日の光がよく当たる公園のベンチでふたりはのんびりとした時間を過ごしていた。
眩しい眩しいと若い女が木陰へと逃げるようにベンチの上をずるずると動く。
そんな女の姿に男が面白そうに喉で笑うものだから、女は力いっぱい男を睨んだ。
外は楽しいかと男が問えば、眩しくて疲れるけどね、と女が返す。
すこし白髪交じりの男の髪が陽の光できらきらとしていて、女はさらに目を細めた。
そんな女を見ていて男がぽつりと申し訳なさそうに言った。
わたしが君にとらわれていたんだね、と。
一拍おいて女がからからと笑い声を上げた。いまさら気がついたの、なんていいながら。



薄暗い部屋だ。その部屋には少女しかいない。
それから訪れるのはいつもひとりの男だけだった。
何度目かになる同じ問いかけを少女は男へなげかけた。
「これ、たのしいの?」
「もちろんさ。愉快すぎて笑顔が消えるくらい…」
そういう割には不機嫌そうに眉間に皺寄せているじゃないか!
少女はそう叫びたくなったが、いったところでこいつには何の意味もない。
満足してよ、と少女は苦笑した。
もうひとりはたのしいはずなのに楽しくないこの気持ちに納得がいかずにため息をつく。
ここは地下室。決して外に出れないと向かい合う男にいわれた。
それにどこか納得して、逃げることさえも諦めてから…さて、どれくらい時間がたったろうか。
ふと空腹感を感じて少女は男に話しかける。
この腹時計が正確かどうか確認することもできないまま、長い時間がすぎた気がする。
「おじさん」
「なんでだろうね」
この男は出会った頃からこうだ。同じ問いかけばかりを繰り返す。
その明確な意図もつかめないから、少女は答えることもできない。
いや、何度かはその問いかけに答えを投げかけたこともあったが、自分で答えを見つけない限り男は納得がいかないようで、意味もなく終わってしまったのだ。
これが始まってしまってはまた空腹を満たすまでに時間がかかってしまう。厄介だ。
「おじさん」
「これで楽しくないはずがないのに」
宙を見ながらうつろな目で考え込むその様子が恐ろしかった。
次には奇声を発して、そのポケットに入れてあるナイフをこちらに向けるのではと最初こそ恐れていた。
・・・まぁ、そんな恐れもいまではさっぱりと失ってしまって、いいから早くご飯をくれ、くらいしか思わなくなった。
「話聞いてよ」
「なんでだと思う?」
少女が多少苛立った声でそう言っても、男は例の問を少女に投げかけるだけだ。
「しらないよ」
ぶっきらぼうに少女が返す。男はじっと少女を見つめて、ため息をついた。
「しらないか」
「しらないよ」
知るわけがないじゃないか、お前のことなんて!と叫びたくなるのをぐっとこらえる。
いくら以前よりは恐怖がないといえども、挑発するほど自分は愚かではないのだと自分に言い聞かせながら。
男がゆらゆらと肩を揺らしながら少女から離れていく。何が食べたい?と聞いてくるがだんだんその声も遠のいてしまって、その先に続いた献立を聞くことは叶わなかった。
意外だがこの男の作るご飯はおいしい。
この男と会話することばかりで一日がおわる少女にとって唯一の楽しみが食べることくらいと言っても過言ではないのだ。
よくこんな退屈な生活を我慢できたなと少女は心の中でいつも愚痴を続ける。
それから出ていくこともかなわないことを思い出して、自嘲気味に笑うのだ。
その表情を何度か男に見られたことがあるが、その男はそんな笑い方をする少女にいつも君には似合わない笑い方だと諭してくる。全く、誰のせいだと言いたくなる。
ほとんど暗い部屋に閉じこもっているせいで視力が下がってきた目で、部屋に戻ってくる男の姿を確認した。その手には盆があり、その盆には念願のご飯がある。
「今日の献立は?」
「シチュー。」
「だけ?」
「パンもつけた。」
「最高!」
男は少女の目の前にある小さなちゃぶ台の上へと盆ごとおき、座った。
ポケットをあさり、小さな鍵を取り出したのを見て少女は何も言わず両手を差し出した。
じゃららと鎖の重たい音がなる。
手枷は冬場には冷たいと文句を言ってから幾つか冬がすぎていたことを思い出した。
いまでは手枷にクッションまでついて、冷たいなんてこともなくなったが。
かちりと音がして、重い手枷が取り外された。ご飯の時なんかはこうして外してくれる。
しかし、足枷ははずさない。
「いただきまーす」
「めしあがれ」
すこし固めの生地のパンを一口大にちぎる。柔らかいパンではぐじゅぐじゅになって好きでないのだ。それを知っているから、こうしてシチューとともに出してくれるパンは固めのものだ。
ちぎったパンを浸して、すこしシチューを吸ったあたりで口へと放り込んだ。
ほどよい甘みのシチューとくっきりとした食感ののこるパンが絶妙で、おいしい。
「おじさんあいかわらず料理は上手だね」
「おいしくない食事じゃ幸せにはなれないだろう?」
「うんうんそうだね」
いろいろと言いたくなるセリフではあるがいまはおいしい食事が優先だ。
さらりと聞き流してからはただ黙々とシチューにパンを浸して食べる。
その間も男はじっと動かずに少女を見つめるだけだ。
不意に少女と男が顔を上げた。
「…おじさん?」
「ここにいるだろう」
「だよね」
少女はちらりと男を見たが、男は未だに一点を眺めている。
物音がしたのだ。上の階から。
いつもはこの男の足音くらいしか聞こえないというのに、一体なんの音だろうか。
少女には皆目検討がつかないが、男の表情にはわずかに変化があった。
それは長い間ともにいなければわからないような変化だ。そんなのがわかるようになってしまったのかと少女は嬉しくなさそうに頬を緩めた。
「検討はついてるんだ?」
「ここに来るには遅かったがね」
少女には男が諦めた顔をしていることが分かってしまった。
こんな表情をするということは、突然の訪問者の正体は決まっている。
「ねぇ」
少女は男に声をかけた。平素と変わらない声音に男はようやく少女のほうをみた。
暗い部屋になれた少女は男の表情も見分けられるが、男はそうでもないのだろう。
怪訝そうに少女の顔を見つめていた。
階上の音が大きくなる。それは足音。複数人が駆け回るような音だ。
そんなうるさい音も聞こえないとばかりに少女が問うた。
「答えは出たの」
男はゆると首を横に振った。
いつもいつも繰り返していた答えは未だに見当たっていない。
もしかしたら、これからも見当たらないのかもしれない。
男の思考は迷路に迷い込んでいるのだと少女は知っていた。
「答え、ほしい?」
「君は持ってるのか」
持ってるよ、と少女は笑った。至極簡単なことだと。
男にはさっぱりとわからない。かわいそうに、こんなに簡単なのにと少女はころころと笑った。
こんなふうに少女が笑ったのは久方ぶりだ。
大分近いところから犬の声が聞こえた。もうすぐそこに来てしまった。
「教えてあげようか、わたしは見つけたから」
今度こそ間違いないよと少女は続けた。
男がなにかを言おうとしたその瞬間、少女の目には強く感じる光が部屋に差し込んだ。

「動くな!」

あまりのまぶしさに少女は目を閉じた。一瞬見えたのは青い服。
瞼の裏が明るすぎて、少女は眉根を寄せた。
男のため息がすぐそばで聞こえたと思えば、すぐにまぶたの裏が暗くなる。
目元に布の感触。さすがよくわかってると少女は感心した。
見えない。しかし、聞こえる。しかし、感じる。
目の前で男が押し倒されて身動きが取れなくなったことも。
ふと手が軽くなったことも。足が自由になったことも。
「おじさん」
ぐぅ、と重たい声が聞こえる。それは間違いなく、男の声だ。
答える余裕もないのだろう。そんなの予想していたことだ。
それから別の女の声が、少女へとかけられた。
「もう大丈夫だからね。」
少女を保護しました、とだれかに向かって女が言った。
それから異様にくぐもった声が了解、と答えたのは聞こえた。
なんだかそれが場違いに感じて少女はまた笑ってしまった。
「さぁ、おうちに帰ろうね」
女が続ける。その声がすこし疑問を持った声であることも少女にはわかる。
わからないはずがない。長い間声ばかりで感情を聞き分けていたのだから。
「かえるって、どこに?」
「あなたの家よ」
「おかしなことをいうのね」
「え?」
男がうめきながらも少女のことを呼んだ。
女が少女の肩に触れていたが、その手をそっと払い除けて、男の方へとずるりと近づく。
長く動かしていない足に力は入らなかった。
女が少女に制止の声をかけたが、少女はその声に答えないで、男へと近づいた。
危ないからと別の聞きなれない声が少女に忠告をする。それも当然、聞きはしない。
男の居場所がわからないことが、目で確認できないことが、なんだか苛立たしかった。
「おじさん、答えはわかった?」
のろのろと手探りで男の顔に手を伸ばした。するすると頬を撫でればその形くらいよくわかる。
これだ、これだ。これがおじさんだ、と満足げに少女が微笑んだ。
「すこしだけ」
「うそつき。わかってるくせによく言うわ」
少女とて知らなかったわけではない。
男が誰かくらいとうの昔に知っていた。
逃げる機会がなかったわけではない。
戦う術がなかったわけでもない。
それでも少女がここにとどまっていたことを男も知っている。
男がいつも少女を気にかけていたことも知っている。
この部屋に連れてこられた日のことも覚えている。
決して男が少女を傷つけなかったことも覚えている。
少女はわかっていた。
少女は知っていた。
「暗い部屋じゃね、おじさん。」
「答えがでないんだ」
「話聞いてる?」
「答えは?」
「見えないのよ、おじさん。暗い部屋じゃだめなの。」
ああ、全くいつもどおりだと少女は思う。
いつもどおりではないし、もうじき終わることもわかっていながら。
男の声は焦っているようだ。なにも焦ることなどないのに。
「答えでしょ、十二分な。」
「ああ、それもそうかもしれない。」
触れていたほほがゆるりと上がった。ああ、やっと笑ったのだ。
思えば少女は男が微笑んだところを見たことがない。
いつだって答えを求めて迷走していたのだから、余裕がなかったのだろう。
するりと少女が目元の布を取り払う。
明るい光が目にいたい。白んだ世界が鬱陶しい。
男が無理をするなと声をかける。いつもこの男は自分よりも少女のことを優先したがる。
大丈夫だからと言ったところで心配そうにこちらを見ていることだろう。
やがて少女の目が明るい部屋に慣れてくる。視力がわずかに下がったことを改めて感じた。
ほらね、大丈夫でしょ。からころと少女は嬉しそうに言った。
目の前で身動きの取れない男はそれを見て安心したように眉尻を下げた。
「おじさん」
まだ少女の右手は男の頬に触れたままだ。
こんな人だったのかと少女は男をまじまじと見つめながら思う。
それから照れくさそうに言う。
「はじめまして、おじさん。ずっと会いたかったわ。」
これが、少女の答えだ。
それに男の口元が嬉しそうに嬉しそうに歪むものだから、少女は呆れた風に笑う。
艷やかな黒髪もざくろのような唇も透き通る肌も変わらない、と幼い頃に一度見たときより年をとってしまった男が言った。あなたは年をとったねと言う姿さえ、美しいと観して。
「答えは出たでしょう」
「十二分に。」
どれだけそばにいたところで、男は少女に会えなかった。
暗い部屋の中では何年いても。どれだけ長く共にいても。
「すまない、気がつかなかった」
「いいのよ、今日からは気をつけてね」
十年あまり暗い部屋で過ごしてからようやく男は答えを手にした。
なんて単純な失敗か!どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのだろうか?
男を後悔の念が襲ったが、それからすぐに少女の言葉に目を丸くした。
一瞬、脳が言葉を理解できずに困ったが、ゆっくりと言葉を飲み込んでから、うなづいた。
今日からは気をつけることにしよう、と。
あしたからの日々は随分とたのしい日々になることだろう。
それはなんて幸福で、心満たされることかか!
先ほどの後悔の念など何処かへ行ってしまったようだ。
そばで見ている少女は男が百面相しているのを見ていた。
それから幸福な気持ちにとらわれていた男ははっと気がついた。
そのためにはまず、無粋な立役者たちにお帰りを求めねば!
…しかし、どうしたらいいのだろうか?
助けを求めるように、誘拐犯は少女を見たが、少女は知らん顔をしてただ楽しそうにしているだけだ。それはわずかな恨みもあった少女のささやかな仕返し。
少女が擁護してくれるその時まで、しばらく男が苦労したのは言うまでもない。


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今思うと、山吹の先々代とかじゃないかと邪推。
即興小説お題【失敗の牢屋】より

2013.06.27 移行

mae//tugi
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