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湯から上がって、甲板の手摺に寄りかかった。暑いは暑いけれども風がある分船内よりは涼しい。真っ赤な海が紫に見える。そこかしこに酒を傾ける兄さんがいて、人気が少ない分会話がよく届く。ただ酒飲んでるだけってわけでもなさそうだ。

「イズル」
「…」

本日二度目の風呂から上がったイゾウさんが、隣にやって来て手摺に背を預けた。頑固、と言うより、引っ込みがつかなくなってしまっただけだ。怒ることはできたけど、どうやって収拾をつけたらいいかがわからない。許す、なんてそんな偉そうな。あれがわたしの為だったのはわかってる。

「…もうしないでくださいね」
「ああ」
「どれの話かわかってます?」
「おれがイズルだけ逃がした話だろ?」
「…あの時はあれが最善だったかもしれませんけど、わたしが痛くなくても、イゾウさんとか、兄さんとか姉さんが痛いんだったら痛いです」
「ああ、悪かった」

抑揚のない、いっそ無感情にすら聞こえる声だ。硬い。微妙に空いた距離と俯いた顔はらしくない。こっちはこっちで悄気てるんだなあ、と可笑しくなった。
指を伸ばして、赤くなった皮膚に触れる。例の爆薬と、海に飛び込んだのがだめ押しらしい。目元も赤く腫れている。

「怪我は平気なんですか?」
「何ともねェよ」
「リリーさんに撃たれたそうで」
「…言うな」

忌々しそうに眉を寄せて、イゾウさんが恐る恐るわたしの手を掴む。引っ張られて距離が詰まって、そのまま抱えて座り込まれた。ぬいぐるみじゃないんだけど、随分参ってるように見える。海水で叩き起こそうとしたのは黙っておこう。

「イズルに怒られて、避けられるのが一番きつい」

小さく、低く、震えたようにも聞こえる声は、わたしの耳に届いた。たぶん、わたしにしか届かなかった。随分とまあ、可愛らしいことを言う。体に挟まれた腕を逃がして、背中を叩く。きっと笑っているのはばれている。

「怒ってごめんなさい」
「イズルが謝ることじゃねェだろ」
「それはそうですが」
「…怖ェか?」
「いいえ?イゾウさんか、他の兄さんがいるなら全く?」
「…おれが傍にいる」
「隊長さんが一緒なら、ですもんね。次はサッチさんと…それともマルコさんか、ハルタさんとか?」
「イズル。悪かった、勘弁してくれ」

ぎゅう、と強くなった腕に、何とも言えない満足感。甘い独占欲にどっぷり浸かって、薬物依存てこういう感じなんだろうなあ。中毒の意味を体感している。毒に中る。

「ありがとうございます」
「あ?」
「自分で言いましたけど、大人しくしてるのは性に合わないんで」
「…絶対一人にはなるんじゃねェぞ」
「でっかい啖呵切っちゃいましたからねえ」
「でかくねェよ。誰にもやらねェ」

腕が緩んで、イゾウさんと目があった。多少眉が下がってる気もしなくはないが、元気にはなったらしい。ゆっくり近づいてきた瞳の奥で、何かがちらちら揺れている。
くるり、と体を捩って背中を向けた。それより先に、髪を拭いてくれ。



***

「…すぐいちゃいちゃしやがって」
「イズが元気になったのはいいけどなァ…いいのか?」
「オヤジに言われちゃしょうがねェだろい。各隊長に話は回す」
「はは、隊長に護衛されるたァ豪勢だな」
「どうせイゾウがべったりだろい」




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