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昨日の再挑戦。と行きたい所だけども、今日は船番。明日には出航だから、次の島までお預けだ。悔しくないことはないけども、別にこの島に拘りがあるわけじゃない。極論を言えば別にどこでも、イゾウさんと一緒なら楽しい。絶対言わないけど。

「ぴりぴりしてるねえ」
「そりゃそうよ。ドフラミンゴが相手だもの」

優雅にグラスを傾けて、リリーさんが笑う。食堂の一角。楽しい楽しい女子会に駆り出されている。おやつまで用意してもらって、ミシャナはクッキーを頬張りながらきょろきょろしていた。別のテーブルにはカードゲームをする兄さんたちがいて、厨房は短い休息に火を止めている。夕方が近くなったらまた騒がしくなるんだろう。

「イゾウ隊長はどうしたんですか?」
「甲板で稽古つけてる」
「ふふ、熱心ねえ」
「あたしてっきりイズさんとずっと一緒にいるのかと思ってました」
「ふふ、好きにしてていいって言ったんだから、一緒にいない時間だってあるわよね」
「女子会には呼べないもの」

リタさんとエルミーさんの言葉に、ミシャナはクッキーを飲み込んだ。本当は稽古に混ざろうかと思ってたんだけど、自重した。たぶん、気が散るんじゃないかって。

「それで?この前のデートはどうしたの?」
「あー!それ超聞きたいです!」
「どうしたって言われても…ご存知の結果だけど」
「違いますよお!何でイゾウ隊長が洋服着てたんですか?もしかしてイズさんの見立てですか?」
「違う」
「イズの違うはどこまで違うかわからないものね」
「昨日の服だって、イゾウと出掛けること、考えてたんでしょ?」
「考えてないとは言わないけどイゾウさんの為じゃない」
「でもー、イゾウ隊長の服は完全にイズさんの為でしたよねえ」
「わたしたちが頼んだって着てくれないもの」

…さいですか。頼んだことがあるのか。でも本当に、わたしが頼んだわけじゃないし。持ってたことすら知らなかったし。寧ろわたしが聞きたい。何で洋服持ってたんだろう。

「ねえ、リリーさんたちはそういう相手いないの?」

わたしの話ばっかじゃあ、わたしがつまらない。思いつきでふってみた話題に、姉さんは思案顔になった。いるのか。正直いるとは思ってなかった。え、姉さんのお眼鏡に敵うなんて。誰。すごい気になる。

「イズ、あなたには少し申し訳ないんだけど」
「何が?」
「そうね。あんまり聞かせたい話じゃないわね」
「…わたしが心的外傷を負うような話?」
「どうかしら。そんなことはないと思うけど」
「えっ、まさかのまさかですか?もしかして泥沼な展開?」

いや、姉さん相手じゃ泥沼にならないけど。いや、でもナースとそういうことはなかったって、言ってた気がするんだけど。え、どうしよう。納得してしまう。美男美女じゃないか。キアラは許さないけど姉さんなら許す。いや、許す許さないの話じゃないけど。

「もー!勿体ぶらないで教えてください!」
「言ってもいい?」
「どうぞ」
「…イズには本当に申し訳ないんだけど」

リリーさんはそこで言葉を切った。ふと気がつけば、雨粒が窓を叩く音が耳につく。天気雨、じゃないな。夕立っぽくはあるけど。皆帰ってくるかもしれない。タオルの準備しなきゃ。でも今はこっちが気になる。

「船長と比べるとどんな男も小さく見えるのよ」
「そうね。一緒にいる時間が長すぎるのかしらね」
「だからイズには申し訳ないんだけど、イゾウも男としてはまだまだ物足りないと言うか」
「頼りないのよね。いざって時に船長と比べちゃうと」

それは、…比べる相手が悪いのでは?父さんに勝るほど頼もしい人間がこの世にいるか?いや、わたしにとって、イゾウさんは頼もしいんだけど。そりゃ父さんと比べたら敵わないさ。

「ふふ、安心した?」
「え、いや、別にそもそも不安になってないし」
「あら、でもちょっと考えたんじゃない?」
「残念ながら守備範囲外だったけど」
「それに、イゾウよりもビスタの方が紳士だわ」
「それで言ったらフォッサだって気配り上手よ?ちょっと無愛想だけど」
「意外とロハンなんか可愛いわよね。あれは船長とは別系統だもの」
「…いや、ちょっと、びっくりしたじゃないですかあ!イズさんよりあたしの方が、」
「イズル!」

ミシャナの声を掻き消して、食堂の扉が勢いよく開いた。ミシャナがびっくりして飛び立つ。振り返れば、イゾウさんがずぶ濡れで立っていた。タオル。まだ用意してないタオル。

「すぐタオル取って来ま、」
「イズル、おいで」
「はい?うわっ、何、」

駆け寄るなり腕を引かれて、反応するより早く体が浮いた。何か、最近慣れてきた感がある。正直、この前の洋服での横抱きより気持ちは楽。

「あの、イゾウさん?」
「いつ消えるかわかんねェからな」
「何が?」

わたしの質問に口角を上げるだけで答えて、イゾウさんは蹴破る勢いで甲板の扉を開いた。壊れる。船大工さんに怒られてしまう。

「…、」
「すげェだろ」

ゆっくり足がついて、濡れた床を踏んだ。空を見上げたまま、イゾウさんの着物を掴んでいた。まだ湿っぽい風が頬を撫でる。ゆっくり下がった手がイゾウさんの手を掴む。綺麗。美しい。そういうことじゃない。言葉は不便だ。こう、何か、全部何でもなくなるような、ああ、もう。すごい。やばい。

「あらあら、これはすごいわね」
「あたしちょっと一飛びしてきてもいいですか!?」
「飛んで辿り着けるものじゃないわよ?」
「気持ちの問題ですよお!」

後ろから追いかけてきた姉さんと妹が、甲板にいた兄たちが、歓声やら雄叫びやらで騒然としていた。のに、ここだけは静かで、とても静かで。そこにそれがあることと、それを見せたいと思ってくれたことと、見せてくれたことと、今隣にいてくれることと。何だかいっぱいになって泣いてしまいそうな、あの桜の島の多幸感と似ているようでちょっと違う。

「…イゾウさん」
「ん?」

視線を動かさないまま、手を引っ張ったら屈んでくれた。薄れる気配のないそれから視線を外して、少し背伸びをする。

「ありがとうございます」
「…っおま、」

頬に一つ。それ以外に思いつかなかった。抱き締めるでも、普通に口づけるでもなく。一瞬の後にしゃがみ込んだイゾウさんは、空いた片手で額を覆った。握った手が熱くなったようで、隙間から見える頬は随分と血色がいい。

「とんでもねェ女だな…」
「褒め言葉だと思っておきますね」
「あァ、褒めてるよ。イズルには敵わねェ」

そのまま暫く、そうやって空を眺めていた。



***

「ああいうところがまだまだよねえ」
「見てる分には微笑ましいわよ?」
「あたし、イズさんて素直じゃないなあ、って思ってたんですけど、そうでもないんですね」
「あら、イズは素直よ。全部顔に出るわ」
「素直じゃない発言も、イズなりの理屈があるのよね」




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