4.
翌日、仕事を早めに切り上げた俺は、加蓮の自宅を訪れていた。天気は曇り、薄い雲が太陽を覆っている。
……正直、まだ気持ちの整理はできていない。子供の頃の約束なんて、思い出したところで一体どうすればいいんだ。俺も加蓮も、あの頃とは違うというのに。
「お見舞い、来てくれたんだ……。風邪くらいすぐ治すから待ってて。早く一緒にお仕事したいから……!」
加蓮はベッドの上で身を起こし、顔を綻ばせた。
初めて入った加蓮の自室は、やはりというか、清潔感があってお洒落で、年頃の女の子らしい部屋だ。ベッドの傍らには加蓮と凛と奈緒の三人が写った写真立てが置いてある。
「もう無茶はするなよ。また倒れられたら敵わない」
「あはは、心配かけちゃったかな……ん、でも私は大丈夫だよ。むしろなんだか元気出てきちゃった……」
「大体、加蓮は頑張りすぎなんだ。熱心なのはいいが、たまには休むのも大切だからな?」
「頑張りすぎない、ね……大丈夫よ」
それにしても……パジャマを着て髪を下ろした姿は新鮮な筈なのに、どこか懐かしいと思ってしまうのは……あの頃を思い出したからか。
「パジャマ姿、そんなに見られたら恥ずかしいよ……」
「す、すまん」
恥ずかしそうに笑うその笑顔に、不覚にもどきりとしてしまう。
* *
「もしわたしがアイドルになれたら……その時はわたしをおよめさんにしてくれる?」
あの日、病院の白い廊下で加蓮はそう言った。対し、幼い俺はといえば、
「わかったわかった。結婚でもなんでもするから、だから、もう泣くなよ」
「ヤクソクだよ?」
「はいはい」
加蓮がまだ小さかったせいもあり、微笑ましく思っていた。
だけど、俺も加蓮もあの頃とは違う。
あの頃の俺は加蓮のことをただ単に年下の女の子としか思っていなかったが、今は……気付いてしまった。自覚してしまった。
加蓮は俺にとって、とても大切な――ただひとりの女の子なのだと。
* *
俺は加蓮に頭を下げた。
「……すまない。アイドルの体調管理もプロデューサーの仕事なのに……」
加蓮はゆっくりとかぶりを振った。
「ううん、貴方のせいじゃない。私が無理しすぎただけだよ。それにね……」
一旦言葉を切り、加蓮は俺の手を取った。
「寝てる時にアイドルに憧れてた頃の夢を見たの。でも今は夢じゃない……。叶えてくれたのは貴方だよ!」
「いいや、それは全部加蓮の実力なんだ」
「貴方が私に言ったんだよ? 『夢を見ることを諦めるな』って。だから、今の私があるのは貴方のおかげだよ」
「……た、頼む、子供の頃の青臭い台詞を思い出させないでくれ……。恥ずかしくなる……」
「お互い様だよ。ふふっ」
微笑む加蓮に、胸が温かくなる。どうしようもなく満たされていく。
気付けば薄手のカーテンから白い日差しが漏れ、室内を明るく照らしていた。窓を見上げると、先程までの雲は消えていて、綺麗な青空があった。
「外、晴れたね。ふふっ、昨日の雨が嘘みたい」
「……加蓮」
「ん? なに、……!?」
加蓮の腰に腕を回し、引き寄せる。加蓮に負担がかからないよう、繊細な硝子細工を扱うように気を遣いながら、その細身の体躯を抱きしめた。加蓮の額がちょうど肩の位置に来て、彼女が身を固くしたのがわかった。触れ合う服越しに戸惑いが伝わってくる。
「ちょ、ちょっと……!!?」
俺は今、最低限の力しか入れていない。振りほどこうと思えばできるはずだ。
だけど加蓮はそうしない。
だから俺はゆっくりと抱きしめる力を強めた。
鼓動の音がする。これはどちらのものなのだろう。
「プロデューサー……」
おずおずと、加蓮の両腕が俺の背中に回される。
「思い出したんだ、何もかも。あの約束のことも」
「うん、なんだか不思議だね。貴方と昔会っていて、アイドルとプロデューサーとして再会するなんて……。でも……」
加蓮は俺を見上げた。
「私、あの頃とは違うよ」
その声は力強く、はっきりとしていて、思い出の中の女の子とは似ても似つかない。
「ああ、そうだな……。加蓮はもう、あの頃の病弱な女の子じゃない。夢を叶えた一人のアイドルなんだ。……俺は今の頑張り屋で努力家な加蓮の方が好きだよ」
「……わ、私だって、昔より、……ううん、昔よりもずっと貴方のことが好き。あの頃とは違うの……だって、あの頃よりももっと好きになっちゃったんだもの」
加蓮の頬に手を添えて上向かせると、潤んだ眼差しと目が合う。
「今度は俺から約束させてくれないか?」
「……うん」
加蓮は囁き、そっとその腕を俺の首に回した。
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