あの人は本当に馬鹿なんですよ。だから、私はあの人が嫌いなんです。
そう最初の一言で切り捨てながら彼女は言った。

両親を早々に亡くして、残った家族は十もはなれた姉だけだった。
その姉はといえば、思い返さずとも素っ気ない存在で、保護は受けていたといえど家族と言うにはあまりにも寒々しい関係だったと記憶している。
身を削るように仕事に邁進する姉が家に戻ることは稀で、家にはいつも一人だった。誰かが夕食を用意してくれることもなく、自分で作るか、どこかで調達して食べる。昔こそ、帰ってきた姉のためと料理を作ることもあったが、やがてゴミを増やす無駄な行為であると理解してからはやめていた。それが影響することもなかったことも、一種の憎悪にしかならなかった。

時折ふらりと家へと戻ってくる姉の姿が変わることもなかった。
その顔に深く残っている火傷の跡も、無造作に伸びている黒髪も、悪そうなその人相も、それにぴったりな性格も。どれひとつ。
ぽいといくらかの小遣いと生活費を置いていくだけの存在が反面教師となって、姉のできないことは全てできるようになった。奇しくも、姉が捨ててきたものを全て拾い上げるかのように。

学校へも容易く通わせてくれた。働くと言っても聞き入れてはくれなかったし、行きたくないわけでもないので、そればかりは大人しく従った。そうして学校へ行くようになり、さらに多くの人と関わるようになった。姉の同僚などに会う機会も増えた。そうしてようやく知ったこともあった。
口々に違うことを聞かされた。好き勝手にやっていて、まるで子供のようだと楽しそうに言う人もいれば、それでいて仕事はこなすから文句は言えないと嫌そうに言う人も。
ただ、その誰もがどこかで哀れんだ声をしていたのは覚えている。

そう哀れんではくるものの、周りの誰もが助けてなどくれなかった。
その余裕がなかったのか、単に関わりたくなかったのか。
しかし、今こうして生きて、ありきたりの生活をすることができているのは事実であった。


あの人は馬鹿なんですよ、ともう一度繰り返した。


やりたいことは好きにやっているが、それにしても多くのものを捨ててきている。まぁわかりやすいところで言えば、人並みの常識の大半だとか、それに伴う罪悪だのなんだのまで、あげればキリがないだろう。
その中で最たるものといえば文字通りの女らしさといったものか。
成人みたないうちから働いて、その後は男社会の中で孤軍奮闘。結果として今はそこそこの地位と貯蓄を手にした。安定こそは手に入れたが…果たしてどちらがよかったのか。

さらに困ったことに、捨ててきたものに当の本人が気がついていないのだと彼女はぼやく。自分が手にしていない多くのものをもつが、同時に自分が持つ多くのものを持っていないのだと。それが少なくとも大多数が手にするものであるにも関わらず、それどころかそういうものがあることさえ気が付いていないのかもしれない、と、至極不愉快そうに言う。

だから、と言葉を区切り、こちらをみる。
似ていないと言う者も多いが、さすがは姉妹といったところか。その嫌に鋭い目は同じだった。

「いい加減、連れて行ってください。この家にあの人は必要ありません。それに、この家はあの人の家にはならなかった。困ることもないどころか、いなくなってくれたら清々します。」
随分と手厳しいと思いつつ、あぁ、これがなかなかに苦難に追われ続けた姉妹同士が見出した終着点で、気遣いの仕方なのだろうと苦笑をこぼすにとどめた。最後にふわっと笑い、「だから、どうかお願いしますね。」などと頼まれてしまっては、頑張るより他にはないというものだろう。
「できると思う?」
「やってもらわなければ困ります。本当、あれ、鬱陶しいんですよ。」
突破口が見えない問題が浮き彫りになっている事実から声をかけた結果が、思わぬ重圧と後押しで、どことなく自信をなくし問いかける。間髪いれず、どこのブラック企業の受け答えだと言わんばかりにぴしゃりと言われてしまい、ひくりと口元が引きつった。
「う、鬱陶しいって…」
「鬱陶しいですよ。自分の幸せっていうものを知らない馬鹿なんて、近くにいると腹が立ちます。さっさと既成事実のひとつでも作って黙らせて引き取ってください。頼みましたよ。」
歯に衣着せぬ物言いは姉妹らしいと、気がついてしまったその事実に笑う。同時に、そうは言いながらどことなく持ち上がっている口角を認めて、はい、とだけ答えたのだった。




焼け跡にも光は灯るのだと
(知らぬは当人のみだった)



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小町の独白的な。

mae//tugi
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