195


平穏、とは言い難い喧騒がここまで届いている。見張り台の上から見えるのはモビーディックにも劣らない大きな帆船が数隻。御大層なドクロを掲げている。

別に遊びに来たわけじゃない。普通に見張りの仕事をしていた。している筈だった。甲板より見張り台の方が安全だなんて、何を言ってんだかよくわからなかったけど。こういうことだったらしい。一体いつから、どうやって気づいたんだろう。いや、乗り込まれてないから、甲板も別に安全ちゃ安全なんだけど。

「こんなもん見てて楽しいか?」
「楽しいと言うか、…まあ、楽しいです。勉強になります」
「なんねェだろ」

じぃっと目を凝らすわたしに、イゾウさんが呆れたように言う。別に珍しいことでもない。そうしょっちゅうなわけでもないけど。血の気の多い海賊諸君はどうしても父さんにちょっかいをかけたいらしい。かけられてないけど。

「イゾウさんはいいんですか?」
「ん?」
「参戦してこなくて」
「おれの出る幕じゃねェからな」

…そっか。いっぱいいるんだけどね。まあ、いっぱいいるで言ったらこっちもいっぱいいるしね。派手な火が上がってるのはエースさんだろうか。

「それに、イズルを一人にするわけにいかねェだろ?」
「ならロハンさんでも寄越してもらえれば大丈夫ですよ。リノンとか、引き籠ってるようで結構物騒ですし」
「…」
「嘘です、ごめんなさい」

腹に巻きつく無言の抗議に早めに降参しておいた。広いとは言い難い見張り台の中、イゾウさんの脚の間にいる。温い。眠たくなってくる。何か、ドフラミンゴが云々と言うより、大義名分を得たって感じがするんだよなあ。元々一緒にいる時間は少なくなかったけど。イゾウさんが見張りしてるのなんて初めて見た。

「ん…?」
「へェ、面白ェのがいるな」

妙な、と言うか、胃の底からぞわり、とする感覚。それがゆっくり心臓に手を伸ばしてるような嫌な感じ。あっちには誰がいたかなあ。怪我しないといいけど。

「何ともねェよ。ハルタがいる」
「それは…御愁傷様ですね」

相手が。とす、と背中を預けたら頭を撫でられた。包まれた密着感に安心する。布団みたい。あの存在感には敵わないし、もしかしたら逃げられないかもしれない。そう気づいたら、ちょっと怖かった。

「珍しいな」
「何がですか?」
「イズルが怯えるなんて滅多とねェだろ。いっつも逃げられなくなってから気づくからな」
「負けん気が強いもので」
「…褒めてねェからな」

ごめんなさい。ちょっと本気で苛立ってそうな声に顔を上げる。眉間に皺が寄っていた。ごめんて。

「…父さんに怒られたから?」
「あ?」
「父さんに怒られて、めちゃくちゃ怖かったから。こう、何か、絶対強者の圧みたいな。そういうのがわたし個人に向けられたのってあれが初めてだったんで」
「ああ、なるほどな」

自分よりも強い人間なんてごまんといるし、寧ろわたしが敵う生き物の方が少ないのは知ってるけど。本当に自分が死ぬかもしれないんだと。狙い撃ちされたら抗いようがないんだと。

「なら、今後はちゃんと頼ってくれるよな?」
「それとこれとは別です」
「おい、ふざけんな」
「ひょっ、いひゃいいひゃいいひゃい!」
「本っ当に減らねェ口だなァ?ちゃんと、頼ってくれるよな?」
「ろ、ろりょくはしあしゅ」

ぎゅうぅぅ、とつねられた頬が伸びきって自由になった。痛い。じんじんする。けど、頬っぺたよりも、その視線が痛い。頑張るよ。頑張るから、そんな困ったような目で見ないでよ。



***

「数ばっかり多くて邪魔!すっごい面倒くさいんだけど!?」
「エースが、羨ましくなります、ねっ!」
「ハルタ隊長!船内からまだ…!」
「何!…へえ?面白そうじゃん。おれがもらうよ!」
「あっ、ハルタ隊長!」
「他の雑魚は片付けといてよね!」
「無理言わないでください!」




prev / next

戻る