「シロウさん、こんばんわ」
「はい、こんばんわ」
朱池神社の境内で箒をかけていたシロウがやってきた女に目を向けた。
朝から機嫌の悪かったシロウ。その機嫌がさらに急降下したように思えた。
二人の目線が合わさった瞬間、じりじりと皮膚が焦がれるような、刺されるような、そんな感覚に襲われる。
いい加減にしてくれと賽銭箱の横で太郎がため息をついた。
「今日はどういったご用件で?」
「…えぇ、シロウさんに会いに来たんですよ」
「そうですか。なにもありませんが、ごゆっくり」
「えぇ」
シロウが一瞬こちらを見た。
まるで獲物か敵に遭遇してしまった獣のような目をしている。
兄弟の中で一番おとなしいシロウの機嫌がこんなにも悪いことも、敵意をむき出しにしていることも珍しい。
あぁ、しまった。カメラでも用意しておけばよかった。
そうすればあとで次郎や三郎にも見せられたというのに。
女にくるりと背を向けてシロウが離れようとしたその時。
ゆるりと女が手を伸ばしてシロウを引き止めた。
「…何かごようですか?」
「…わかってるくせに」
意味ありげに妖艶に女が微笑む。
なんだ、気でもあるのかと思いたくなる光景だ。
ただ、この、あいかわらずの張り詰めた空気さえなければ。
「いい加減にしてください。…怒りますよ?」
「いつもそんな感じなんですか?」
はぁとシロウのため息が聞こえた。
裾を掴んでくる女の手を振り払って、じっと見つめる。
シロウもいい加減女が誰だかわかった頃だろう。
現にシロウがいつのまにか取り出した札を一枚、握っていた。
機嫌が悪かったのもきっとこの女のせいだろう。
おかげで今日の朝飯の味が妙に濃くて次郎がむせていた。
「試すにしてももう少しうまくやるべきだったな」
「太郎様までそんなことを」
俺が声をかければ困ったように眉尻を下げる。
シロウだけが機嫌が悪くて、それから俺たちにはなんともないわけだ。
「三郎でも呼ぼうか?」
「…いえ、三郎様…いえ、おやめください」
「…いい加減にしてください。三郎兄さんもグルですか?」
「いや、俺がちょっと手伝っただけだ」
なぁ、と声をかければ女がこくりとうなづいた。
それもそうだ、俺か三郎が協力でもしない限りここには入れない。
ぎろりと睨まれて、女がさっさと逃げていった。
…狼に縄張りを荒らされるのが、この狐はお嫌いのようだ。
--------------------
朱池の話を初めて書いたのはこれでした。
いずれ書き直したい気持ち。
即興小説お題【人妻の狼】より
2013.06.27 移行
mae/◎/tugi>