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眠い!しつこい!お腹空いた!まさか夜通し走り回る羽目になるとは思ってなかった!言うて、朝まではまだ遠い空色をしている。袋小路から抜けても、その辺の角からすぐこんばんはしてきて、そりゃまだいるだろうなとは思ってたけども。何人いんのさ。鬱陶しいわ。

伸びてきた手を斬りつけ、返す刀で脇腹を刺した。この、肉の塊。内蔵まで届け。

「このクソガキ…!」

振り回されたカトラスを仰け反って躱す。もうやだ。疲れた。疲れたのに、まだ走れと。わたしがクソガキならあんたは何だ。クソジジイか。

「いい加減諦めやがれ!」
「こっちの台詞だわ、卑怯者!」
「海賊に卑怯は誉め言葉だ!」

知るか!んなわけなかろ!こんなひ弱な女一人に何十人かけてんだよ、愚か者!走り続けるのも楽じゃないんだぞ!

「ちっ、ちょこまか動くんじゃ、っ、」

銃声は背後から。咄嗟に首を傾けた。ちょっと避けが甘かったかも。髪持ってかれた。

「イズ!伏せろ!」

言われるがまま、地面に手が付くまでしゃがんだ頭上を熱風が通り抜けた。無理無理無理死んじゃう。何そんな怖いことしてくれんの。

「イズル、平気か?」
「…大丈夫です」
「ちょっと待ってな」

一瞬頭に乗った手が、温かくて懐かしくて、ちょっと泣きそうになった。ぺたん、と地面に座り込んで、目の前で繰り広げられる光景を眺める。こんな風にならない為に、頑張ってた筈なのに。ベイさん。やっぱりちょっと足りなかったかも。いや、白ひげの隊長と比べるなんて烏滸がましいけど。わたしは、あんなに手こずったのに。

「イズ!久しぶりだな!」
「あ、はい。お久しぶりです」
「どっか痛むか?」
「あ、いえ、…安心しちゃって」

抜いたままだった刀を収めて、イゾウさんの手を借りて立ち上がった。未熟さをさらけ出すようで情けない。

「…、ありがとうございます」
「何改まってんだ?」
「いや、ちょっと、あんまり久しぶりで」

距離感に悩む。どんな風に喋ってたっけ。何か、遅いとか何とか、文句言おうと思ってたのに。嬉しくて嬉しくて堪らない。

「なァ、おれ腹減ったんだけど」
「あ、そこの、角曲がった先に飲み屋さんが、」
「適当にその辺で食ってきな」
「おう。じゃ、後でな」
「食い逃げはすんなよ」
「わかってる!」

瞬く間の速さで、エースさんが角の先に消える。本当に、わかってるんだろうか。不意に、見送っていた頭に心地好い振動が落ちてきた。

「宿、取ってんだろ?」
「…取ってたんですけど」
「…こいつらか」

お察しの通りです。乗り込まれて、硝子とかめちゃめちゃだから。あんまり戻りたくない。でも謝らなきゃなあ。一人引っ張って行くか。

「行くぞ」
「えっ、あ、はい」

するり、と繋がれた手に心臓が跳ねた。折角、折角慣れてきてた所だったのに。感覚が空きすぎて気分的には初めてだ。握り返した手が更に握り返されて、つい視線が俯く。心臓がうるさい。ちょっと黙れ。

「…あの、どこ行くんですか?」
「どうせ部屋ん中めちゃめちゃにされてんだろ?その辺で取った方が早い」
「いやでも、一応謝らないと」
「別にイズルがどうこうしたわけじゃねェ」
「…まあ、そうですけど」
「荷物があんなら、明日にでも取りに行きゃァいい」
「いえ、荷物は持ってるので全部です」
「なら問題ねェな」

手を引かれて、任せるがままに取り直した宿。当たり前のようにダブル。流石に、それに突っ込む気力も体力もない。やばい。安心したらめちゃめちゃ眠い。

「イズル?」
「…ごめんなさい。ちょっと、…眠くて」
「あァ、ゆっくり休んだらいい」
「ん…」

部屋に入って、イゾウさんの後をついていく。その後ろ姿を見て、気づいた。漸く。何かいっぱいいっぱいで失念していた。

「イゾウさん」
「ん?」
「あの、髪に結ってるの、それ、」
「当たり前だろ?」

ベッドに腰を下ろして、さも当然と言うような様に泣きたくなった。ああ、もう。会いたかった。つい手配書を眺めてしまうくらい。皆に、父さんに、イゾウさんに。

「…、イズル?」

駆け寄って、首にしがみついて、涙で目の前が滲む。受け止めてくれた腕が温かくて温かくて、すごく嬉しい。背中に回った腕が緩くて物足りない。もっと。もっと欲しい。もっといっぱい、ぎゅってして。

「…あいたかったです」

小さく息を飲む気配がした。途端にきつくなった腕が嬉しくて嬉しくて。涙が落ちて止まない。寂しかった。イゾウさんがいなくて、寂しかった。

「遅ェよ、馬鹿」
「ごめんなさい」
「おれも、会いたかった。ずっと、イズルに会いたくて堪んなかった」
「ふふ、賞金首にでもなってたら良かったですかね」
「あ?」
「わたしは、イゾウさんとか、皆の手配書眺めてたから」
「いらねェよ、んなもん。もうどこにもやらねェ」

うん。もう行かない。なんて、わたしの気分がいつ変わるかはわかんないけど。一度失くして、また手にできたもの。もう一回失くすのは、きっと倍以上の覚悟がいる。無理だなあ。少なくとも、今のわたしにこの温もりを手放せる度胸はない。



***

「あいつら、連絡寄越せって言ったんだがねい…」
「そりゃ無理な話だろ。惚れた女との再会だもんな」
「一緒にいるのはエースだしね。またどっかで食い逃げでもしてるんじゃない?」
「…連絡がないのが、何よりの朗報、か?」
「だといいがねい」
「マルコも心配性だな。何なら、今から飛んでって見てきたらいいじゃねェか」
「…馬に蹴られる趣味はねェよい」




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