2.
さて、あれは2月の始めだっただろうか。
「ええと、卯月のラジオ番組の収録が来週の火曜で、土曜にはバレンタインイベント……、幸子のCM撮影の時間が変更になって……」
俺は事務所のホワイトボードに担当アイドル達の予定を書き込んでいた。
「みくの写真撮影が22日の午前中、っと……」
スケジュール帳と相違無いか確認した後、ペンを戻そうとして、その手を止めた。
「ふむ……」
2月22日という文字列をしばらく眺める。ゾロ目に並んだ数字は語呂合わせで「猫の日」として制定されている。しかし、俺にとってはそれ以上に大切なことがあった。
俺はホワイトボードに「みくの誕生日」と書き込み、ようやくペンを置いた。すると、横から弾んだ声が飛んできた。
「うにゃ〜んっ♪ プロデューサーチャン、みくの誕生日覚えててくれたのー!? すっごくすっごくうれしいな♪ ありがとにゃ♪」
下ろしたままのショートボブに、赤いコサージュが揺れる。みくは飛び上がらんばかりに喜んでいた。
「俺がみくの誕生日を忘れるわけがないだろう」
好意を素直に表してくれる姿が堪らなくて、みくの頭を撫でた。みくは素直にすり寄って来る。
「プロデューサーチャンは、ホントにみくのこと大事にしてくれるよね。やっぱり信じてついてきてよかったにゃ☆」
「午前中は仕事だから、午後は空けておいてくれないか? 寿司でも食べに行こう」
「なになに〜? もしかして〜誕生日パーティー代わりにご飯いく〜? ドキドキ☆ プロデューサーチャン、これからも、一緒にドキドキしようにゃあ☆ ……え、寿司? ……え?」
みくの声のトーンが落ちたけど、気付かないフリをする。
「そう、祝い事と言えば、寿司。めでたい時には、寿司! それが伝統文化だ!」
「プロデューサーチャンがナターリアチャン並みにステマしてくるにゃ!!」
「まあまあ寿司どうぞ!」
「ふにゃあ! みくがお魚苦手なの知ってるでしょ!」
知ってる。超知ってる。でも俺はあえて言葉を続けた。
「好き嫌いはいけないと思う!」
「好き嫌いはしかたないモン!」
「冗談だ、冗談。俺はこれでもみくが嫌がることはしたくないし、しない。――たまに反応を楽しむだけで」
「今なんだかさらっと言ったにゃあ」
「プロデューサーさん、あまりみくちゃんをからかっちゃダメですよ?」
アシスタントのちひろさんが気配も無く近づいて来た。どことなく怖い笑顔だ。
「やあちひろさん、相変わらず目に痛い蛍光グリーンですね! 言っておきますがスタドリはいりませんよ!」
「ぐっ……どうして挨拶と同時に先手を打つんですか!? あとこれは制服ですからね!?」
「スタドリ渡す気だったにゃ?」
ちひろさんは「とにかく」と咳払いをすると、ずいっとこちらに向き直った。
「いいですか、プロデューサーさん。程々にしないと嫌われちゃいますよ?」
「そうにゃ! だからお魚はやめるのにゃあ!!」
「ええ、確かに嫌われるのは嫌ですね。気を付けます。……だからみくは俺のスーツを引っ掻かないでくれないか?」
苦笑を向けると、みくは唇を尖らせたまましぶしぶ手を離した。
俺は再度ちひろさんに向き直る。
「それと、22日ですが、午後から有給を使わせて下さい」
ちひろさんは溜息をこぼした。俺が何を言うか予想していたみたいだった。
「ちゃんと申請して下さいね。それと、……あまり無理をしないように」
それだけ言うとちひろさんは立ち去り、それと入れ替わる様に卯月が通り掛った。ホワイトボードを見上げて、そうだ、と歓声を上げる。
「みくちゃんもうすぐお誕生日ですね! 少し早いですけど、おめでとうございます!」
「うづにゃん、ありがとにゃ♪」
同じ事務所のアイドルは、トップアイドルを目指して切磋琢磨するライバル同士でもあるけれど。
それ以上に、仲間だった。
少女達が和気藹々するのは非常に微笑ましい光景だが、みくを取られたみたいで悔しいから割り込むことにする。
「俺達この日、仕事が終わったらデートをするんだ」
「わぁ、デートですか!? 頑張って下さいね!!」
「ああ、――頑張るよ!!」
「何をにゃ!? 今の間は何にゃ!? プロデューサーチャンもフラグっぽい言い方やめるにゃあ!!」
「昼食にハンバーグでもケーキでも何でも奢ってやって、その後猫カフェにでも行ってまったり過ごすというプランを考えているんだけど、どうだろう」
「素敵だと思います!!」
「プロデューサーチャン、最近みくの気持ちが分かってる! エライエライ☆」
現金なくらいはしゃぎ始めたみくに、俺は努めて優しく言った。
「そういえばみく。猫カフェに行く前に魚を食べておくと懐かれやすいって聞いたんだが」
「食べないよ!?」
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