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聞き慣れた、わけではないけれど。その銃声に酷く安堵した。緩んだ手を振り解いて走る。たった数mが妙に遠かった。

「おれのもんに勝手に触ってんじゃねェよ」

地を這うような声というのは、たぶんこういう声なんだろう。おれのもん発言には些か言いたいこともあるけど、来てくれたことが嬉しい。

「イズル、」
「さわらないで」

イゾウさんに精一杯しがみつく。良かった。だって、もうどうにもならないと思った。嬉しい。本当に感謝してる。けど、それとこれとは別。煙草より、香水の臭いがきつい。くっそ。そんなつもりなかったのに。

「あのお姉さんたちに握られた手で触らないで」
「…あァ」
「助けてくれて、ありがとうございます」
「いや、間に合って良かった」
「香水臭い」
「…悪い」

別にイゾウさんが悪いわけじゃないのは知ってる。一緒に行くって言ったのはわたしだし、引き留めなかったのもわたしだ。店を出たのもわたし。全部自業自得。誰も悪くないなんてことは全くないけど、わたしも悪い。

「あー、こわかった」

何でもないように言いたいのに、声が震えた。嫌だ。こんなことで泣きたくない。涙が勿体ない。何で手なんか握られてんのさ。ぎゅってしてよ。

「イズル、顔上げてくれ」
「やだ」
「頼む」

やだ。やだって言ったらやだ。イゾウさんはわたしに触れない。から、イゾウさんに成す術はない。ざまあみろ。いや、全く喜ばしくないんだけど。

「なァ、後生だから顔上げてくれ」
「なんで」
「キスしたい」

…何でそういうこと言うかな。いや、聞いたのわたしだけど。目元を拭って、薄ら顔を上げる。額に落ちてきた熱が、瞼に、頬に、ゆっくり下がっていく。

「イズル」

息と一緒に囁かれた名前が溶けた。苦い。酒の味、じゃない。

「…、イゾウさん。煙草吸いました?」
「…ちょっとな」

ちょっとって、そんな。そんな苛々してたの?お姉さんびっくり。

「イズル以外の女と喋ったって楽しかねェよ」
「姉さんたちは?」
「そういう意味じゃねェ」

ちゅ、と唇にもう一回触れてから、イゾウさんが体を起こす。満足ですか。わたしは早く帰って風呂に入りたい。

「帰るか?」
「走って帰ります」

早く帰って、風呂入って、そしたら髪乾かしてもらおう。びしょ濡れのまま行ってやる。



***

「悪ィねい」
「いいえ。怪我したわけでもないし、大丈夫よ」
「少し多目に置いてくよい」
「あら、どうもありがとう。…あの子たちは恋仲?」
「一応ねい…片方が鈍いんだよい」
「ふふ、可愛いじゃない」
「見てる方は焦れったくてしょうがねェ」
「あのお兄さんも、それを待ってあげてるんでしょう?素敵じゃない」
「短気な癖に、よく我慢してるとは思うよい」




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