5.
あれから加蓮は一度も倒れることもなく、普段の仕事の傍ら、基礎体力の増強を中心としたメニューに励んでいる。時には凛や奈緒と思いっきり遊んで英気を養っているそうだ。
俺が加蓮と付き合い始めたことを告げると、奈緒は「やっとか……」と溜息を吐き、凛には「え……まだ付き合ってなかったんだ……?」と呆れられたが、それはまあいい。
第一、付き合い始めたと言っても何かが劇的に変わったわけじゃない。仕事中はあくまでアイドルとプロデューサーであり、変わったことといえば仕事の合間にデートをするようになったくらいだ。
そんな折、ブライダルパーティーの仕事が舞い込んだ。
「ねぇねぇ、ピンクのドレスって似合うかな? 私はもっと落ち着いた色の方が……ねぇ、聞いてる?」
加蓮がドレスを胸元に当てながら訊ねてくる。
「聞いてる聞いてる。ピンクも似合うと思うぞ。加蓮は寒色のイメージがあったんだが、こういう色もいいかもな」
「そう? よかった。それにしても、ウェディングかぁ……女の子の憧れって感じだよね。まぁ、私も憧れてたりしたけど……ふふっ。いいでしょ、女の子なんだから!」
ここは控室になっているホテルの一室で、俺と加蓮しかいない。仕事までまだ時間はある。
「ところで着替えたいんだけど……ちょっと後ろ向いてて欲しいな? いい?」
「って、更衣室は使わないのか?」
「二人きりだから……いいでしょ?」
慌てて後ろを向くと同時に、衣擦れの音が聞こえてくる。加蓮は俺のすぐ背後で着替えているため、些細な音まで聞こえてしまう。姿が見えない分、余計にそちらに意識が集中していく。
「着替え終わるまで待ってて、ね」
信頼されているのは嬉しいが……これは理性を試されているのだろうか。
* *
「すごーい、かわいいドレス! ほらプロデューサー、どう? ……もう、私のプロデューサーなんだからちゃんと見てよ。ブライダルなんて初めてなんだから! いい? 結婚式は女の子の夢なんだよ。ふふっ!」
着替えを終えたのだろう、加蓮のはしゃぐ声が聞こえた。理性理性と胸中で繰り返しながら内装の観察に集中していた俺の気も知らず、加蓮はポーズをとってみせる。
ウェディングドレスは眩いばかりの純白。それを纏う加蓮はいつもよりも華やかで、ぐっと大人っぽく見える。
「ねぇ……似合う、かな……?」
「……ああ」
その場でくるりと身を翻した後、上目使いで問われれば、首を縦に振ることしかできない。本当に感動した時は言葉を失うのだと初めて知った。
「驚いた……とてもよく似合っている」
「ありがとう。ふふっ。……なんだか照れ臭いね」
加蓮はドレスの裾をつまんで身をよじった。漣のようにスカートが広がる。
「あ、そうだ」
加蓮がいきなり振り返る。例えるなら、何か重大な事項を見落としていた時の顔だ。
「ウェディングドレスを着ると婚期逃すんだって。……ん、知ってたの?」
「……まぁ、知ってた」
「ひどい。教えてくれればよかったのに」
そう言われても、この仕事に乗り気だったのは加蓮だろうに。なにより、
「加蓮には先約があるから問題ないだろ?」
「そうだけど……」
冗談めかして笑うと、面白いくらい真っ赤になってしまう。
「ウェディングドレス、着ることなんてないと思ってた。私、今、幸せだよ」
加蓮はふと神妙な顔をした。「私、北条加蓮は生涯貴方を……なーんて、驚いた?」
「こら、大人をからかうんじゃない」
「とか言って、赤くなってる。ふふっ」
いたずらが成功した子供の笑み。大人びたウェディングドレスにはアンバランスだが、加蓮らしいといえば、らしい。
やられっぱなしはなんとなく癪なので、俺は加蓮の手を取り、絹の手袋越しに左手の薬指――丁度指輪をする位置に口づけを落とした。
「……今日のところはこれで勘弁してくれ」
「……不束者ですがよろしくお願いします……って感じで、いいのかな……」
加蓮は左手の薬指をまじまじと見つめ、はにかんだ。こうも素直に喜ばれると俺の方が照れてしまう。
「ねぇ、指にもそれぞれ意味があるんだよ。薬指はね、――『願いを叶える』」
「へえ、そうなのか。結婚指輪を嵌める指としか知らなかった」
ネイルが趣味の加蓮は流石にこういうことに詳しい。
「貴方のおかげで、子供の頃の夢が二つも叶っちゃった。アイドルにウェディングドレス……次はどんな夢が一緒に見れるのかな」
夢を叶えた少女は、新しい夢を求めていた。
一緒に、と言ってくれる。その言葉がとても嬉しい。
「ゴールじゃなくて、スタートだよ」
ここからまた始まるのだ。彼女の挑戦が。
かつて人生を諦めていた少女は、幸せを象徴するドレスに身を包み、微笑む。
「これからもよろしくね、私のプロデューサー!」
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