03


今日は釣りをしていた。甲板の手すりに座って糸を垂れ、待つ。ひたすら待つ。やったことがないわけじゃないけど、正直、アタリが来てもわからない自信がある。

「流石にここまでアタリがねェと暇だな」
「そうですねえ…でも、楽しいですよ。釣りなんて殆どしたことなかったですし」
「あー、おれたちは暇さえありゃァ釣ってるからなァ…」
「貴重な食糧ですもんねえ」

そんな緩い会話をしながら、アタリが来るのを待っていた。お相手のロハンさんは、なんだかんだと気にかけてくれる。不愛想だけど、いい人だと思う。

「…、おい、お前の」
「はい?」

返事を終えた次の瞬間、突然重くなった釣り竿に持っていかれた。体ごと、全部。いや無理。絶対無理。どんなに来るとわかってたって、何回やり直したって絶対同じことになった。まじでめちゃくちゃ重かった。

咄嗟に竿を掴んだロハンさんと反対に、わたしの手は離れた。…だって。無茶言わないでよ。人並みの握力も腕力もあるけど、人並みしかないんだよ。

目を瞑って、息を止めて、水音が聞こえた。そこそこ高さがあったらしい。首から落ちなくてよかった。
目を開ければ一面の青。泡が上がっていく様がきれいだ。その青の中、動き回る黒くて長い影。いや、これ釣るったって無理じゃない?人間が釣り上げる大きさじゃないでしょ。ここの人たち何なの?ゴリラ?

纏わりつく服に邪魔されながら、何とか海面に顔を出した。つら。髪邪魔。

「おい、大丈夫か!?」
「はあーい、大丈夫でーす」

心配の声と一緒に投げられた縄梯子。に、…掴まりたいのは山々なんだけど、船がかき分ける波が荒くて近寄れない。どころか流されている。気がする。無茶では?ねえ、これ無茶では?死ねってことかちくしょう。

咄嗟に、手が触れたものを掴んだ。細い、と言ってもわたしの首くらいはあるけど。何か、縄みたいな。それが海中に沈んで、流れに逆らって、あろうことか重力にまで逆らって、宙に浮いた。感覚的には放り投げられた。謎の縄はもう手の中にない。その黒くて長い何かより高く上がったわたしが、まさか重力に逆らえるわけもなく。判断を間違えたかもしれない。海に落ちても甲板に落ちても死にそう。

ああ、でも、きれいだ。一面の青。海とは違う、空の青。
そんなことを考えるくらい滞空時間があった。

「うっ…」

自由落下に突然抵抗がかかって、のどの奥から声が出た。硬い感触はない。目の前に人の顔がある。ゆっくり甲板に下ろされて、どうやら受け止めてもらったらしいとだけわかった。ありがたい。けど、待って、膝震えてるんだけど。

「ありがとうございます」
「おう、大丈夫か?」
「大丈夫です。生きてます。…生きてます?」
「生きてるみたいだが、大丈夫には見えねェぞ?」

あ、そう。生きてて良かった。一応命の恩人の、その、目に傷のある人は、自分の掌を指差している。髪形についてはノーコメントだ。個人の趣味をとやかく言うつもりはない。

「あは、手から鱗が生えてるみたい」
「くっ…そういう感想なのか。って、おい!抜くな抜くな!自分でやるな!」
「駄目ですか?」
「変に抜いて傷が残りでもしたら勿体ねェだろ!それに、体ん中に残ったらまずい。毒がある魚だっているんだからよ」
「…あれ魚なんですか」
「おう。ヨロイウナギって言うやつでな。…いや、今は先に医務室行け」
「あ、はい」

うなぎ。鰻か。いっそ竜だって言われた方が納得した。まあ、言われてみればそう見えなくもない。そう言えば、鰻には毒があるんだっけ。

「おい、大丈夫か!?」
「はい、大丈夫です。けど、医務室行けって言われたのでちょっと行ってきます」
「…その手じゃドアも開けらんねェだろ。一緒に行ってやるよ」
「ありがとうございます」

船医さんに見せたら怒られた。やっぱり自分で抜いちゃあ駄目だったらしい。



***

「そしたら手から鱗が生えてるみたいってさ、嬉しそーにしてんだよ」
「何でそんなもんが嬉しいんだよい」
「知らねェ。あ、でも、怪我とか戦闘に慣れてるって感じじゃねェな」
「見りゃわかるよい。ぼやっとしてて危機感も薄そうだからねい」
「それだけじゃないぜ?軽くて細っせェの」
「気持ち悪ィ顔すんなよい」




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