低体温症と夏


夏は苦手だ。

氷だけが転がるグラスに向かって呟いた。

夏の暑さには如何しても耐えられない。

完全な冬体質な杏樹は、待ち合わせの喫茶店で二杯目の珈琲を頼む。

香ばしさを消す位に牛乳(ミルク)と砂糖(ガムシロップ)を放り込んで、ストローで混ぜた。

其の侭飲み干す。

ひんやりとした心地よさはあっと云う間に体内で消えてしまった。

もう一杯頼もうかと思った処で、待ち合わせの人物が現れた。

暑苦しく思える黒に統一された人物が真っ直ぐに杏樹の前に現れた。


「今日は、中也君」

「俺を呼びつけるなんて偉くなったな」

「注文は何にする? 特別に奢ってあげるけど?」

「葡萄酒(ワイン)」

「昼間からそんなの呑まないでくれる? 如何しても呑みたかったなら、夜誘ってくれる?」

「誰が手前なんか誘うかよ、面倒くせえ」


乱暴な音を立てて杏樹の前に座った。

店員を手で呼んで、珈琲を頼んだ。

自分の分だけで無く、杏樹の分も。

こう云う処がとても腹立たしい。


「で、用件は?」

「絶対一言で終わらせて帰ろうとしてるよね? 私を騙せるとでも思った?」

「んな心算ねえよ。最後まで付き合うし」

「若干泳いだ目の説明出来る?」


珈琲は直ぐに運ばれて来た。

さらっと謝礼の言葉を口にした所為か、給仕の女性は頬を染めて去って行く。


「……無駄に整った顔してるから」

「何か云ったか?」

「いいえ、何も。では、用件を伝えさせて頂きます」

「何を怒ってるんだよ」

「怒ってなんかいませんけど?」


喧嘩腰に為って行く二人の空気。

周囲の客が避難しようか迷っている様にも見えたが、こんな場所で本気の喧嘩なんかしない。

本気で殺り合うなら、人気の無い開けた場所を選ぶ。

そう云えば、中々に決闘向きな場所を見つけた事を思い出した。


「中也君、喧嘩に最適そうな場所見つけたんだけど、今度付き合ってくれる?」

「はあ? そんな暇有ると思ってんのかよ」

「時間は作る物だけど、幹部様はそんな事一つ出来ない訳? ポートマヒヒャ――」


口を押さえ付けられ、最後まで云えなかった。

酷いと睨むが杏樹以上の鋭さで睨み返されてしまった。

余計な事を口にするな莫迦、と云った処だろうか。

詰まらないと杏樹は肩を落とした。

彼は何も知らないのだろう。

彼女がどんな思いで日々生きているかなんて。


「心の声がだだ洩れなんだよ、莫迦が」

「……セクハラで訴えるよ」

「何処にだよ」

「……何処が一番真剣に取り合ってくれるんだろうね」

「知るか」


珈琲を飲む姿が様に為る。

一寸真似して見た処で上手くは行かない。

杏樹と中也では違い過ぎるから当然だ。


「此れ、急ぎじゃ無いから、凄く暇な時に見ておいて」


そっと差し出したのは、ポケットに入る位の小さな封筒。

中也は其れを一瞥し、そっとしまった。

長々とした言葉が無くとも通じる処が助かる。


「手前がそう云う時は、大体急ぎだろ。今夜中には返事する」

「可愛げが無いね、中也君」

「こっちの台詞だ。莫迦」


此処に彼が現れてから何度『莫迦』と云われただろう。

数えておけば善かった、とか思う位には云われている様な気がした。

此方が払う心算だった珈琲代をさらっと先に出された。

今一自分と彼の距離感が判らないと杏樹は首を傾げる。

店を出た所で、杏樹は中也に抱き着いてみた。

其れはもう遠距離恋愛の恋人達が駅のホームでするかの様に。

突然の事態に中也は反応出来ずに居る様だ。

ざまあみろ、と思った時だった。

両肩を強すぎる力で掴まれ、無理矢理距離を作られた。

瞳は泳ぎまくっている。


「中也君、如何したの?」


曖昧な距離感を上回る優越感。

緩む頬を其の侭に揶揄い続け様とした処で反撃を喰らった。

其れは『今夜寝られなくなる』なんて可愛い物では無かった。



低体温症と夏



title:残香



(2017/08/23)


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