161


いつも通り、の、最後の夜。髪を拭いてくれるイゾウさんも、拭かれてるわたしも。言葉もないまま時間が過ぎる。人気の少ない船は寒くて、何だか余計に痛い。

「…イゾウさん」
「…ん?」

呼べば返事が返ってくる。当たり前が当たり前じゃなくなる。何回も呼びたい気分。そんなあからさまなことしないけど。くっつきたくなるのは、寒いせいじゃない。

「どうした?」

呼ぶだけ呼んで何も言わないわたしに、優しい声が降ってきた。あんまり、やめてよ。泣きそう。

「イゾウさん、今日一緒に寝てもいいですか」
「…あァ、構わねェよ」

イゾウさんの手が髪を梳く。終わらないで欲しいなあ。自分で決めたのに、それが間違ってるなんて思わないけど、でも辛い。後ろから抱き締める腕が、もう恋しい。

「…我儘でごめんなさい」
「何言ってんだ。こんなもん我儘でも何でもねェよ」
「だって自分で行くって決めたのに」
「今からだって、やめてくれていいぞ?」
「…やめない」

くっついた背中が温かい。大好きな、腕の中。なるほど、失くしてから気づくは真理だ。それが、ただ惜しいだけの錯覚だとしても。

「イゾウさん、髪紐とかいります?」
「髪紐?」
「…これ」

あっ、握りしめてたから、ちょっと癖ついちゃった。昼間のうちに極簡単な荷造りをして、その後。イゾウさんと過ごすか迷ってやめた。あんまり長く一緒にいたらぼろが出る。絶対。

「おれに?」
「…良かったら。あんまり凝ったものじゃないですけど、」
「いる」

些か食い気味な返事に少し遅れて、イゾウさんが紐を手に取る。矯めつ眇めつ、とまではいかないものの、眺め回されて喉が乾く。だって、売り物じゃないんだもん。出来の良し悪しは、ちょっと甘くしてほしい。

「きれいだ」
「気に入って頂けたなら何よりです」
「これ買いに行ってたのか」
「…まあ、はい」

間違ってはないよな。買ったのは材料だけど。わざわざ手作りって言うのもな。あんまり好きじゃないな。

「大事にする」
「心変りしたら捨ててくださいね」
「本気で言ってんなら怒るぞ」
「ふふ」

しまった。つい、笑っちゃった。その返事好き。イゾウさんに怒られるなら悪くない。一瞬腕が離れて、暫くして戻ってくる。その手に髪紐はもうない。代わりに、見覚えのある短刀が握られていた。

「…どうしたんですか、それ」
「使うかと思ってな。銃より刃物の方が向いてんだろ」
「そう…ですか?」
「…いや、銃ならおれが教えてやりたいだけだ」
「そうですか」

妙な満足感と、受け取った刀は相変わらず。大きくもなく、重くもない。何か、しっくりくる。気がする。

「…有り難くお借りします」
「いや、やる」
「はい?」
「元々、イズルにと思ったもんだ」
「…いつから?」
「…イズルが戦いたいって言った時から」
「ちょっ、それ相当前、」
「あの時は持たせんのも考えてたんだよ。銃は使ったことねェって言ってたしな」

それは、全然…存じ上げませんでした。手に乗ったそれを握り締める。あげた側から貰っちゃってどうしよう。

「ありがとうございます」
「イズル」
「はい?」
「イズルが好きだ。愛してる」
「…わたしも、イゾウさんが大好きです、…ん、」

唇が重なって、舌が絡んだ。手に手を重ねれば、指先が絡む。絡まって絡まって、解けなくなったらどうしよう。それはそれで嬉しいなんて、…本当にわたしはどうしようもないな。



***

「ベイ」
「おや、イズルと一緒じゃないのかい?」
「あんまりいたら、離してやれなくなんだろ」
「これはこれは、随分ご執心だね?」
「まァな」
「それで?何の用だい?」
「…イズルを、よろしく頼む」
「そんなこと言われなくたって、オヤジさんからの大事な預かりものだよ」
「それでも、頼むからちゃんと帰してくれ」
「…あんたからそんな言葉を聞くとはね。そんなに大事かい?」
「…あァ、大事だね。おれが心底惚れた女だ」




prev / next

戻る