■ 記憶の産物

 脳髄が刺さる程に鳴り響いていた煩わしい車輪の音は徐々に遠ざかり、その変わりに静寂が近づく足音が聞こえる。
 老化してないのに関わらず、視点は定まらず目の前は酷く霞んでいた。やけに鼻に付く不快な鉄の臭いは、熱を持った金属の臭いなのか?それとも血液の臭いなのか今は判断さえつかない。
 ……あぁ、そうだった。自分は時速150キロの列車から落ちたんだと鈍い頭が記憶を取り戻す。
 ピクリとも動かない造り物のような指先と、本来ならあるはずの痛みさえも感じられない事を嫌でも理解した。
 ……自分はもう助からない。死の淵に半端沈み込んでしまった状況で、これからブチャラティと殺り合う弟分と、先に逝ってしまったあいつの姿が頭に浮かんだ。


 ――"じゃあ、行ってくるね"
 あの日その一言だけ告げ、出かけようとする凜の手を掴んで引き止めればよかった。例えそれが普段どおりの素っ気ない挨拶で、いつもどおり凜にとっては大したことのない仕事だったとしてもだ。
 オレは凜のスタンドの強さに信用しきっていて、いつものようにすぐに戻ってくると軽く考えていた。だが、凜はいつまで経っても帰ってこなかった。
 日付を跨いても戻ってこない事が、やけに胸くそ悪い程に不安でしょうがなく、他の奴らの呑気な制止の声も聞かずにアジトに飛び出して探しに行ったんだ。
 勉学には乏しくても、昔からやたら勘は良かった。その自分の勘のままに走ってると、任務先とは反対方向にある海辺へとたどり着く。
 街灯もなく月も出てない海は、全てを飲み込むかのような暗闇だった。ライターの火を灯しながら、慣れない砂を歩こうとすると足元に何かがぶつかった。
 数え切れない人間を殺した経験と、冴え切ってしまっている勘というやつが『ソレ』を確認するまでもなく、皮肉にも答えを出してしまう。
 ――頼りない僅かな灯火は、思い焦がれていた相手の顔を映した。美しく黒曜石のようだった瞳は、虚空を見つめ風で揺らぐ炎だけを映していた。
 【trabitore/裏切り者】機械で綴られた無機質な文字で書かれた紙を胸に貼られ、腹にはポッカリと大穴が空いていた。周囲の砂は、凜の血液を含んで湿り、その範囲からおびただしい出血量だったのだろうと予測した。
 二人の死体を見ても、ここまで血の気は引かなかった。もう何年ぶりかなんて忘れてしまったぐらいに、オレは何も考えられずにその場にへたり込んでしまう。
 凜が死んでしまった現実がなかなか受けいられなくて、『早く目を覚ましてくれ』と叶わぬ願いを込めながら、しばらく柔らかい頬にこびり付いた乾いた血を拭う事しかできなかった。
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 すっかり冷たくなった身体を、アジトに運んだのはどのくらい時間が経ったことさえ覚えていないほど記憶は朧気だった。
 たが、"その場に居た全員が言葉を失うほど、プロシュートは狂ったように笑ったか思いきや、急に無表情で黙り込んだりして、まるで重度の麻薬中毒者のようだった"と、後でメローネが教えてくれた。
 我ながらみっともなく情けねぇ醜態を晒してしまったもんだ。ギャングの世界じゃあ、いつ死んじまってもおかしくない。自分と仲のいい同業者が死んだという知らせを聞いても、"二人のことは忘れろ"と納得できねぇ事を言われても、いつも無理やり『仕方がない』と終わっていたじゃないか。
 ……それでもオレは認めたくなかった。星の数だけ寄ってきた女達よりも、凜ほど心を動かす女はいなかった。あいつはこっちがアプローチしても毎回やんわり断るが、一方通行の想いでも諦められなかった。いつか振り向いてほしいと想っていて、ようやく距離が縮まったと思っていた矢先の事だった。
 あぁ、ちくしょう。過去を振り返るっていう事は、確実に死はすぐ傍にいるのだろう。だけど凜の近くに行けると思えば、何も恐れることはない。
 むしろ最期も兄貴分らしく、可愛い弟分の成長を後押しようじゃあないか。
「…………栄光は…………おまえに…ある……ぞ。やれ……やるんだペッシ、オレは……おまえを見守って……いるぜ……」
 掠れた声は届いただろうか?少しだけ晴れた視界には、オレがしっかりした目で見たかった姿があった。オドオドした様子も自信がなさそうな表情でもなかったからだ。
 成長を遂げた喜びか安堵か、せっかく観えた視界は徐々に暗くなる。見届けるって言っときながら、情けねぇ。
 もし、来世というモンがあるのなら、また会いたい。頑固で無愛想ななリーダー、下品でバカなあいつ等、いつも後ろをくっついていた弟分。そして……思い馳せるあいつに。
 いや、来世よりも地獄が先かもしれないな。そんな自虐と共にオレの意識はプツンと切れた。


 ――イタリア。ナポリのとある海岸に、一人の東洋人の女が立っていた。黒い髪を海風に靡かせながら、何かを考えるような目で闇黒な海を見つめている。
「こんな夜更けに散歩ですか? signorina?」
「……っ!?」
 東洋人に声をかけたのは一人の青年だった。気配もなくいつの間にか東洋人の傍に居た青年は、唯一の光である月夜に照らされただけでも、誰もが認める美丈夫である事がわかる。
 突如現れた事に驚きで、東洋人は返事どころか声すら出せず硬直しても、その美しい男はまるで懐かしい人を見るかのように優しい笑みを浮かべている。  
「驚かせてしまって申し訳ない。あんたがオレのよく知る人に似ていたんだ。名前を聞いても? ……失礼、オレはプロシュートっていうんだ。あんたの名前を聞かせてくれよ」
「…………凜・霧坂です」
 凜は自分でも、どうして名乗ったのか不思議で仕方がなかった。例え見たくれは良くとも、こんな怪しい男に本名を名乗る事はしなくてもいいのにだ。
 ……その答えは簡単だ。この男が想っていたよりもフランクな話し方をするからとか、モデル顔負けのいい男だからとかそんな平和な理由ではない。
 じっと自分を見つめてくる視線が、『名乗ることを拒否する事も偽名を使うことも許さない』と言わんばかりに暗い瞳をしているからだ。
 きっと明るい場所で見れば、その瞳はこの海のように綺麗な青をしているのに。何でそんなに濁っているのかしら?…………あれ?どうして自分は、この青年の瞳の色を知っているのか。そもそも、どうして自分はこんな場所にいるのだろう。
 プロシュートという青年に出会って、数分もしないうちに凜に違和感が襲う。まるで記憶のパズルが一気に崩れるかのように、これまでの記憶が混沌する。
 途端にズキズキと、頭と腹部が痛み始めた。グチャグチャと混ぜ合う困惑と悲痛で、凜の自我が崩壊しそうだった。
 そんな凜をよそに、プロシュートという男は凜の名前を聞き出すと、心底嬉しそうな笑顔に変わった。
 困惑から恐怖への変化で、動くことも忘れた凜の手首をプロシュートは掴みあげると、自分の身体に引きせた。手首を握る力は、凜が思わず顔を顰めてしまうぐらい痛く、振り払うこともできない程にビクともしない。
 すっぽりと自分の胸元におさまる凜に、プロシュートは感嘆の溜息をついた。
「もうこの手は離さない。…………ずっとな」
 暗闇に紛れたその表情は見たものをゾッとさせるぐらい恍惚し、その声調は感動を抑えきれないかのように弾んでいた。
 怯えた凜を抱えるかのように海辺に浮かんだ2つの影は、闇と共に静かに消えた。
 
 ――世間を一時騒がせた東洋人失踪事件は、未だに解決していない。




2017・12・09に掲載。→2020・08・17に内容を大幅改変しました。


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