バターに砂糖を溶かして混ぜる。
溶かしたチョコレートを加えて混ぜる。
卵黄を加えて混ぜる。
――――。
***
夜中に目が覚めたレオンハルトは自分の部屋を抜け出した。
特に意味は無い。
ただ、何となく、だ。
廊下を歩いていると甘い匂いが漂っていることに気がついた。
自分が好む、甘い匂い。
誘われるように足を進めれば、厨房へとたどり着いた。
言い訳をするならば、お腹がすいていたわけではない。
そっと覗き込み、そこにいる人物を探る。
そこにいたのは、一人の女性だった。
厨房にいつもいる人物ではないことはすぐにわかった。
あちこち開けては唸り声を上げていれば、レオンハルトにだってわかった。
厨房に立ち慣れていない、若しくは使用人歴の浅い女性だ。
すぐに声を掛けずにじっと見守る。
自分は何をしているのだと馬鹿馬鹿しくなった時、彼女が取り出したそれに喰い付いてしまった。
「ザッハトルテ!」
「きゃ!」
突然の大声に驚かないはずがない。
オーブンから取り出したそれを落とさなかったが、彼女は台に置きしゃがみこんだ。
「わ、悪い。驚かせるつもりはなかったんだ」
「え? レオンハルト様?」
驚きのあまり見開かれた瞳はそのままに、彼女は冷静を取り戻そうとしていた。
そんな彼女の前に手を差し出す。
「あの……?」
「特別に手を貸してやるから、早く立ち上がれ」
「ありがとうございます……」
恐る恐る彼の手に乗せた彼女の手は小さく強く握れば痛がってしまうだろう。
それくらい華奢なものだった。
「お前は……」
「ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました。先日から行儀見習いとしてお世話になっております。セレナーデ男爵が娘・アンジェと申します」
レオンハルト的には貴族の名前などどうでもいいし、酷いことを言ってしまえば彼女の名前もどうでもいい。
それよりも気になるのは……。
「それは、お前が作ったのか?」
「それ……? えと、ザッハトルテですか? あの、はい。私が練習させいただいております」
「練習?」
「はい。いつか、レオンハルト様に食べて頂くのが夢で……ってご本人を前にすみません!」
何度も頭を下げるアンジェなんて目に入っていない。
レオンハルトの意識を今かっさらっているのは、ソレのみである。
「食べていいのか?」
「え? あの、この時間に食されるのはあまりお勧めできません。そもそも、どこの誰が作ったともしれないものをお口にされるのは……」
「どこの誰かなんか知っている。アンジェ・セレナーデだろ?」
自信満々に胸を張るが、彼女が言いたいのはそういう意味のことではない。
残念な頭の彼は気づきもしないが。
「私が何を入れたかわからない物を食されるなんて危険ですよ。毒殺を狙う輩がまったくいないとは言い切れないのですから」
「なら、お前も一緒に食べればいい。毒見役だ。ほら、早くお茶を用意しろ」
「は、はい。わかりました」
反射的に頷いてしまったアンジェは慌てて湯を沸かし茶葉を用意する。
厨房の隣にある使用人用の食堂へ二人は入った。
真夜中のお茶会、なんて秘密をたっぷり含ませた甘い物ではない。
「いただきます」
自身を急かすようにレオンハルトはそれを口に放り込んだ。
瞳がキラキラと輝きだす。
「アンジェ、改善するべき点は多々あるが、うまいぞ」
「ありがとうございます。あの、私まだ毒見していないのですが……」
「これから、毎晩特訓に付き合ってやるから、腕を上げろよ」
「さすがにそれは許可されないものと思われますが……」
二人の会話はかみ合わないまま、夜は更けていく。
帰り道は忘れた
title:icy
(2017/09/26)
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bkm