“誰にも何も言わずに町を出ていく“と言うのは人として正しい行いなのだろうか。自問するが、それは言わずもがな否だろうと自嘲するしか無かった。
自分が同じ事をされたとしたら、間違いなくショックを受け悶々と考え込んでしまうだろう。当然、きちんと挨拶をして別れを告げる方が良いに決まっている。
でもきっと詳しく説明しない限り、卒業後には帰って来ると皆思ってしまうだろう。東京の大学には受からなかったのだから仕方ないと、私の嘘を信じ心配しながらも見送り今後も気に掛けてくれるだろう。責める事などする筈がないし、卒業を待たずとも盆や正月には会えると思うに違いない。

 最初から帰るつもりも無く出て行くのに、肝心な所を隠すのなら伝える意味はあるのだろうか。それならば全部、包み隠さず話した方が良いのではないか。
でも長年積もり積もって来た報われない思いを人に伝える事は、自分の惨めさを曝け出す事と同じだった。例え親しく信頼している間柄でも、醜く恥ずかしい部分を見せるのはとてもじゃないができそうにないし、それが可能ならばとっくの昔にそうしている。ちっぽけでなけなしのプライドが、今の私をずっと支えて来たのだ。

そして私の周りの人は皆心から愛している人に愛され、想いが叶った謂わば私とは真逆の人達だった。日陰でじめじめとした苔を生やす私とは違い、日の当たる場所で輝いている。改めて思うと、消えてしまいたいような気持ちになった。

 もっと早くに隆ちゃんの事を諦めて、他に好きな人を探せばよかったのだ。そんな事を今更ながら思うが、恥ずかしいことに私にはそんな発想が無かった。青春と呼ばれる時間を全て、何も生み出さない物の為に費やしてしまった。無駄だったのだろうが、過ぎ去った日は帰って来ない。これからの日々を平穏に過ごす為に、やはり離れる以外の選択肢は無かったように思う。



「桜が咲くのはまだもう少し先だなぁ…」

 境内には沢山の桜の木が植えられているが、まだ蕾は膨らみかけだった。梅の花は美しく咲き誇り、丸くころころとした花が風に揺られている。早朝の境内に人気は無く、私の貸切状態だった。きっと昼間は人混みでゆっくり見られないだろうから、今のうちに堪能させて貰おう。

 木々のざわめきの中で考え事をするのが好きで、小さい頃からお参りより散歩しながら悩みを整理する事の方が多かった。もうここに来ることもないかも知れないから、お参りしながらお礼でもするべきなんだろうが、何と祈れば良いのか分からなかった。今口を開けば、初恋を実らせなかった事への恨み言の方が出て来そうな気がした。



「はよ。お別れの準備は済んだのかよ」

「それはまだ……………て、え、マイキー…なんで、ここに、えっ…?!なんで、知って、」

「いや何も知らねーけど、鎌かけたらあっさりと」

「……………」


 お別れの準備なんか何も済んで無いし、そもそもそれで悩んでいるんだよなぁと思っていたら、不意に話しかけられ普通に答えてしまった。驚いて声のした方へ振り返ると、私が座るベンチの後ろに頬杖をついたマイキーがいた。一瞬で冷や汗を吹き出す私の隣にドカリと腰を下ろし、色のない目で見つめて来る。その表情からは何の感情も読み取る事ができない。何を考えているのか全く分からないと言うのは、なんて不気味で居心地が悪いのだろう。

「オレはトレーニングの最中。大体この時間にここを通るんだよ。今日は梅が綺麗だなってぶらぶらしてた」

 ありとあらゆる言い訳が口から出そうになるが、結局言葉が声になる事はなかった。マイキーに嘘や誤魔化しは通用しない。そもそもずっと前から気付いていたであろう相手なのだ。もう頭を抱えるしか無く、これ以上ない位内股になった情けない足を見つめる他無かった。


「何処にも行くなとは言わない。何をしようとお前の自由だ。でも、何も言わずに離れて行くなよ」

 怒っている訳でも拗ねている訳でもなく、マイキーの声色には寂しさが滲んでいた。恐る恐る様子を窺うようにして視線を合わせると、切なさや悲しさ、やり切れなさを混ぜ合わせたような表情を浮かべていた。どうでも良い下らない事では怒ったり八つ当たりしたりする癖に、どうして責めて来ないのだろう。こんな顔をさせる位なら、いっそ罵られた方がマシだった。
これ以上傷つけるのなら、自分が惨めな思いをした方が何倍もよかった。
観念してゼロから全て話をしよう。どれだけ時間が掛っても、最後まで口を挟まず聞いてくれるだろうから。





「馬鹿!名前の馬鹿!バカバカ!ウチらに何も言わずに出て行こうとしてたの?!しかも、帰って、帰って来ないつもりなのに、っ…!親友じゃ無かったの!?大事に、おも、思ってたのはエマだけだったの!?」

 マイキーと一緒に佐野家へ行き、エマに隠していた事を包み隠さず全て伝えると、エマは目を見開いたまま暫く何も言葉を発しなかった。反芻するようにして意味を捉えると、激昂しみるみるうちに大きな目に涙を溜め、ぼたぼたと大きな水滴を絶え間なく溢し始めた。足の先からてっぺんまで悲しみと怒りで埋め尽くされたエマは、嗚咽を漏らしながら突如クッションを投げつけて来た。ソファの上に並べてあったクッションは、一つ残らず投げつけられ居間のあらゆる所にぶつかり転がっている。

 責められると何故だか凄く安心した。もっともっと私に対して怒れば良い。そしていっそ嫌ってくれれば良いのだ。そうすれば私も未練なくこの地を去れる。満足するまで罵ってくれれば良いと思う。純粋なエマの気持ちを深く傷つけ、裏切りとしか呼べないような事を私はしてしまったのだから。

「嫌だ!やだやだやだ!なんで、嫌だ、何で…お祝いしようって…あの時、どんな気持ちで………あ…名前何も言ってなかった…そっか…その時から…もうウチは要らないんだね……そっか…」


 “要らない“だなんて、そんな事は絶対にない。必要無かったら、私はこんなに苦しんでない。大好きだから向き合うのを先延ばしにした。関係が変わるのが怖くて、嫌われたく無かったから。
大切なんて言葉じゃ表せないくらい、大事で掛け替えのない人達だからこそ言えなかった。
伝えたい事が次から次へと湧いて来るのに、何一つ言葉に表すことができない。
小さな頃から一緒に遊び、家族の様に時を過ごした。綺麗な景色や物を見たら、エマに見せたいといつも思った。悲しい時や辛い時、私の代わりに怒り味方してくれるマイキーが頼もしかった。私を甘やかし可愛がってくれる、優しい真一郎君の妹になりたかった。下らない話で笑い合った何気ない日々が、今では宝物のように輝いて感じる。
どんなに大切に思っていても、逃げ出そうとしたのも私の人生から切り捨てようと過ったのも全て事実だ。私にはこの想いを伝える資格などありはしなかった。



「はぁ…はぁっ、は、…っ!はぁっ…、」

「名前…?おい、名前大丈夫か!?…っじいちゃん!兄貴!なんか名前が変だ!」

「どうしよう名前苦しそう…!やだ、やだどうしようっ…!」

「なんだよ万次郎騒いで…っ名前?どうしたこれ、何があった?とりあえず救急車…!」

「はぁ、っ…!いら、ない…っはぁ、」

 狼狽える俺達に比べ、苦しい筈の名前は冷静だった。涙を流し胸を押さえながらも、座ったまま前屈みになり自分の口と鼻を手で覆っている。ゆっくりと名前が息を吐き出す音だけが静まり返ったリビングに響いていた。

「…ただの、過呼吸だから、大丈夫。苦しいけど絶対死なないから」


 

 慣れている。
こいつはこの苦しみに、あまりにも慣れすぎている。
他人の処置をするかのように淡々と対応し、畳の上に溢した涙をハンカチで拭っていた。自分の事を顧みる事なく、どうでも良い畳なんかを気に掛けている。
“絶対死なないから“と言う名前の顔は残念そうだった。“死ねたら良かったのに“なんて顔をして笑うなよ。
三ツ谷が居れば良かったんだろうが、あいつが傍にいるようならそもそもこんな事は起きちゃいない。下らない事考えんなよと思いを込めながら抱き締めるが、名前の手はだらんと下ろされたままだった。
何から逃げようが離れようが構わない。ただ元気で笑っていてくれていれば、それだけで良いのに。




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