43 ※東北大震災に関する記述があります


しゃきん、と。派手ではないけれど独特な音が響く。有りか無しかで言ったら全くもって無しだと思うんだけど。いや、わたしが言えたことでもないけどさ。駄目でしょ。飲食店だぞ。

「どのくらいだ?」
「30cm」
「…そんなに切ったらショートじゃ済まねェぞ」
「冗談です。いい感じにばっさりお願いします」

あーあ。本当に。本当に全く。マスターが悪いわけじゃないけど、飼い犬の躾はしっかりしてほしい。

「ごめんね。そんなに嫌がられると思ってなかったんだ」
「本当に、申し訳なかった」
「別にマスターさんが悪いわけじゃないんで、謝っていただかなくて結構です」

ぱっと見40過ぎ。成程。馴染みのある日本人顔だ。妙な懐かしさはあるけど、今はそれすら不愉快だ。

「わたしに何か用ですか」
「…まさか、あんたが噂の日本人か」
「何ですか、噂って」
「別に、うちの船にいる奴が、たぶんニホン出身だって言っただけだよい」
「…余計なことばっかり」

胸倉掴んで揺すってやりたい気分だ。お陰様でえらい目に遭った。

「はは、随分気の強い姉ちゃんだな」
「どうも」

わたしの不貞腐れた様子に、マスターが困ったように苦笑う。褒め言葉と思っておこう。日本だったら、気が強い、我が強いは空気が読めないと同義みたいなとこあるけど。ここは日本じゃないもんね。

「用件をどうぞ?応えられるかはわかりませんけど」
「機嫌悪ィなァ」
「最悪ですよ」

そもそも、今現在進行形で、わたしの精神衛生状態は大変よろしくない。まさかいきなり彼方に帰されるんじゃないかと不安で堪んないときに、態々こんな店に来たくなかった。

「悪いな。おれが会いたいって頼み込んだんだ。どうしても、あんたに訊きたいことがあってな」
「はあ、答えられることなら答えますけど」

一瞬、ぐ、と眉間に力を入れてから、マスターは息を吐く。何。そんな重たい相談されても困るんだけど。

「おれは、福島出身なんだ」

…ああ、成程ね。そういうことか。そりゃあ日本人と話したいよね。答えられないこともないけど、欲しい情報はあげられないぞ。



***

「ほら、元気出せよ」
「酒飲むか?」
「飲まねェとやってらんねェよ!まさか髪切ろうとするなんて思ってねェしよ!」
「流石にびっくりしたなァ…」
「おれはてっきり、あの野郎をやっちまうのかと…」
「イズならやりかねねェな」
「しっかし、イゾウ隊長も容赦ねェな」
「あ?」
「ばっさばっさ切ってくぞ。髪は女の命なんだろ?」
「余所の男が触って気に食わなかったんだろ?放っとけ」
「触らぬ神に何とやら、だな」




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