人物 | ナノ

3. 


 真っ赤な夢を見ていた。
 左手の薬指に赤い糸がまとわりついている。
 最初は緩慢に動いていたそれは、あっと思った時にはもう、太さを変え、無数に枝分かれし、幾重にも絡み合い、視界いっぱいを覆うほどに埋め尽くしていた。
 左腕が動かない。巻き付いた糸――いや、それは最早糸と呼べる代物ではなかった。形容するならば、リボンが近いだろう。ともかくそれは、指から腕へ、腕から肩へと巻きついてくる。痛みよりも先に圧迫感を感じた。強い力で引かれる。どこか光沢のあるサテンシルクに似た生地は手触りが良いが、この状況ではどうでもいいことだった。
 しゅるしゅると衣擦れに似た音を立て、それは生物のように蠢いている。真っ赤なイバラにも見えるそれは、もがけばもがくほど力が強くなっていくようだった。
 口と鼻が塞がれ、首を括られ、胸を圧迫され、息ができなくなってきた。顔面も胴体も覆われて行く。きっとこのまま人間大のオブジェと化すのだろう。彫刻家が削り出すのを途中でやめた石像のように。
 イバラの乱舞は止まらない。「捕食」という単語が脳裏をよぎり、背筋を冷たい汗が流れた。
 目隠しのようにリボンが踊り、本能的に目を閉じる寸前、赤以外の色彩が消えた世界に声が響いた。

 ――このまま閉じ込めてしまえたらいいのに……


 * *


「――――……!」

 布団から跳ね起きた瞬間、自分の体がひどく濡れていることに気付いた。当然、雨などではない。全身に汗をかいていた。
 いつもの布団、いつもの寝巻着、いつもの内装、固く閉ざされた雨戸にカーテン――自室である。枕元の時計はこちらの都合にもお構いなしに秒針を刻んでいる。時刻は深夜二時を回ったところだった。
 体が震えるのは夜気のせいだけではない。心臓が圧迫感を覚えてずきずきと痛んでいる。夢の中で締め付けられたせいだろうかとも思うが、それとは――うまく言えないが――違う気がする。
 はっきりとわかることはひとつ。私はひどく混乱している。
 半身を起こした体勢のまま、自らを抱きしめた。どくどくと脈打つ鼓動が静穏を取り戻すのを待つ。汗で張り付く前髪を払いのけることさえも億劫で、私はしばらくそのままの体勢でじっとしていた。
 瞼の裏に残ったのは、真っ赤な色。それ以外は空気に溶けるかのように薄れて行く。徐々にほつれて行く記憶の中、最後に聞こえた声が脳裏でリフレインする。切なさを押し殺した、濡れた声。
 あれは誰の声だったか。私はそれを、たしかに知っている――そのはずなのに。

「ちがう……」

 あの子は、そんなことを言う子じゃない。彼女の左腕に巻きつけられたリボンを思い出す。鮮やかな赤。でも違う。違う。我知らず腕に力を込めてしまう。
 佐久間まゆのプロデューサーになって、いくつかの季節を共に過ごした。だが、あの眼差しに、私を呼ぶ声に、ほの暗い感情の兆しを感じている。私は担当アイドルのことを、心のどこかで信頼していないのではないか? ――疑念が泡のように浮かび上がり、激しい自己嫌悪と罪悪感に沈む。
 これではあの子のプロデューサーになれない。









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