となく名乗る気になれず、言いよどんでいると名前もないのかいと老婆がげらげらと笑い出した。どこにそんなに笑う要素があるのかはわからなかったが、あまりにも笑い続ける老婆につられるようにして笑ってしまう。
「じゃあねー、ジョン。ジョン・クロスメアね」
「…気でも使ったつもりかい?」
嘘だけど、と心の中でつけたしながら、急に目を細めて訝しげにこちらを見やる彼女へとひらりと片手をふった。
「んにゃ、俺はジョンだよ」
「…そうかいそうかい、いい名前じゃないか」
肩をすくめ、やや視線を落としながら嬉しさ半分呆れ半分に老婆は微笑む。それから、「なら、私はこう言わなきゃなんないね。おかえり、そしてようこそ、ジョン」と背を向けながら言った。その声が震えていることも、背後の写真立てには本当に小さく、ジョンと彫られているのも、イドルは気がつかない振りをしながら、「ただいま、それからよろしく、婆さん」と小さく返したのだった。




気まぐれの賛美歌




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というわけで、晴れてイドルくんの偽名が決まりました。
【ジョン・クロスメア John・Crossmare】です。
普通の名前に思わせてところがどっこいな感じを目指してみました。
ってなわけで、当面の住居決定。トリップ直後はおばあさんの世話になったりおばあさんのおうちに住み込むことの多いイドルくん。

mae//tugi
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