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ほぼ全壊した建物を見て、ふと気づく。マチってもしかしてこの中では…?

客席から、青い空が見える。辛うじて形を保った舞台は、瓦礫と傷で底が抜けそうだ。わたしが出てきたのはあの幕の裏。マチは、まだ連れてかれてなかった。

「…下ります」
「イズル?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけじゃねェよ。懲りろ」
「ごめんなさい」

溜め息をついたイゾウさんが、直ぐ後ろをついてきてくれる。舞台に続く階段が軋んだ音を立てた。既に時間が経ってるからか、人がいない。逃げたのか、それとも。

「ひっ、…ぅ、えっく、」
「マチ?」
「…、おねえさ、」

声のした方を振り返れば、階段の裏の影から小さな赤い頭が覗いていた。駆け寄ろうとして、腕を強く引かれる。きつく眦を吊り上げて、…にしても目付き悪いな。隈?が、できてる?

「イゾウさん、わたしと一緒に売られてた子です」
「そっちじゃねェ。行くな」

マチは階段下から出てこない。イゾウさんが怖い顔してるから?見慣れた怯え顔のまま、ここ数日ずっと見てたのと同じ顔。…同じ顔?

「流石に、彼氏が一緒じゃ引っ掛からないか」
「…てめェ」
「正直、間に合わないと思ってたんだけどね。喜んでもらえたみたいだから、別にいいけど」

かちゃ、と。イゾウさんが銃口を向けた。階段下から這い出してきたのは、マチを抱えたナンパ男。つまり、あれか。まんまと釣られたわけか、わたしは。

「仲良かったもんね。まさか戻って来るなんて思ってなかったけど」

マチが涙いっぱいの目で見上げている。駄目だ。絶対に後悔する。イゾウさんが腕を強く握って離さない。ごめん。懲りなくてごめん。でも絶対嫌。最初に心配してくれたのは忘れてない。

「イゾウさん、手、」
「離さねェ」

いっ、痛い痛い痛い。折れる。砕ける。ごめんなさい。ごめんなさいって!悠々とした態度でナンパ男が取り出したのは、いつもの注射器。背中を悪寒が這い上がった。あれ嫌い。大嫌い。

「覚えてる?君ならこの量で大体半日。これをこの子に投与したら…賢い君ならわかるだろ?」
「…そんなことしたら売り物になりませんよ」
「そうでもないさ。物好きは沢山いるからね。でも、優しい君は見過ごせないだろ?」
「…どうしろと」
「君とこの子で交換だ。あの人も気に入ったみたいだしね」

誰だ。あの人って。上等だ。やれるもんならやってみろ。今ならイゾウさんが一緒だぞ。

「イゾウさん、手離して」
「馬鹿言うんじゃねェ、怒るぞ」
「ごめんなさい。でも、」
「イズル」
「わたしは、わたしがこんなことを見過ごせる人間だなんて思いたくない」
「見過ごせなんて言ってねェだろ」

腕を引かれて、銃声が二発。シリンジが割れて、頬が切れたのが見えた。男はマチを抱えて、笑みを張りつけたまま煙のように消える。…また、またあれか。悪魔の実。

「舐めんな」

イゾウさんは躊躇いなく引き金を引く。…あの、信じてないわけじゃないけど、あの、当てずっぽうじゃないよね?マチに当たってないよね?

「はは…流石に、無茶が過ぎたかな…」

男が靄の中から姿を表した途端、ぼたぼたと、男の腕や腹から落ちた血が、そこら中に模様を描いている。こっちに向かって放り投げられたマチを、何とか受け止めて尻餅をついた。頑張った。わたしにしては頑張った。そんな上手にキャッチなんかできるわけないじゃん。

「海賊が人助けとはね」
「イズルが望むんなら何だってしてやるよ」
「おっかないなあ…あの子は手放したんだから、見逃してくんない?」
「はっ、面白い冗談だ」

大好きな銃声が響いた。勿論、マチの耳と目は塞いで。片手だけど。



***

「…ジョーカーさん」
「フッフッフッ…生きてるとは驚きだな」
「能力は使いよう、でしょう?」
「面白ェもん見せてもらったよ」
「お気に召しました?」
「フフフフ…暇潰しくらいにはなァ」




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