何もかも無かったことにできるなら


大きな音を立てて雨が降っている。

土砂降りだ。

屋根の下にいようとも、少しの風が大きな雨粒を容赦なく叩きつけに来る。

足下はすっかり濡れていた。

夏休みの最中に課題の為だと学校に来たのが不味かった。

天気予報では、局地的な雨に注意と一応「気を付けろ」と促してくれていたのに。

深い溜め息すら雨音に飲み込まれる。

暫く止みそうにない空を見上げ、杏樹はまた一歩足を退いた。


「色瀬?」


雨音の中聞こえた声。

幻聴かと思いつつ振り返ると、そこに久我恭介は立っていた。


「久我くん、こんなところで何しているの?」

「それはこちらの台詞だ。俺は教師に呼び出されて……」

「成績優秀な久我くんが!?」

「……支倉のことでな」

「ああ……」


短い言葉で理解してしまった。

思わず同情的な視線を向けてしまった。

それに気づいた恭介がこつんと拳骨を杏樹の頭に落とす。

優しすぎる手に笑ってしまう。


「それにしても、酷い天気だな」

「うん。こんなに降るとは思わなかった。久我くん、傘は?」


さっと見せられた折り畳み傘。

何と準備のいい。

否、杏樹が準備不足なだけだ。


「この様子だと、傘など無意味にも思えるがな」

「確かにそうかも。どう頑張っても濡れるしかないのかなあ……」


寒くないとは言え、この中を走って帰る勇気はない。

歩いて帰れば更に不快指数は増しそうだ。

今の時間親が家にいないから、迎えに来てもらうことも不可能だ。


「色瀬、なかなか面白い顔をしているぞ?」

「……面白い顔?」

「百面相だ」

「久我くんは、もっと表情に出した方がいいと思うよ? その方が久我くんの気持ちがわかって、私は助かる」


自分は何を口走ってしまったのだろうと慌てて口を押さえたところで、もう遅い。

この雨が声をかき消してくれていたら、と願ってみたけれどいつもより優し気に見える彼の顔が何もかも語っているようで、穴を掘って埋まりたくなった。


「……ごめん。今の忘れて」

「何故だ? 色瀬がはっきり言ってくれることなどあまりないから、少し、嬉しかった、のか?」

「聞かないでよ」


そういうところは恭介らしいと思ってしまう。

らしい、なんて簡単に言えるほど付き合いは長くないのだけれど。


「色瀬」

「ん?」


恭介に腕を掴まれ、校舎内へと引っ張られる。


「すぐに帰らないのならば、ここにいた方がマシだろう?」

「確かに。あそこだと結局濡れるもんね」


雨の音がどこか遠くに聞こえる校舎内。

近くに人の影は見当たらず、今ここには杏樹と恭介の二人しかいない。

もしかしたら、とても珍しい状況なのかもしれない、そう意識したら何故だかとても緊張してきた。

彼ならば余程のことを言ってもそう簡単に怒ったりしない気はするけれど……そもそも自分は何を話そうとしたんだと杏樹は頭を抱えた。


「色瀬、大丈夫か? 体調が悪いのなら……」

「ごめん、気にしないで。全然何も問題ないから」


まったく何も問題ない訳ではないが、恭介に言うほどのことでもない。

というか、言えない。


「久我くんはすごいね」

「いきなりどうした?」

「ん……何となく、今、伝えたくなっただけ」

「そうか。ならば、俺も伝えておこう。色瀬は恐らく自分で思っているよりずっと人に好かれる魅力的な人間だと思う」


音が消えた。

見知らぬ世界に置き去りにされた気分だ。

不安と同時に生まれる高揚感。


「久我くん、そんなこと思っていても言っちゃだめだよ、普通」

「何かマズいのか? 褒め言葉のつもりだったが」

「だから、誰彼構わずそんなこと言ったら、勘違いされても仕方が無いよ、って話」


まだわからないという顔をするものだから、杏樹は困ってしまった。


「す、好きになられても文句言えないよってことだよ」

「色瀬のことはわりと気に入っているから、何も問題ないはずだ」

「もう黙ってよ、久我くん。私泣きたくなってきた」

「?」


この雨が降らなければ、こんな会話をすることはなかったはずだ。

喜ぶべきか悲しむべきかわからない。

ただ、心の底から好きになっているのだと気づいてしまったから、逃げられない。



何もかも無かったことにできるなら



title:icy



(2017/08/15)


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